第100話 ステップアップ?

〈綾乃視点〉


 海と言えば夏の定番、みたいなとこはあると思うけど実際に海で泳ぐ経験って実はそんなに無い気がする。

 いや、更紗みたいな基本趣味がアウトドアな人ならそんなことないんだろうけどさ。でもオレみたいなインドア趣味の人間が海に行くぞ、なんてなることは滅多にない。

 母なる海なんて言われ方もするけどさ、その母なる海に来たことなんてそれこそ片手で数えて事足りるくらいだ。別に海が嫌いとかそういうわけじゃないけど。

 でもいざこうして海に来るとそのすごさを実感するというか。どこまでも広がる水平線に、プールなんかとは比較にすらならないほどの水量。

 うん、まぁ長々と何が言いたいのかと言えばオレはいまものすごく感動してる。海に来て感動するなんてことがあると思ってなかったんだけどな。


「ぷはっ」


 海中を泳いでいたオレは息が続かなくなって海面に顔を出す。

 

「ねぇ零斗。海の中すっごく綺麗だよ」

「こんな場所だからもっと汚れてたりするかと思ってたんだけどな。意外と澄んでて綺麗だ。まぁこの辺はちょっと人の多い場所から離れてるからってのもあるんだろうけど」

「だね。ちょっと離れて良かったかも」


 そう言って零斗と笑い合う。

 オレと零斗がいるのは遊泳許可範囲のギリギリの場所だ。ほとんどの人は砂浜近くの海辺で遊んでるから。でもあっちの方は人が多すぎてしんどいっていうか。

 更紗が穴場を教えてくれて良かった。

 海から出たオレ達は岩陰で休憩する。今いる場所は大きい岩が多いから周囲から見えない位置だ。

 ずっと泳いでたからさすがに疲れた。みんなの所に戻ってもいいけど、まぁ休憩してからでもいいだろう。

 それに、せっかくだからもうちょっとだけ零斗と二人で居たい。それになんかこういうのって恋人同士の定番みたいなとこあるし。海、岩陰、二人きり……。


『夏、海、恋人同士にはぴったりだよねー。ステップアップのチャンスじゃん!』


 不意に脳裏で更紗の声がリフレインする。

 瞬間、ボッと頬が熱くなる。いやいや待て待て。いくらなんでも短絡的過ぎる。そういうのはもっとちゃんと順序を踏んでからだってば。

 なんかもうダメだ。最近ずっとこんなことばっかり考えてる気がする。それもこれも更紗のせいだ!

 この場に居ない更紗へ悪態を吐きながらオレは湧き上がる欲求を封印する。


「きょ、去年の今頃はまさかこうやって零斗と海に来るなんて思っても無かったな」


 恥ずかしさを誤魔化すように口を開く。幸いというか、オレの様子が変だったことに零斗は気付かなかったみたいだ。


「それは俺もだな。というかそうか。綾乃と会ったのも去年の今頃だったな。あの頃の綾乃と言えば――」

「あぁもうその時の話はいいから!」


 ヤバい。自分の気持ちを逸らそうとしたらまた別の話を掘り出してしまった。

 零斗と初めてあった時のことは若干黒歴史……いや、そこまでではないけど。でも今は思い出したくない。あの時のオレはまだ男としての意識もそれなりに強かったから零斗への態度もかなりアレだったし。


「あの頃はあの頃で楽しかったけどな」

「私にとっては忘れてほしい記憶だけど」

「忘れるわけないだろ。お前との思い出は全部大事だからな。なーんて、さすがにちょっとキザ過ぎたか」

「それ水沢君の真似?」

「バレたか」

「そういうの零斗には似合わないと思うけど」

「ははっ、だよな。あぁいうのは司みたいなイケメンがやって初めてさまになるんだよな」

「零斗だって十分カッコいいと思うけど……」

「ん? なんか言ったか?」

「なんでもないっ」


 そうか、とだけ言って零斗は海の方に目を向ける。

 なんかちょっとムカついてきた。オレばっかりドキドキさせられて。零斗は余裕の態度で。

 だから、少しくらいならいたずらしたって許されるはずだ。

 オレはこみ上げる恥ずかしさに耐えながらスススッと零斗に体を寄せて腕を絡める。水着だから完全に肌と肌が密着してるし。


「っ!? ど、どうしたんだよ急に!」


 フッフッフ、動揺してるな零斗。密着してるから心臓の鼓動が早いのが丸わかりだ。

 いつも余裕の表情してるからだ。ざまぁみろ。

 でも、だけど……オレもめっちゃ恥ずかしい! さっきから心臓がうるさくてしょうがない。きっと顔は真っ赤になってる。でもここまでしたらもう後には引けない。


「ど、どうしたも何も、ちょっと寒かったから。お、泳いで体が冷えたのかも。だから……もうちょっと」

「はぁ……お前なぁ……」


 寒いなんて嘘だ。体が熱くてしょうがない。今さらながらオレはなんて大胆なことを……。こんな姿他の誰かに見られたら恥ずかしくて死ねる。

 でもこれで零斗もちょっとはオレの気持ちがわかったはずだ。

 オレの零斗へといたずらは完遂した……したんだけど、なんとなく離れたくなくて気付けばそのままの格好で時間だけが過ぎていく。

 波の音だけが聞こえてくるなかで、オレはふとあることを思い出した。そう、すごく大事なことを。


「ねぇ零斗。私の水着、どうかな?」

「水着!?」

「零斗のために選んだのに、何も言ってくれないから。ちょっとくらい褒めてくれるかも、とか……期待しなかったわけじゃないし」


 零斗のためじゃなかったらこんな黒のビキニみたいな水着なんて着ない。この日のためにスタイルだって維持した。


「もしかして……似合ってない?」

「そんなわけないだろ! 似合ってるよ。似合い過ぎてて……目のやり場に困るくらいには」

「ふふっ、なにそれ。でもそっか。良かった♪」

「っ! はぁ~~~~っ、お前ってほんとに」


 急に零斗が体の体勢を変えてオレのことを抱きしめてきた。

 ホントに突然だったせいで頭が真っ白になって何も考えられない。


「綾乃、お前俺が普段どんだけ我慢してるか知らないだろ」

「えっ? えっ? えっ??」


 いつになく強引な零斗。

 なんかもう心臓が爆発しそうだし、脳が沸騰する。

 ただ金縛りにあったみたいに零斗から目が離せなくて。

 それでも零斗が何をしようとしてるのかはわかってた。


「い、いいよ……」


 それだけ言うのが精一杯だった。

 俺はギュッと目をつむってその時を――。


「あのー……」

「「っ!?」」


 急に聞こえた第三者の声にオレと零斗は弾かれるように離れる。


「ごめん、邪魔しちゃったみたい」


 そこに居たのはばつの悪そうな顔をした更紗だった。

 なんで、どうして更紗がここにいるのかと頭が混乱する。


「いや、二人がなかなか戻ってこないからもしかしてここにいるのかなーとか思って見に来たんだけど……ホントごめん、綾乃、白峰君」

「~~~~~~っ! 更紗―――――――っっ!!」


 オレの絶叫が岩場にこだました。


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