第二章 日本・蓑原高等学校
一 異世界と学校
両足が、地面に付いた感覚がした。一秒にも満たない間だったが、体が浮いていたように感じていたので、アルベルトは驚いてしまう。思わず、ジェンスエトの手を繋いだまま、尻もちをついてしまった。
次に知覚したのは、光だった。頭上から、白い光が降り注いでいて、上手く目を開けられない。野外かと思ったが、風が全く吹いてこないのが不可解だった。
目が慣れてきたアルベルトとジェンスエトだが、そこへ飛び込んできたのは異様な光景だった。数十単位の少年と少女が、全員自分たちを見下ろしていたのだ。
彼らは、驚きや好奇心や怯えなど、それぞれの表情で二人を見つめていた。顔つき、背格好、髪型などに個性が現れているが、服装は、黒の背広で統一され、チェック模様のズボンとスカートで男女の差を出しているのがちぐはぐに感じられる。年齢も、みな同じく十代半ばほどで変わらない集団らしい。
次に二人のの耳に入ってきたのは、その集団のざわめきだった。何を言っているのかは、当然分からない。すると、彼らよりも年配の男性が数人現れて、意を決したように話しかけてきた。
ジェンスエトは、その男性が眉を顰めつつも、礼儀正しい態度で接しているのが気になった。自分たちのような闖入者に、攻撃してもおかしくはないのだが、彼らはまず、意思の疎通から図ってくれているようだ。その態度に報いたいと思ったジェンスエトは、まずは言葉を理解しようと、翻訳魔法を唱えた。
掲げた右の指先の光が、ジェンスエトとアルベルトを包み、あっという間に収束する。これによって、二人はこの場にいる異世界の人々の言葉が分かるようになったのだが、聞こえてきたのは、思いもよらない言葉だった。
「何、今の光?」
「魔法?」
「まさか」
「あの格好、まるで……」
「あれって、剣か?」
「本物?」
「ドッキリでしょ」
「何が起きているのですか?」
彼らの言葉から、魔法に対しては、半信半疑だということが判明した。そして、殆どのものは怯えを示していることも、伝わってくる。二人に話しかけようとしていた男性も、口をぽかんと開けたまま、立ち尽くしている。
この状況は、良くない。ジェンスエトは、肌感覚で理解した。何より、アルベルトが硬くなっていて、相手の反応次第では、剣を抜いてしまいそうだ。その前にと、また別の魔法を唱える。
再び、ジェンスエトが右手を掲げると、その人差し指の先から稲光のように激しい点滅が繰り返された。周囲の人々は、その間、ピタリと動きを止めている。
手を下ろしたジェンスエトに、興味を失ってしまったかのように、人々は背を向けた。二人に話しかけようとしていた男性が、険しい顔をして口を開く。
「二人とも、自分たちのクラスの列に戻りなさい」
一言、注意した後に、彼も元いた場所へ戻っていく。
それを聞いて、ジェンスエトはほっと安堵の息をついた。
ごまかしの魔法を使ったんだ。アルベルトは、ジェンスエトの唱えた呪文と、周囲の人間たちの反応からそう察した。
この魔法を掛けられた相手は、可笑しな状況を都合よく補完してしまう。しかし、この魔法を打ち破る魔法の方が数多くあり、窃盗や殺人など言い訳の不可能な行為はごまかせないため、使う人は少ない。
ただ、魔法の存在していないこちらの世界では、効果があるようだと、アルベルトは分析する。一先ずは、先程の男性に促されたように、二人してある列の一番後ろに並んだ。
集まった少年少女は、全員舞台のある方向を向いて立っていた。その舞台の上では、壮年の男性が、壇を前に何か話している。演説や説教ではない、何かの機器によって拡声されたその話を、ジェンスエトとアルベルトは、よく理解できないまま聞いた。
『――以上で、私の話は終わります。この一年、良い学びをしましょう。では』
『校長先生、ありがとうございました。続きましては……』
壮年の男がそう言って自身の話を終えると、深々と頭を下げた。彼が舞台上を去る合間に、このテーブルも椅子もなく、広々とした建物の半円状の天井から、少女の声が響いた。
ジェンスエトがその声に驚く間もなく、周囲の人々は拍手を始めた。アルベルトがその音に合わせて、彼女に囁く。
「姫様。どうやらここは、学校のようです」
「学校……」
三年前まで通っていた騎士学校との類似点から、アルベルトはそう判断した。一方、学校というものを聞いたことはあっても、行ったことはないジェンスエトは、実感が持てないまま、ぼんやりと呟く。
それからしばらく、この空間にいる大人――アルベルトは、彼らが教師だと考えた――が、立ち代わり入れ替わり挨拶をするのを、他の少年少女たちと共に、二人は静聴していた。そして、天井からの『これで、始業式を終わります』という言葉を最後に、少年少女たちは列を崩して、どこかへ移動を始めた。
「どうしよう、アルベルト……」
「ついていってみましょう」
当惑しつつも、この建物から出ようとした二人を、「ねえ、ちょっと」と呼び止める声があった。
振り返ると、ジェンスエトが翻訳魔法をかける前に話しかけてきた男性と、眼鏡をかけた女性が並んで立っていた。声を掛けてきた女性の方が、続けて話す。
「教室の場所、分からないでしょ、案内するわ。貴方は、二年B組ね」
「君は、僕と一緒に、三年C組に来てくれ」
女性はアルベルトを見てそう言い、男性はジェンスエトに微笑みかける。
どうやら、二人で離ればなれにされるらしい。そう察したアルベルトは、顔を青くしながら、訴えかける。
「同じ教室に行くのは駄目ですか?」
「心細いのは分かるけど、学年が違うからねぇ」
女性が困り顔で小首を傾げる。
確かに、自分と姫様の年齢は違うため、学年が異なるのも道理だ。しかし、離れ離れになった状態で、あの化物が襲来したら……アルベルトは、ただそれだけを恐れた。
「二つの教室は、十分ほどで行くことが出来ますか?」
「そうだな……。階数が違うけれど、走って行けばそれくらいで着くんじゃないか?」
アルベルトの質問の意図を測りかねながらも、男性は真摯に答えてくれた。
それを確認すると、「ちょっと待ってください」と断って、アルベルトは彼らに背を向けて、ジェンスエトに囁く。
「姫様、もしも化物が現れることを察知したら、私はこの笛を吹きます。私も姫様の教室に向かいますが、あなたもこの音の方向へ向かってきてください」
「分かった」
ジェンスエトも神妙な顔で頷く。
二人の会話は、全て翻訳されるため、二人の男女にも聞こえているはずだった。しかし、内容の奇妙さに気付かず、ジェンスエトとアルベルトは仲がいいのだと頬を緩めていた。
「では、案内をお願いします」
「ええ、みんなもきっと待ってるわ」
振り返ったアルベルトが硬い表情で振り返ると、女性はそれを和らげるかのように、微笑みながら言ってくれた。自分たちと彼女たちの意識に、天と地ほどの差があると感じつつ、アルベルトは頷き返す。
周りを見ると、二人以外の少年少女たちは、この建物から去っていた。余裕がないため気付かなかったが、この建物には向かい合う二か所が全てガラスの窓になっており、その外に四角い建物が聳えている。アルベルトとジェンスエトは、二人の男女に引率されて、四階建てのその建物へと向かっていった。
□
黒板と教壇の間に立ち、ジェンスエトは目の前でそれぞれ机に座る同年代の子供たちの視線を一身に集めていた。ごまかしの魔法をかける前とは違う、純粋な好奇心の瞳に見つめられて、ジェンスエトは国民の前に立つ時とは違う緊張感を抱いた。
「では、本人から自己紹介してもらいましょう。……よろしくお願いしますね」
彼女のことを、「ヨーロッパからの留学生」だと説明してくれた男性教師に促されて、ジェンスエトは背筋を伸ばして、固く結んだ口を開く。
「ジェンスエト・ティ・ロレニトレです。短い間ですが、よろしくお願いします」
彼らから、温かい拍手で迎えられて、ジェンスエトは心の底でほっとする。自分だけが豪華絢爛なドレスを着ていることも、様々な説明が不足していることも、この世界の人々に受け入れられている。ごまかしの魔法を疑っているわけではなかったが、きちんと機能しているようだ。
「安村」と名乗った男性教師に説明されて、ジェンスエトは縦に七列、横に六列並んだ机の一番右端の後ろに座ることになった。この机の左側は窓が並んでいて、外の様子が見えた。
砂が敷き詰められた広場の向こうに、太陽の光を受けて輝く、銀色の塔がいくつも並んでいる。その長方形の建物は、高さだけならば、ユウエウタ王国の城を越えている。
外の景色や、多くの子供たちが教育を受けていることからも、この世界の文明は非常に繫栄しているのかもしれない。全く元の国と異なるこの世界で滞在する不安が湧いてくるが、空が青い事や広場の奥で緑の葉を茂らせる木々など、自然の姿は変わらないことが、ジェンスエトの心を和ませた。
ふと、自分のいる教室の方に顔を向けると、教師の合図で、生徒一人一人の自己紹介が始まった。普段は教師から直接学問を学び、学校に行ったことのないジェンスエトにも、どうやら今日が最初の登校日であり、今が顔合わせの時間だということが推測された。
自身の机から立ち上がった生徒は、名前とは別に、「最後の学年」や「受験に向けて」という言葉を口にする。これからの期待と不安の入り混じった瞳が皆眩しい。
自己紹介を終えて、教師からの話が終わった後、黒板の上の装置から「キーンコーンカーンコーン」という音が鳴り響き出した。何事かと目を見開くジェンスエトとは別に、生徒たちは平然としている。
教師は、「じゃあ、鐘が鳴ったから、続きは三時間目に」と言って、この部屋から出て行った。教師が鐘と呼んだ音が、自分の知っている鐘と全く異なる音をしていることに戸惑っているジェンスエトに、「ロレニトレさん」と話しかけてくるものがいた。
横を見ると、同じ部屋の生徒たちが、すぐそばで立っていた。その数に思わずしり込みするジェンスエトをなだめるように、話しかけてきた少女が笑いかける。
「驚かせてごめん。ちょっと、休み時間の間、お話したくて」
「いえ、大丈夫です」
そう返したジェンスエトに、その少女――自己紹介で、朱美と名乗った彼女は、くすりと笑う。
「敬語じゃなくて、いいよ。クラスメイトなんだから」
「あ、すみま……ごめんね」
途中で言い直したジェンスエトを、穏やかな笑い声が包む。一方彼女は、自分を普通の少女として扱ってくれたことに、ドキドキしていた。
朱美たちは、わくわくが止められないという表情で、ジェンスエトに質問してきた。住んでいた国とこの国との違い、どこで暮らしているのか、どうやってこの国の言葉を覚えたのか、この国に興味を持ったきっかけは、などなど。
ジェンスエトは、それらすべての質問に、嘘を答えなければならなかった。非常識なことを言っても、ごまかしの魔法によって、整合性のあるように彼女たちには聞こえてしまう。そのことが、ジェンスエトの心と、針で刺してきたかのように苦しめた。
よって、彼女たちには誠実な態度で臨もうと決意した。加えて、年下からも年上からも敬られる彼女にとっての、初めて対等な相手に、高揚感が隠しきれなかった。
「ねえねえ、ロレニトレさんって呼ぶのは堅苦しいから、ジェーンって呼んでもいい?」
「えっ……」
質問も一段落した頃、真知子という少女からそう聞かれて、ジェンスエトは困惑した。
自分のことを、ジェーンと呼んでくれたのは、両親だけだった。まさか、再び自分がそう呼ばれる瞬間が来るなんてと、胸がいっぱいになってしまう。
そんなジェンスエトの反応が、悪いものだと思ったのか、真知子は縋るような目で尋ねる。
「駄目だった?」
「……ううん。いいの。そう呼んでちょうだい」
「ねえ、ずっとこっちから質問してたけれど、ジェーンから質問はない?」
「あ、ええと……」
真知子に続けてそう聞かれて、ジェンスエトは先程と異なる戸惑いを抱いた。この世界のことについて、聞いてみたいことはたくさんあるが、どのような質問が怪しまれないかが分からなかった。
そこで、ジェンスエトは、一番無難なことを尋ねてみることに決めた。朱美と真知子の間から見える空席を指差す。
「あそこの席の子は、なんで休んでいるの?」
自分の隣の席が空いていることは、目の端でとらえていて、ちょっと気になっていた。真知子は、ああ、と納得したように頷いて、教えてくれた。
「颯斗くんの机ね。彼、俳優もやってるの」
軽い調子の彼女の話に、ジェンスエトは度肝を抜かれた。仕事をしながら、学校に通っている、そんな生活を知らなかったからだ。
その驚きを、別に意味に捕らえたのか、他の同級生たちは俳優の級友の自慢話を始めた。しかし、どんな作品に出ているのかを説明されても、ジェンスエトはピンとこない。真知子は、颯斗の写真を見せてくれたが、これが載っている金属製の板状の物体の方が気になって、顔立ちの良し悪しはあまり意識できなかった。
「ねー、かっこいいでしょ?」
「そ、そうね」
「今、映画の撮影で、忙しいみたい」
「そうそう、学校にも中々来れなくて……」
「でも、演劇部も頑張ってるんだよ」
「近いうちに、登校するかもね」
きゃあきゃあと黄色い声で、級友たちは話している。この反応から、彼のことは、勉強ができるや運動神経が良いとかとは、別の次元のもてはやされ方をしているのだと、ジェンスエトにも察することが出来た。
その時、再び「鐘」が鳴った。「じゃあ、後でね」と言って、他の級友たちと共に、朱美も自席へ戻っていく。ガタガタと生徒たちが椅子に座っていく壮観を眺めていると、教師が二人の少年と共に、茶色い紙で包まれた何かを持って入ってきた。
その中身は、本だった。全く同じ新品の本が、十何冊も紐で縛られている。「新しい教科書」と呼んだそれを、教師は横列の一番前の生徒に配り、一人一人の手に渡らせた。
ただ、突然現れたジェンスエト用の教科書は用意されていない。首を捻りながら、教師がそれを取りに行くという一幕もあったが、それ以外はつつがなく「新しい教科書」の配布が終了した。
「えー、みんなは、新しい教科書に興味津々だと思うが、この後はロレニトレさんのために、学校を案内しようと思う」
真っ白な紙を用いて、しっかりとした糊を使っているらしいこの本が、一体いくらだろうと観察しながら内心冷や汗を掻いていたジェンスエトは、突然自分の名前を教師から呼ばれて、顔を上げた。
きょとんとした彼女は、優しく自分を見つめる教師の瞳と、大はしゃぎしながらこちらを振り返った級友たちの姿に、さらに困惑させられた。一番最初に立ち上がった朱美に、「行きましょう」と笑いかけられて、頷き返すことしか出来ない。
教師を先頭に、ジェンスエトと朱美と真知子はその後ろに並んで、そのまた後ろにはすべての級友が続いた列となって、教室を出て行った。集団活動自体が初めてなので、ジェンスエトは自分が必要以上に難くなっていることを意識した。
今、彼女がいる一階のこの建物には、三年生の教室が収まっていた。二階には二年生、三階には一年生の教室があるのだと、教師は説明する。アルベルトがいるのは二階ねと、ジェンスエトは見当をつけた。
教室のある建物から、ジェンスエトたちは探索していった。怪我や気分が悪くなった時に行く保健室、食事ができる購買と学食、自由に本が借りられる図書館など、この学校の者たちには当たり前のものを、ジェンスエトは新鮮な気持ちで受け止めていった。
他にも、実験を行う理科室、物作りをする美術室、楽器演奏や合唱をする音楽室、コンピュータという謎の機器が机の上に置かれた技術室など、用途すら分からない部屋もたくさん紹介された。窓の外には、運動をするためのグラウンドや、集会なども出来る体育館がある。ジェンスエトとアルベルトが最初に現れたのは、その体育館だったようだ。
生徒と教師の数の多さや、建物の規模と中の設備の豊富さなどから、ジェンスエトはこの世界は子供の教育に力を入れているのかもしれないと考えた。この学校が特別規模が大きいのか、世界の平均値なのかは分からないが、自分の国よりも上回っていることは、彼女も認めていた。
ユウエウタ王国の子供たちの中で、学校に行けるのはほんの一部の富裕層と騎士志望者だけだ。このくらいの年齢の子たちの殆どは、すでに働いているのが当たり前である。もしも、ユウエウタ王国でここと同じ形の学校を立てるとすれば、どれくらいの予算がかかるだろうかと考えると、眩暈がしてきた。
二つの建物の間にある渡り廊下を歩いていると、向こうからも、彼女たちと同じように、列をなした生徒の群れが現れた。率いているのが、アルベルトを案内した女性の教師だと気付き、ジェンスエトははっとする。
予想通り、女性の教師の真後ろに、アルベルトがいた。ジェンスエトのことを真っ直ぐにむ据えて、はっと息を呑む。丁度、二人の教師はお互いに立ち止まった。
「お疲れ様です、安村先生」
「お疲れ様です。菊田先生も、留学生の案内ですか?」
「ええ。そうですよ」
二人が軽く会話しているのを、割り込んで、アルベルトはこちらに行きたそうだった。だが、そんな動きは、ごまかしの魔法でもうまく効かない可能性がある。
そこで、ジェンスエトはとても小さな声で、念話の呪文を唱えた。これにより、彼女が頭の中に思い浮かべた言葉は、アルベルトにだけ伝わるようになった。
『鐘が鳴った後に、玄関で会いましょう』
アルベルトは、じっと静かな瞳で、小さく頷いた。
丁度、教師二人の話も一段落したようで、二人はまた列を率いて歩き出す。ジェンスエトの級友の中には、アルベルトの級友と知り合い同士な者もいるのか、すれ違いざまに言葉を交わしている。
この時、ジェンスエトは、アルベルトが列の中でひとりぼっちなのに気が付いた。アルベルトには、朱美や真知子のように、色々教えてくれる相手はいないだろうか。
騎士学校に通っていたから、学校の感覚は分かっているはずなのに……と、ジェンスエトは心配に思いながら、アルベルトの列を振り返るが、彼の級友たちの背中だけでは、何も分からなかった。
□
授業と授業の間の休み時間は、十分しかない。朱美からそう教えてもらったジェンスエトは、速足で玄関に向かった。
一階に教室があるのはジェンスエトの方だが、元の世界から持ってきた鞄を抱えたアルベルトはすでに玄関前に来ていた。時々、生徒が通り過ぎていく廊下の中から、ジェンスエトの姿を見つけると、ほっと息を吐く。
「姫様、ご無事で良かったです」
「うん、大丈夫だったよ」
こんな平和な学校の中で、この言葉は杞憂のような気がして、ジェンスエトは苦笑した。だが、アルベルトは真剣な表情をしているので、彼女もすぐに顔を引き締める。
「では、出発しましょう」
「出発って、どこに?」
「どこかは分かりません。しかし、姫様と離れたままでいるのは、私が耐えられません」
アルベルトは、真摯に訴えた。
確かに、お互いに別々の場所にいては、姫様を命に代えて守るという騎士の本懐は遂げられない。留学生がいなくなって、学校側は騒ぎ出すかもしれないが、ごまかしの魔法によって、何か理由があって去ったのだろうと補完してくれるはずだ。
ただ、このまま学校を出てしまってもいいのか……。ジェンスエトには、なんだかもったいないような気持ちになっていた。
「もう少し、ここにいない? 学校の外も、平和だという確証がないわけだから……」
「では、あの怪物が襲ってきたら、いかがいたしますか?」
「体育館で話したみたいに、笛を吹いて知らせてちょうだい。それで、ここに集合しましょう」
アルベルトは、終始苦い顔をしていた。だが、騎士と王族という上下関係を鑑みれば、アルベルトは頷くしかない。
ジェンエスト自身、無茶苦茶なことを言っているという自覚はある。両親を亡くし、故郷を逃げてきた直後で、とんでもない言動をしているのも分かる。ただ、この心地良い環境に、もうしばらくいたかった。
「……分かりました。あと授業を一回したら、今日の学校は午前中で終了するそうです。そうしたら、またここで落ち合いましょう」
「うん。……わがまま言って、ごめん」
「構いませんよ」
首を振るアルベルトの表情は硬い。そう言えば、彼の笑顔をまだ見ていなかったと、ジェンスエトは思った。
丁度その時、「鐘」の音が鳴り響いた。廊下にいた生徒たちが、自分の教室へと走り出す。
「では、姫様、後程」
「うん。あとでね」
ジェンスエトは自分の教室へ、アルベルトは階段へと、駆けていった。
彼方なるハッピーエンド 夢月七海 @yumetuki-773
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