第88話 三人で囲む食卓
その日、綾乃は柄にもなく緊張していた。
そわそわと落ち着かない様子で何度も時間を確認する。
「ふぅ、ダメだぁ。もうちょっと落ち着かないと。料理でもしてたら落ち着くかと思って無心で料理してたけど……」
チラッと机の方を見る綾乃。そこには机の上にびっしりと並べられた料理の数々。唐揚げ、ハンバーグ、ポテトサラダ、グラタンにピラフに小籠包と作れるだけ作りましたといった様相だった。
「いやいや、三人でこの量はいくらなんでも多すぎるでしょ。私ってバカなのかな? いやそんなことはないはず。だって今回の期末テストだってちゃんと一位だったし。まぁでも作っちゃったものは仕方無いか。修治さんに頑張ってもらおう」
綾乃がそわそわしていた理由。それは修治が家にやってくるからだった。
一度キチンと話をする。そう決めた綾乃は朱音に頼んで場を設けてもらうことになったのだが、それが今日なのだ。
レストランなどに行く案もあったが、慣れた場所の方が良いだろうということになったり場所は綾乃の家となった。
そして現在時刻は午後六時過ぎ。七時までには帰れると思うという朱音の言葉もあって、綾乃はずっとソワソワとしていたのだ。
「やっぱり零斗も誘って……いやいや、だからそれは止めようって決めたでしょ綾乃。いつもいつも零斗に頼ってたら依存的なあれになっちゃうから。それはよくない。今回はちゃんと自分で話すって決めたんだから」
もうすでに何度目になるかわからない自己問答。答えは出ている。答えは出ているのだが、その答えを受け入れきれない自分がいる。そんなやり場のない感情の結果が机の上に所狭しと並べられた大量の料理だ。
「えーと、とりあえず準備は終わった。朝の内に部屋の掃除は済ませたし。まぁ、毎日掃除してるから特別掃除する場所なんてなかったんだけど」
部屋中をあっちへいき、こっちへいきの右往左往。結局落ち着かないまま綾乃は朱音と修治が来るのを待っていた。
そうして待ち続けること約十五分。玄関の開く音がして二人分の足音が家の中へと入ってくる。
「ただいま綾乃ー。帰ったよー」
「お、お邪魔します」
「あはは、シュウってなんか緊張してない?」
「別に緊張してるわけじゃない! ただその、なんて言うんだ。心拍数がいつもよりも上がってるだけだ」
「それを緊張って言うんだよ」
聞こえてくる声に綾乃まで心臓がバクバクと早鐘を打ち始める。しかし逃げ場などあるはずもなく、その時はやってきてしまった。
「ただいま綾乃ー。シュウも一緒だよ」
「ひ、久しぶりだな綾乃」
「お、お久しぶりです修治さん」
修治と上手く目を合わせられない綾乃は気付けば服の裾をキツく握っていた。
「ん~、はいっ! とりあえずご飯にしよ。あたしもうお腹空いちゃった」
「あ、うん。わかった。えっと、料理はあっちに用意してるよ」
「さっきからずっと良い匂いして……ってうわっ! な、なにこの料理の量!」
「ご、ごめん。なんか気付いたら作り過ぎちゃって」
「三人しかいないのにこの量は……えー、いくらなんでも厳しくない?」
「それはわかってるんだけど。でも、なんか気付いたらこんなにいっぱい……」
「限度ってものがあるでしょ!」
「まぁ修治さんいるしなんとかなるかなーって」
「ならないから! あぁもう、綾乃ってば昔からたまにやらかすんだから」
「別にやらかしては……まぁちょっとだけやらかしたかもだけど。でも修治さんならなんとかしてくれるはずだから!」
綾乃と朱音のやりとりを見ていた修治はふと過去の情景を思い出した。
綾乃がまだ『性転換病』に罹る前。修治が高校生だった頃のことを。
その頃にもこうして綾乃と朱音が言い合うようなことがあった。たとえ姿が変わっても、雰囲気が変わっても、変わらないこともあるのだと。
そのことが修治には嬉しかった。気付けば最初にあった緊張はどこへやら。肩の力も抜けていた。
「まぁ落ち着け二人とも。喧嘩しても目の前の料理が無くなるわけじゃないしな。俺も食べられるだけ食べるから早く食べよう。俺もお腹空いたからな」
「もう、修治はいつもそうやって綾乃のこと甘やかして」
朱音と修治が隣り合って座り、その向かいに綾乃が座る形で席に着く。
「それじゃあまずは食べよっか。いただきます」
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ。姉さんはともかく修治さんの口に合うといいんですけど
「あたしはともかくってどういうこと」
「だって姉さんは私の作る料理よく食べてるし。好きでしょ私の料理」
「うぅ、否定できない。ごめんシュウ。あたしの胃袋は綾乃にがっちり掴まれちゃってるの。あ、この唐揚げ美味しい」
「どれどれ……って、美味いな! これホントに綾乃が作ったのか?」
「どういう意味ですかそれ」
「あ、悪い。別に他意があるわけじゃないんだ。ただ思った以上に美味しかったからつい」
「まぁそりゃびっくりするよね。あたしだって綾乃がここまで料理上手になるとは思ってなかったし。でも今日の唐揚げいつもと味違うけど、味付け変えたの?」
「前まではお母さんから教えてもらった味付けだったんだけど……」
「ど?」
「その、菫さんからちょっと教わって」
「あ、ふーん……なるほど、そういうことかぁ」
「~~~~~っ」
朱音に味付けを変えた理由を察せられた綾乃は恥ずかしさに顔を真っ赤にする。
「どういうことだ?」
「菫さんっていうのは零斗君、綾乃の彼氏の妹さんなんだけど。つまり綾乃は零斗君好みの味付けを覚えようとしてるんだよね」
「ね、姉さん! 事細かに全部説明しなくていいから!」
「なるほど。そういうことだったのか。でもこの味なら問題ないんじゃないか?」
「ありがとうございます。あ、こっちのポテトサラダも自信あるんです。良かったら食べてください」
和気藹々と食卓を囲む三人。目の前の光景は修治に過去を想起させ、しかし同時に過去とは決定的に違うのだと感じさせるものだった。
そうしてしばらく食べ続けた後、修治は意を決したように箸を置き、本題を切り出した。
「綾乃、本当にすまなかった」
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