第60話 恋敵

「まぁ経緯って言っても、そこまで大層なことがあったわけじゃないんだけどね。零斗と出会ったのは去年の夏休みのことだったんだけど。それこそ色んな要素が重なって、バレちゃったんだよね。私が『性転換病』だってことが」

「事故だったんですか?」

「事故だね。だってこのことは誰にもバラすつもりはなかったし。そのためにこの学園に来たんだしね。だから最初はすごく焦ったんだよ。あの時は零斗がどんな人なのかも知らなかったから、バラされるんじゃないかって戦々恐々とする毎日で。だから、見張るしか無いってそう思ったの。それが始まりだった」


 秘密を握られてしまったことによる恐怖。それが綾乃が零斗と関わるようになった最初の理由だった。でも今から考えれば、それが始まりだったのかもしれない。

 それをきっかけに綾乃は零斗のことを意識するようになったのだから。そして知られてしまっているからこそ、他の誰とも違う接し方ができた。


「出会い方があれだったから、最初こそずっと警戒してたけど……ほら、零斗ってあんな感じでしょ? なんかその内警戒するのも馬鹿らしくなっちゃって。気づいたら友達になって、零斗といる時だけは素の自分で居られるようになっていった」


 その後に紆余曲折あって生徒会長に立候補することにもなったのだが、零斗を協力者として指名したのも零斗を見張るためという大義名分のもと、一緒に居たいという思いの方が強かったのかもしれないと今の綾乃はそう思っている。安らげる場所を、本能的に求めたのだ。


「一緒にいると楽しくて、肩の力が抜けるというか。たぶん零斗がいなかったらどこかで張り詰めすぎてダメになってたかもしれない。今はそう思ってる。だから私は零斗の存在に救われてたのかもしれない。私でも知らないうちに。だからさ、そんな零斗に惹かれるようになったのはある意味で必然だったのかもしれない。だけど、問題はそこからだった」

「問題?」

「菫さんならわたしの気持ちがわかるかもしれない。私は『性転換病』の罹患者だから。あのね、別に性別が女になったからって趣味とか思考まで女性になるわけじゃないんだよ」

「あ……」


 その一言で菫はわかってしまった。綾乃が抱えた苦悩の正体に。

 それは好きになってはいけない人を好きになってしまったのではないかという思いだ。


「元からそういう思考の人だったなら受け入れられたのかもしれない。だけど私はそうじゃなかったから。それまでずっと普通の男として生きてきて、これからもずっとそうだと思ってたから」


 『性転換病』に罹るまでの綾乃はあくまで普通の男子中学生だった。いつか普通に好きな人ができて、付き合ったりするかもしれないと、そんなことを考えていたどこにでもいるような普通の中学生。

 だからこそ、そんな自分の気持ちの変化を素直に受け入れることはできなかった。


「私なんかが零斗のことを好きになっちゃいけないと思った。だからずっと見ない振りをしてた。自分の気持ちを。この想いを」


 菫と同じだった。ずっと自分の気持ちに蓋をし続けて。でも気持ちは膨れ上がる気持ちは抑えきれなくて。それが爆発したのは零斗がほたるに告白された一件だった。


「でもね、結局どれだけ誤魔化したって、見ないようにしてたって、気持ちが無くなるわけじゃないんだよ。だから苦しかった。だけどそんな時に……零斗が私に告白してくれたの。もちろん戸惑ったし、どうして私のことをって思ったし、そんな気持ちを零斗に直接ぶつけちゃったりもしたけど。零斗はそんな私のことを受け入れてくれた。好きだって言ってくれた」


 綾乃が菫の気持ちを受け入れたように、認めたように。綾乃の気持ちは零斗が受け入れ、認めてくれた。自分を認められる。それがどれほど嬉しいことか、今の菫にはそれが理解できる。


「これが私が零斗と付き合うことになった経緯だよ」

「……そうだったんですね」


 もちろん菫が知らない話もある。二人が仲を深めるきっかけとなった、二人だけの物語が。

 しかし結果として綾乃は零斗のことを好きになり、零斗もまた綾乃のことを好きになった。それが全てだ。


「だからね。他の誰かじゃダメなの。私には零斗しか居なくて、零斗以外の誰かなんて考えられない。私はこれから先もずっと零斗と一緒にいたい」


 それは綾乃の持つ狂愛の片鱗。零斗と一緒にいるためならばなんでもする。なんだってできると綾乃は本気でそう思っている。

 そして菫だけはそんな綾乃の想いを理解できてしまった。


「だからごめんね。私は誰にも零斗の隣は譲らない」


 それは菫にとってあまりにも残酷な宣告だった。

 綾乃は菫の恋を認めた。しかし同時に菫の恋路を否定したのだ。


「自分でも酷いこと言ってるのは自覚してると。あんなこと言っといて、都合の良いことを言ってるってことも。だけど、これが私の本音だから」

「…………」


 綾乃の言葉に菫は何も返せなかった。

 何よりも綾乃の本当の気持ちが伝わってきたから。

 綾乃の零斗を想う気持ちが菫と同じく、あるいは菫以上に本気だとわかってしまったから。


「わたしは……」


 それでも、綾乃が本気で向き合ってくれたならば菫もまた本気で綾乃と向き合わなくてはいけない。だからこそ菫は初めて自分の意思で、自分の気持ちに正直になることにした。


「綾乃さんの気持ちはわかりました。兄さんとのことが本気だってことも。でも……だけど、わたし、やっぱりあなたのことを兄さんの彼女だとは認められません」

「えっ」

「兄さんの隣は誰にも譲りません。今はあなたが兄さんの隣に立ってるかもしれませんけど、いつかその場所にはわたしが立ってみせます」


 それは宣戦布告だった。

 綾乃に恋路を否定された。しかしそれは菫にとってもう恋を諦める理由にはならなかった。ずっと捨てるべきだと思っていた想いは綾乃に認められた。

 だったらもう菫に恐れるものなど何もない。自分の想いのままに進むだけだ。


「わたしはもう……自分の気持ちを否定しません」

「……そっか。いいよ、わかった。受けて立つ。だけど絶対に私は負けないから」


 まっすぐ綾乃のことを見つめる菫。その眼に秘められた強い意志を見て、綾乃はふっと笑みを浮かべた。

 綾乃は菫に手を差し出し、菫はその手を握った。

 この瞬間にようやく綾乃と菫は対等な関係に――恋敵ライバルになった。

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