第28話 二人の時間

 思考がふわふわと浮かんだり、沈んだりしていく微睡みの中で綾乃は自分以外の誰かの気配を部屋の中に感じてゆっくりとその目を開けた。


「ん……おねえ……ちゃん?」

「悪いな。俺は朱音さんじゃない」

「え?」


 今この部屋にいるとしたら朱音だと思っていた綾乃だったが、返ってきた声は綾乃の予想とは全く違うものだった。

 その声を聞いた瞬間に、微睡みの中にあった綾乃の意識が一気に浮上する。意識の浮上に合わせて体も跳ね起きるようにしてベッドから起き上がった綾乃が目にしたのは、バツの悪そうな顔をしている零斗の姿だった。


「な、な、ななな、なんで零斗がここにいるの!? え、夢? もしかして夢? 私まだ夢の中にいるの!?」

「落ち着けって! 夢じゃない、夢じゃないから!」


 わたわたと慌てふためく綾乃のことをなんとか落ち着ける零斗。綾乃が少しだけ冷静さを取り戻したのを確認した零斗は、なぜ自分が綾乃の部屋にいるのかを説明した。


「昨日と今日お前が休んでたからプリント持って来たんだ。明日は休みだからな。でも持って来たらそのまま朱音さんに家の中まで招き入れられて……気づいたらこうなったわけだ」

「なるほど。お姉ちゃ……姉さんのせいでこうなったわけだ。ホントにあの馬鹿姉は何考えてるんだか」


 この場には居ない朱音のニヤニヤとした表情を想像して綾乃は思わずイラッとしていた。朱音としては気を利かせたつもりなのだろうが、綾乃にとって余計なお世話でしかなかった。まだ自分の想いを自覚したばかり。自分の中で整理することすらできていない状況で零斗と会ってしまって、どんな顔をすればいいのかわからなかった。


「えっと、とりあえずプリント机の上に置いとくな。体調の方はもう大丈夫なのか?」

「うん、ありがと。もう大丈夫だよ。熱もだいぶ下がったし。体も楽になったよ。明日にはもう体調も完全に戻るんじゃないかな」

「…………」

「…………」


 なんとも言えない空気が二人の間に流れる。何も言えないわけじゃない。二人とも言いたいことは山のようにあった。だが、何から話せばいいのかわからなかったのだ。

 そして悩んだ末に二人が口にしたのは――。


「「ごめんっ!」」


 謝罪の言葉だった。

 まさか謝られると思ってなかった綾乃と零斗は思わず顔を見合わせる。


「ど、どうして零斗が謝るの?」

「いやそれはこっちの台詞なんだが。なんで綾乃が俺に謝るんだよ」

「私はその……零斗の告白を見に行っちゃったりしたから。あの時は焦ってたけど、やっぱりあんなことはしちゃいけなかったから。零斗にも西原さんにも失礼だし」

「俺の方は……その……あれだ。あの後にお前に告白したことについてだよ」

「……後悔、してるの? 私に告白したこと」


 胸中に湧く不安な気持ちを堪えて綾乃は問いかける。

 零斗が告白したことを後悔しているかもしれない。そう考えただけで胸が張り裂けそうなほど辛かった。


「そんなわけないだろ! お前に告白したことは後悔なんてしてない。するわけがない。だけど……タイミングは考えるべきだった。俺、あの時テンパってたのもあるけどさ。何より焦ってたんだ」

「焦ってた?」

「まぁ勝手な想像だけど。もしお前に恋人ができたらとか、そんなこと考えてたんだ。だから少しでも早く告白しないとって思ったんだ。あの時の俺はそのことで頭がいっぱいで、お前のことを何も考えて無かった。でも違う。そうじゃない。告白ってのは独りよがりじゃダメなんだ。ちゃんと相手のことを考えて言わなきゃダメだったんだ。そんなこともわかってなかったから、余裕の無かったお前に告白して、余計に混乱させることになった。だから、そのことをずっと謝りたかったんだ」

「……そっか。そんなこと考えてたんだ……ふふっ」

「なんで笑うんだよ」

「ごめん、でも零斗らしいなって思ったから」


 こんな状況でも自分のことを思って謝ってくれる。そんな零斗の優しさに綾乃は胸が温かくなるのを感じていた。


「でもさ零斗。零斗は謝ることもう一つあるよね」

「え? もう一つってなんだよ」

「わからないの?」

「いや……悪い」

「私の部屋に入って、寝顔見てたでしょ。すごく恥ずかしかったんだけど」

「はぁ!? いやそれは……確かに悪かったけど、でも仕方ないだろ!」

「そっかぁ。零斗は女の子の寝顔見ても仕方無かったで済ませるんだぁ。そういう人なんだぁ」

「あー、だからその……悪かったよ!」


 零斗が綾乃の寝顔を見てしまったのは事実だ。そしてその寝顔に見惚れてしまったのも。

 綾乃の寝顔を見ることに罪悪感はあったものの、その寝顔を見た途端に目が離せなくなってしまったのだ。


「ふふっ、冗談だよ。まぁちょっとは気にしてるけど。怒るほどのことじゃないし。ただちょっと零斗のことからかいたくなっただけ」

「お前なぁ」


 零斗と会うのが怖かった。でも、こうして零斗と話しているとそれだけで心が躍るほどに楽しい。自分の抱く零斗への気持ちが一時の気の迷いではないのだということを改めて確信した。

 これまでずっと抑え続けてきた想いが今まさに綾乃の中で燃え上がり、綾乃のことを突き動かす。


「ねぇ零斗、その……今から言うこと、聞いてくれる?」

「? なんだよ急に改まって。言いたいことがあるならなんでも言ってくれ」

「ちょ、ちょっとだけ待ってね。すぅ……はぁ……」


 綾乃はドキドキと心臓がこれ以上ないほど早鐘を打っているのを感じながら、気持ちを落ち着けるために深呼吸する。

 そして、綾乃は零斗の目をまっすぐ見つめて――。




「私……零斗のことが好き」




 その想いを零斗に告げた。

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