第120話 眠れぬ夜
〈零斗視点〉
綾乃が風呂から上がってくるまでの間、ずっと悶々としていた俺は部屋の扉が開く音で飛び起きた。
「お、おう綾乃。思ったより早かったな……」
「……誰かさんのせいでね」
「うっ……」
まぁそうだよな。まず間違い無く俺のせいだ。いやでもあれは俺にとっても事故みたいなもんだったし。これも言い訳にしかならないか。
こうなったら……。
「すまん! 悪かった! わざとじゃなかったってのはこの際言い訳にはならないのはわかってる。煮るなり焼くなり好きにしてくれ!」
「え?」
「いやもうボコボコにしてくれたっていい。俺は一切抵抗しない! さぁ! 思う存分、気の済むままに!」
床に額をこすりつける勢いで頭を下げる。
「……ねぇ零斗。それわざとやってるよね。大げさに謝ってみせたら私が引くと思った?」
「バレたか」
「れ~~い~~と~~」
「い、いや反省してるのはホントだぞ! 確かにちょっとオーバーに言った感はあるかもだが」
「……はぁ、もういいや。さっき姉さんから事情は聞いたし。脱衣所の鍵閉めてなかった私にも非はあるし。でも、事故だったとしても見たのは事実だし。とりあえず思い出すのは禁止ね。すぐに忘れること。それで許してあげる」
「えっ?」
「えっ? てなによ。当り前でしょ」
当り前でしょって言われてもな。あれは忘れようと思って忘れられるもんじゃないし。それに思い出すなってのも……。
動画や画像じゃない女性の、それも好きな人の裸。脳裏に焼き付いて離れない。今だってすぐに思い出せる。
「零斗、思い出すの禁止って言ったはずだけど」
「なんでわかった!?」
「鼻の下伸びてる。いやらしい」
綾乃の極寒の瞳が突き刺さる。あぁでもなんかこういうのも新鮮で悪くない……。
「はぁ、もういいや。零斗もお風呂に入ってきて。姉さんは一番最後でいいって言ってたから」
「あぁ、わかった。それじゃあお言葉に甘えて」
俺は努めて平静を装いながら着替えを持って部屋を出る。そして、扉がしっかり閉まったことを確認してからホッと息を吐いた。
「綾乃……気付いてなかったみたいだけど、あれはあれでなぁ……」
お風呂上がり、少し火照ったような肌に少し暑かったのか若干着崩した姿。ぶっちゃけめちゃくちゃエロかった。直視しないようにするので精一杯だったくらいだ。
あれ無意識なんだろうな。だとしたらなんて破壊力。無意識に男心をもてあそぶとは。綾乃、恐ろしい奴だ。
「ふぅ、とりあえず風呂に入って気持ち切り替えてくるか。切り替えれるかどうかはちょっと怪しい気もするけどな」
煩悩を振り払うために風呂に入ることしばらく、綾乃の家の風呂はかなり広くて気持ち良かった。つい長風呂してしまいそうになるっていうか。子供の頃からこんな風呂に入ってたら風呂好きにもなるだろうって感じだ。
さっぱりした気持ちで綾乃の部屋に戻ると、綾乃は寝る準備を済ませて待っていた。
「あ、お帰り。零斗って意外と長風呂なんだね。烏の行水かと思ってた」
「いや、綾乃の家の風呂が気持ち良かったからなんだけど……」
「どうしたの?」
「なんか変な感じだって思ってな。綾乃がこうして待ってるっていうのが」
「ちょっとわかるかも。それになんていうかこう、ちょっとドキドキする。あっ、変な意味じゃないからね」
「わかってるって。ドキドキしてるのは俺も同じだしな。というか今さら言ってもしょうがないけど、俺ホントにこの部屋で寝ていいのか?」
綾乃と同じ部屋で寝るのが嫌なわけじゃない。ただ単純に、恋人同士とはいえ男女が同じ部屋に泊まってしまっていいのかという疑問。そのあたり、何も言われなかったんだろうか。
「他に寝る部屋も無いし。まさか姉さんと一緒の部屋にするわけにもいかないし、幸太は……今ならオッケーするかもだけど、今日会ったばっかの人と一緒に寝るのも嫌でしょ?」
「まぁそれはな」
「それに、お父さんもお母さんも零斗のことは信用してるんだと思うよ。じゃないとさすがに部屋は一緒じゃなかっただろうし。今日一日一緒に過ごして、零斗の人となりを直に見て。零斗なら大丈夫だって思ってくれたんだと思う」
「そうか。綾乃的には問題ないのか? 俺と同室ってのは」
「うーん……」
「もしかして嫌だったか?」
「嫌ってわけじゃないよ。ただこう……今も緊張してるのに寝れるのかなって思って」
今からこの部屋で綾乃と一緒に並んで寝る。そう考えただけでなんか緊張するし、ドギマギもする。こんな状態で落ち着いて寝れるとは思えなかった。
「…………」
「…………」
「と、とにかく今日はもう寝よっか。零斗も色々あって疲れてるでしょ?」
「そ、そうだな。寝るか」
このままだと変なことを口走ってしまいそうで、俺は綾乃に話を合わせて寝ることにした。いつも俺が寝る時間よりは早いけど、まぁもういい時間ではあったしな。
「じゃあ電気消すね」
「あぁ」
布団に横になると綾乃が電気を消す。
真っ暗な部屋の中、エアコンの駆動音と時計の針の音だけが嫌に大きく聞こえる。
体は疲れてて、寝るのにちょうどいいはずなのに眠れない。今俺の隣の布団に綾乃がいる。そう意識するだけで眠気がどこかへ飛んで行ってしまう。
ヤバいなこれ。下手したら朝まで寝れないんじゃないか?
「……ねぇ零斗、まだ起きてる?」
「あぁ起きてるぞ。どうかしたのか?」
布団に横になってからしばらくして、綾乃が声をかけてきた。
「なんか寝れなくてさ。その……今言うことじゃないのはわかってるんだけど、ごめんね零斗。私の事情に零斗まで巻き込んじゃって。ホント、今更になっちゃうけど」
「確かに今更な話だな。でも謝られるようなことじゃないだろ。もし巻き込まれるのが嫌なら最初からここに来てないしな。もしそれでも気になるって言うなら」
「言うなら?」
「全部が無事に終わった後に俺の些細なお願いを叶えてもらおう」
「些細なお願いって、何?」
「今言ったら面白くないだろ。その時のお楽しみだ」
「ふふっ、じゃあわかった。あんまり無茶なお願いは止めてね」
「それは保証しかねるな」
「なんかもうわかったって言ったの取り消したくなってきた」
「ダメだ。言質は取ったからな。だから、そのお願いを聞いてもらうためにも明日綾乃には頑張ってもらわないとな」
「……そうだね、頑張る。ねぇ零斗、手出してくれる?」
「手?」
言われるがままに綾乃に向けて手を差し出す。綾乃はそんな俺の手を突然握ってきた。
「綾乃?」
「えへへ、ごめん。ちょっとやってみたかったんだよね。なんていうか、うん、いいね。ドキドキするけど不思議と落ち着くっていうか。今日はこのまま寝ていい?」
「仕方無いな」
「ありがとう。それじゃ改めておやすみ零斗」
「あぁ、おやすみ綾乃」
それからしばらくして、隣から綾乃の寝息が聞こえてきた。どうやら本当に手を繋いだまま寝てしまったらしい。
「どうしたもんかな……」
綾乃の手を振りほどくわけにもいかず、かといってこのまま寝れるほど図太くもない。こうしてる今も湧き上がる煩悩を押し殺すので必死なんだから。
「いっそこのまま……なんて、できるわけないか」
意気地無しの自分を情けなく思いながら、俺はしばらく眠れぬ夜を過ごすことになった。
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