第110話 尽きぬ後悔と間違い

〈春輝視点〉


 その日もなんでもない一日になるはずだった。そのはずだったんだ……。




 朝、俺は日課となっているランニングへと出かけた。

 とくに目的があってやってるわけじゃない。ただなんとなく、走ってる間は余計なことを考えなくて済むから。理由があるとしたらそれだけだ。日課になったのも高校生になってからだしな。

 そしていつも通り走っていた時、俺は予想外の人と出会ってしまった。


「あ、春輝君?」

「っ!」


 不意に聞こえてきた声に思わず足を止める。その声の主のことを俺はよく知っていた。

 昔から何度もその声で名前を呼ばれてきたんだから。


「……おばさん」

「わぁっ、久しぶりね! 春輝君ってばカッコよくなっちゃって」

「そんなことないと思うけど」

「ううん、すっごくカッコよくなったと思う。ますます修治君に似てきたんじゃない?」

「ども」


 声をかけて来たのは俺にとってなじみ深い人物。俺の幼なじみの、幼なじみだった桜小路綾馬の……いや、今は綾乃だったか。その母親である幸恵さんだった。

 だけど今の俺がその人に声をかけられるのは……正直しんどかった。だってそうだろ。一体どの面さげて話をしろってんだ。俺はおばさんの大事な息子を……娘を傷つけたっていうのに。


「最近はどうしてるの?」

「どうって言われても。まぁ普通に。特に何もやることがないから」

「……ねぇ春輝君。あなたもしかしてまだあの子のことを」

「っ! ごめんおばさん、俺今日は予定があるから」

「あ、春輝君! 実は今日綾乃が――」


 俺はおばさんの言葉を振り切るようにして走り出す。何か言おうとしてたみたいだけど、その言葉を最後まで聞くことはなかった。

 おばさんが俺のことをどう思ってるのかなんてわからない。でも恨まれてても仕方無いと思ってる。それだけのことを俺はしたんだから。

 このままじゃダメだってのはわかってるさ俺だって。でもじゃあどうすればいいんだ。謝って済む問題でも無い。そもそも謝る相手がここにはいない。

 何度あの日を後悔しただろう。何度あの日をやり直したいと思っただろう。でもたらればの話に意味はない。どうすればいいのかわからないままただ無為に日々だけが過ぎていく。


「情けないな、ホントに」


 走り終えた俺はシャワーで軽く汗を流す。

 その後、喉を潤そうと冷蔵庫を開けてお茶を飲んでいると朝ご飯を食べてた母さんがふと思い出したように言ってきた。


「そうだ春輝、実は兄さんがもうすぐ帰ってくるらしいの」

「え? 兄さんが?」

「そう。明日か明後日かって話だけど」

「ずいぶん急だな。ここ最近は全然帰って来てなかったのに」

「さぁねー。私も詳しくは聞いてないから。もしかしたら朱音ちゃんと何か進展があったのかもしれないわよ」

「……朱音さんとか」


 それがもし本当だったとして、俺は喜べばいいのかどうするべきなのか。もちろん本当にそうなったら祝福はするけど。

 朱音さんはどう思ってるんだろうな。今はあいつと一緒に住んでるって話だけど。もし兄さんが帰ってきたら話を聞けるかな。


「また帰ってきたら教えてくれ」

「それはいいけど。どこか行くの?」

「友達と出かける。夕方には帰ってくるから」

「そう。わかった」


 まぁ出かけるって言っても、行く場所は図書館なんだけどな。俺は夏休みの宿題を鞄に詰めて出かける。

 俺が図書館の前に着くと、そいつはもう入り口の前で待ってた。

 友井大輔。高校に入ってからできた友達だ。何が楽しいのか俺のことをよく遊びに誘ってくる。まぁ今日は遊ぶんじゃなくて宿題が目的なんだけどな。


「おっす春輝。ってどうした? なんか元気ないじゃねぇか」


 友井は普段はふざけた奴なのに、そういう細かい所には気がつくんだよな。


「いや、なんでもない。大丈夫だ。それより今日はちゃんと集中しろよ。前みたいに女の子がいるからって声かけるのは無しだ」

「わかってるって」

「全然信用できないんだよお前のその言葉は」


 図書館の中に入った俺達は夏休みの宿題を進める。って言っても、俺の分はほとんど終わってるからこいつの手伝いなんだが。


「なんでもう夏休みの後半になろうってのに白紙ばっかりなんだよ」

「いや宿題なんか一気にやるもんだろ。先にやってようが残ってようが一緒だって」

「あのな、こういうのはちゃんと計画的にやらないとしんどい思いするのはお前なんだぞ」

「お前は先生かよ。だいたい多すぎるんだよ課題が。夏休みなんだから休ませろっての」


 ブツブツ文句を言いながらも宿題を進める友井。俺はその手伝いをしながら、自分の課題と平行してテスト勉強をする。こんな機会でもないと真面目に勉強できないしな。

 そうして勉強をすることしばらく、案の定というか友井の集中力が切れた。


「なぁなぁ春輝」

「図書館では静かにしろよ」

「わかってるって。でもちょっとくらいいいだろ。あのさ、周り見てみろよ」

「周り?」


 言われて周囲を見回す。でも特段変なところは無い。

 

「周りがなんだよ」

「わかんないのか? どこ見てもカップルだらけじゃねぇか」

「はぁ?」


 言われてもう一度周りを見る。確かに友井の言う通りカップルは多いけど、でもだからなんだって話だ。


「いいよなー。きっと二人でキャッキャしながら課題やってんだぜあれ。『ねぇここわかんなーい』『どこだ? 俺に見せてみろよ。まったく仕方ねぇなお前は』ってな」

「なんだよそれ。いいから黙って課題しろって」

「ちぇっ、あー、俺も彼女欲しいー。彼女と海とか行きてー。お前はそういう願望ないのかよ」

「無い」

「つまらねぇやつ。この間もあんな可愛い子に告白されたのに断っちまうし。はっ! もしかしてお前……男の方が好きなのか? いや、大丈夫だ。俺はそういうのにもちゃんと理解があるからな」

「ち・が・う。いい加減にしないとそろそろ本気で怒るぞ」

「冗談だっての」


 それからお昼を挟んで一日中俺達は夏休みの宿題を進めた。俺はほとんどの課題を終わらせて、友井の奴もある程度は終わったみたいだ。まぁ後半は集中力も切れてあんまり進んでなかったみたいだけどな。


「あー、もう夕方かー。マジで一日課題で潰れたな」

「それが目的だっただろ。最終日に焦るよりはずっといい思うぞ」

「そう思うしかないかー。なぁコンビニ行こうぜコンビニ。俺アイス食いたい。疲れた頭に糖分補給ってな」

「補給が必要なほど頭使ってるようには見えなかったけどな」

「ひでぇっ!」


 その後も他愛の無い話をしながらコンビニへと向かう。


「そう言えば今度この辺で夏祭りあるんだろ。春輝は行くのか?」

「夏祭りか……」


 夏祭り、中学の時までは毎年行ってたけどな。でもさすがにもう行く気にはなれない。行ってもあいつのことを思い出すだけだからな。


「俺は行かないな」

「なんだよつまんねぇーの。って、まぁ俺も行く気ないんだけどな。あんなカップルの巣窟に行ったら俺が爆発しちまう」

「なんだよそれ」


 そんな話をしながらコンビニにたどり着いたその時だった。

 コンビニから出てきたのは一人の少女。その姿を見て俺は頭が真っ白になった。隣にいる友井のことも頭から消え去って、ただ目の前の少女に目を奪われて立ち尽くす。


「おい春輝。急に立ち止まってどうしたんだよ。ってうわ! めっちゃ可愛い子! おいまさかこの子に一目惚れしたとか言うんじゃないだろうな春輝。春輝? どうしたんだよ」

「リョウ……」


 その名前を呟いた瞬間に俺は後悔した。だってそれは今のこいつの名前じゃないから。聞こえてないでくれ。思わずそう願わずにはいられなかった。でも、俺がそう言ったことへの反応は顕著だった。


「っ!」


 その目に浮かぶのは驚きと戸惑い、そして僅かな恐怖。

 桜小路綾馬……いや、今は綾乃か。俺の幼なじみで、一番の親友だった奴。

 何か言うべきだってわかってた。でも言葉が出てこない。何を言えばいいのかわからない。

 止めろ、止めてくれ。俺をそんな目で見ないでくれ。

 言いたいことも言うべきこともいくらでもあるはずなのに、それどれもが言葉になってくれない。


「ハ……ル……」


 よく知ってるはずのそいつは、俺の聞き慣れない声音で俺のことを呼ぶ。

 そして俺が口を開こうとしたその瞬間、リョウが崩れ落ちるようにして倒れる。


「あ、おい!!」


 この日、俺はまた間違えてしまった。後悔してもしきれないほどの間違いを、また犯してしまったんだ。

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