第112話 追憶 始まりの日

〈綾乃視点〉


 あぁ、これは夢だ。

 オレが『桜小路綾馬』で居られなくなった日の夢。『性転換病』に罹ってしまった日の夢を。

 



 始まりは本当に突然で、朝からずっと体が熱かった。熱を測ってみたら体温が異常に高くて、オレは心配した母さんに病院に連れて行かれることになった。

 ただの熱、ただの風邪。母さんは大げさだとか思ってたんだけど。そこでオレに告げられた病名は『性転換病』だった。

 訳もわからず戸惑うオレと母さんを余所に、あっという間にオレの入院が決まった。専用病棟に移されたオレは面会謝絶となり、二十四時間の監視体制の中に置かれることになった。

 そこで出会ったのが愛園恋先生。オレの主治医となる先生だった。

 珍しくというか、まだほとんど人数のいない『性転換病』の専門医。まぁ専門医とは言っても治せるわけじゃないらしいけど。


「えっと初めまして。わたしは愛園恋だよ。一応医者なのかな。免許は持ってるんだけど……っとと、あんまり余計なこと言わない方がいいのかな。心配させちゃダメだもんね」

「あの……」

「あぁごめんね。君もまだ戸惑ってると思うんだけど。一応確認ね。名前は桜小路綾馬君でいいよね」

「……うん。そうだけど。オレはどうなるんですか?」


 この時のオレは不安でいっぱいだった。でも仕方無いだろ。ただの風邪だとか思ってたら『性転換病』とか言われたんだから。

 

「わかるよ。不安だよね。できる簡単に説明するね。これから君の身に何が起きるのかを」


 そして愛園先生はオレに説明してくれた。

 これからオレの体は少しずつ女になっていくらしいということを。そしてそれには凄まじい苦痛が伴うということを。それはもう聞いてるだけで恐ろしくなるようなことをツラツラと述べてくれたものだ。

 そんな愛園先生の言葉は嘘じゃなかった。その日の夜からオレは凄まじい苦痛に襲われることになる。

 髪が伸びる、骨が軋む。筋肉の断たれるような痛みが治まらない。叫んでも叫んでも、痛みが治まることは無い。

 そんな苦痛が三日間続いた。何度も死ぬと思った。というか死にたいと思った。死ぬことでこの苦痛から解放されるならそれでもいいと思うほどに。

 だけど四日目の朝、オレはその苦痛から唐突に解放されることになった。男としての体を完全に失うことで。


「…………」


 鏡に映る自分の姿を見る。顔つきはそこまで変わったわけじゃない。だけど違う。自分じゃない。そんな感覚。

 髪も腰まで伸びて、手も小さくなった。いや、手だけじゃない。身長もだ。数日ぶりに見た自分の体は男だった時とまるで変わってしまっていた。


「あー、あー……やっぱり声もか」


 当然だけど声も変わった。声変わりする前よりも高い声。自分の声なのに自分の声じゃないみたいな気がする。気持ち悪かった。気持ち悪くて気持ち悪くて仕方無かった。

 それから愛園先生の診察を受けて、オレの体に異常が無いことがわかった。いやまぁ、女の体になること自体が異常なことなんだけどな。

 面会謝絶になってから一週間、オレは家族と会うことが許された。駆けつけてきた家族達はオレの姿を見て驚いて、まずは無事だったことを喜んでくれた。

 後から聞いた話だけど、『性転換病』の初期の痛み、体の変化に耐えられずに亡くなる人もいるらしい。それも仕方の無いことだと思う。オレも正直死ぬかと思ったくらいの痛みだったし。

 

「リョウってばずいぶんとまぁ可愛らしくなっちゃって」

「うるさい」

「兄さん……なんだよな。ホントに」

「なんだよ幸太。兄ちゃんの顔忘れたのか?」

「いや兄さん全然顔変わってるだろ!」

「あははっ、そうだった。まぁでもオレはオレだよ。こんな風になったったけどな」

「でも本当に良かったわ。もうお母さん達心配で心配で」

「あぁ本当に。ここ数日はまともに食事もできなかった」


 その言葉は本当だったんだろう。父さんも母さんも、いや姉さんも幸太も若干やつれてたから。


「綾馬、体の方は大丈夫なの?」

「うん。一応先生からは問題無しって言われた。もう体の変化も終わったみたい」

「そう。良かったわ。春輝君も綾乃のことずいぶん心配してたわよ。また連絡してあげて」

「ハルが? ってそっか。風邪で休むって言ってから何も連絡してなかった。わかった、また連絡しとく」


 それから少しの間みんなと話して、みんなが帰った後のこと。

 オレはずっと抑え込んでいた気持ち悪さを堪えきれずにトイレで戻した。これは体調のせいじゃない。どっちかって言うと精神的な方だ。

 話してる間ずっと自分が自分じゃないみたいで気持ち悪かった。『性転換病』の罹った人の中にはその変化を受け入れられない人もいるって話は知ってたけど、なるほど確かにそう簡単に受け入れられるものじゃない。

 それからしばらくベッドで横になったオレは、少し気分が落ち着いたところで母さんから言われてたことを思い出した。


「……そうだ、ハルに電話しよう。やっと落ち着いたんだし」


 そう思ってスマホを取り出したけど、オレの手は電話をかける直前で止まってしまった。

 怖かった。もしハルに電話をかけて「誰だ?」なんて言われたらどうしようって思って。いや、たぶんこのままかけたら十中八九言われる。だってオレだって今のオレの声を受け入れられてないんだから。

 結局悩んだすえにオレは電話を止めた。短いメッセージだけ送ってスマホを放り投げる。


「これから先……オレ、どうなっちゃうんだろう」


 先の見えない不安と孤独感がオレのことを苛み続けていた。

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