第74話 雨の車内で

〈綾乃視点〉


「…………」

「…………」


 雨が窓を打つ音だけが車内に響き渡る。

 オレも修治さんも何も言わない。話さない。ううん、違うか。オレが話しかけづらい雰囲気を出してるせいだ。座ってるのも助手席じゃなくて後部座席。

 自分でも思わず笑いそうになるくらい露骨だ。なんて子供っぽいんだろう。


「……ありがとうございます」

「え?」

「迎えに来てくれて、ありがとうございます。姉さんに頼まれて来てくれたんですよね」

「あ、あぁ! そうなんだ。ちょうど俺も用事でこっちの方に来ててな。朱音もそれは知ってたから」


 オレから話しかけると修治さんは水を得た魚のように話始めた。たぶんずっときっかけを伺ってたんだろう。それくらいはわかる。だってオレにとっては兄さんみたいだった人のことだから。


「それにしてもついてなかったな。急に雨に降られるなんて。置き傘とかしてなかったのか?」

「そうですね。今度からはそうするようにします」


 別に本当のことを話してもよかったはずなのに……なんでだろう、そんな気にはなれなかった。


「……なぁ綾乃ちゃん」

「綾乃でいいですよ」

「じゃあお言葉に甘えてそう呼ばせてもらう。綾乃、その敬語を止めるつもりはないのか?」

「…………」


 ミラー越しにこっちを見る修治さんから目を逸らす。

 まぁそりゃそうだ。前まで敬語なんて使わずに話してきてた相手が突然敬語使い出したら気になるよな。というか壁を作ってるって思われても仕方ない。実際に壁を作ってるわけだし。


「中学生の頃の私は年長者を敬うことをしてませんでした。その時のことを反省して今はこうして敬語で話してるんです。高校二年生になって、多少は成長したつもりなので」


 わけのわからない理由だ。別にそんなの敬語を使う理由として成立してない。思ってもないことを口にして、こっちを気遣ってくれてる修治さんを遠ざけようとする。そんな自分がどうしようもなく嫌になる。


「そうか……綾乃も高校二年生なんだよな。最後に直接あったのが中学三年生の時だから、一年以上会って無かったことになるのか。はは、なんか不思議だな。前は最低でも週に一回くらいは会ってたのにな」

「……昔の話です」

「俺からしたらちょっと前のことなんだけど。まぁ高校生からしたら一年以上前のことは昔のことになるか」


 そんなわけない。オレだってその時期のことは鮮明に覚えてる。オレがこうなる前は、修治さんと姉さんと、そしてあいつとずっと一緒に……。


「……っ」


 思わず歯を食いしばる。あいつのことを思い出すと胸がジクジクと痛むから。

 だから極力思い出さないようにしてたのに。

 零斗……零斗に会いたい。今だって零斗が居てくれたらオレはこんな惨めな気持ちにならなかったのに。

 違う! そうじゃない! オレはバカか。いったいどこまで零斗に甘えるつもりなんだ。

 これはあくまでオレの問題で、オレが解決しなきゃいけないことで。こんなんじゃダメなんだ。

 頭ではそう理解してる。だけどオレの手はこの場にはいない零斗の温もりを求めてしまう。

 あぁ、オレはなんて弱いんだろう。


「いや、そうだな。わかってるんだ。本当は俺が会いに来るべきじゃなかったってことくらい」

「え?」

「あの時のことは俺も知ってる。あいつから……春輝から聞いたからな。あのバカがしたことは許されることじゃない。それで綾乃がどれだけ苦しんだかは、正直俺なんかには想像もつかない。それなのにあいつの兄である俺が綾乃の前に現れたら嫌でもあいつを連想して君のトラウマを刺激する。そんなことはわかってたんだ」

「だったらどうして……」

「謝りたかった。あいつの兄として、そして君の兄貴分だった存在として」

「…………」

「こんなのは自己満足だって言われてもしょうがない。それでもだ。綾乃、すまなかった。あの時君の苦しみに気づいてやれなくて。俺は兄貴失格だ」

「別に……別に修治さんが謝ることじゃないですよ。それこそこれは私の……私とハルの問題ですから」


 修治さんは責任感が強い人だから。ずっと気に病んでたんだろう。

 オレのこともハルのこともよく知ってる人だから。

 だからわかってた。オレに謝りたいって気持ちも本物だけど、それ以外の目的もあるってことは。

 あぁ、今のオレはどんな顔をしてるだろう。たぶんきっと、すごく嫌な顔してる。


「……車に乗った時から、なんとなくこんな話になるだろうなってことはわかってました。だって触れないわけにはいかないですもんね。だから私も遠回しな言い方は止めることにします」

「?」

「修治さんはこう言いたいんですよね。『ハルと仲直りするつもりはないのか』って」

「いや、そんなことは」

「いいんです。わかってますから。修治さんはハルのお兄ちゃんだから。仲が良かった頃の私とハルを知ってるから。だから仲直りして、あの頃みたいにって、そう思っちゃうんですよね」


 堰を切ったように言葉が出て来る。オレの中にずっとずっとあったものが。


「だけど、私はもうオレじゃないんですよ。オレにはなれないんです。私には私の大切なものがあって。ハルにはハルの大切なものがある。それでいいじゃないですか」

「だけどあの時のことはハルも後悔して――」

「後悔してたら無かったことになるんですか?」

「っ!」

「ハルが後悔して、間違ったって思ってたとして。それで私に言ったことが無かったことに、私の苦しみが無かったことになるんですか? 違いますよね。あの時の苦しみは一生無くならないんです」


 なんて醜い。関係ない修治さんに気持ちをぶつけて。修治さんの心を傷つけてる。

 だけど私は『オレ』を止められない。


「何もわかってないのに、勝手なこと言わないで」


 車が止まる。ちょうどオレのマンションに着いたようだった。

 何も言わない修治さんから目を逸らしてオレは車を出る。


「……送っていただいてありがとうございました」

「……あぁ」

「この後は姉さんのところに?」

「そうだな。朱音ももうすぐ仕事が終わるって言ってたから。このまま迎えに行くつもりだ」

「だったらそのまま二人でデートにでも行ってきたらどうですか? 今からの時間だと夜ご飯だけで終わりになりそうですけど」

「だったら綾乃も一緒に」


 本当にこの人は……あれだけのことを言ったオレに対して、どこまでも優しい……優しすぎる。だけどその優しさは今のオレには毒でしかない。


「恋人同士の語らいを邪魔するほど私は無粋じゃありませんから。姉さんにもそう伝えてください。それに……今は少し一人になりたいので。それじゃ本当にありがとうございました」

「あっ、あや――」


 何か言いかけた修治さんの言葉を聞く前にドアを閉めてオレはマンションの中へと駆け込む。エントランスの中にまでくれば修治さんも追ってはこれない。

 そのままエレベーターに乗り込んだオレは思わず天井を仰ぐ。


「最低だ、私……」


 久しぶりに会った修治さんとの会話は、そんな最悪の形で終わったのだった。

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