第2話 領主の生活
「ミレナ様、こちらにいらっしゃいましたか。お昼ができあがりました」
「おお、そうか。いつもありがとうなあ」
「とんでもございません」
ミレナは小麦畑の雑草を抜く手を止めて立ち上がると、大声で呼ばわった。
「ティモ、ご飯じゃて!」
「そうか、姉ちゃん」
金色の小麦畑の間からひょこっとティモが顔を出した。畝の間を歩いてこちらに近づいてくる。
「確か今日のお昼は、台所のお手伝いさんと一緒だべな」
「そうじゃ。早く行かんと、待たせたら悪いべ」
二人は館の前で野良仕事の泥を落として手足を洗うと、作業着から着替えて、食堂に入った。
大皿が長テーブルに並べられている。そこには、豚肉に下味と衣をつけて揚げたものが載せられている。それに加えて焼きたての香ばしい丸いパンが各席に配られていた。バターとジャムも一緒である。最後にカブのスープが注がれる。
ミレナはティモと一緒に奥の席に座った。
「恵みを与えたたもうた天の神様に感謝を。いただきます!」
「いただきます!」
共に席に着いた料理人たちが唱和する。
ミレナはナイフとフォークを手に取って、ゆっくり料理を味わった。
「明日はお友達がいらっしゃるんですよね」
「どのような方々ですか?」
料理人たちは気軽にミレナに声をかける。
「そうじゃなあ、ヴィットは真面目でいいやつじゃ。エーファは優しくて、これもいいやつじゃ」
「ミレナ様ったら、何でもお褒めになるんだから」
「本当にいいやつらじゃ。私も何度も命を救われたからなあ」
「ルイゾン戦争でもご活躍をされたそうですね」
「そうじゃ。二人がおらんかったら今頃私は死んどるんじゃぞ」
「ひゃーっ、恐ろしい!」
「そしたらルイゾンもやっつけられなかったし、今頃このアムザ大陸は大変なことになっとった」
「ミレナ様がルイゾンを討伐なさったお陰で、ペーツェルだけでなく、西の国々も、シェルべ王国から独立できたんですものね。素晴らしいです」
「私はとどめをさしただけじゃが……」
「それが一番凄いんですよ!」
「そもそも聞いてた話と違うぞ、姉ちゃん。みんなは姉ちゃんのお陰で逆転勝利できたって言っとるのに。何を謙遜しとるんじゃ」
「いやあ、それも私だけの力じゃないからなあ。私に魔法をくれたのは天の神様とアルビーナ様で、戦の作戦を考えたのは先輩たちや色んな方々じゃ。私が特別凄いわけじゃねえ。それにもうその戦も何ヶ月も前のことじゃ」
「またまた、そんなことをおっしゃって」
昼食の席はわいわいと盛り上がっている。
昨冬の終わりにミレナがシェルべ王国の将軍ルイゾンを死に追いやった影響は大きかった。これを好機と、シェルべ以西の三ヶ国が協力してシェルべに攻勢をかけ、独立を回復してしまった。国家を越えて版図を拡大していたシェルべ王国の領土は、みるみるうちに元の大きさに戻ってしまった。彼らは軍事侵攻する元気もなくして今はすっかり大人しくしている。
ミレナがもとは農奴の出身だという情報は、西側の諸国の人々を奮い立たせた。各国では、ミレナの影響で、一般市民が国家のことを我がことのように憂え、義勇兵が続出したという。義勇兵による地の利を活かした遊撃的な作戦はあの強力なシェルべ軍をも大いに悩ませ、シェルべ軍が撤退する一助となったとか。
そのせいかペーツェルの市民もどことなく愛国心を抱き始め、政治に興味を持ち始めたようである。しかし当のミレナは政治に一切の関心を示しておらず、褒美としていただいた領地をありがたく受け取ったかと思うと、その地の農奴を無償で解放して、己はせっせと農作業に励んでいる。
地位を得てもふんぞり変えることなく、他人のために尽くすその姿に、ペーツェルの人々はなおのこと感銘を受けている。更には他の地域の農奴が己の待遇に不満を抱き始めた。ペーツェルの市民や農奴たちは、自分たちの地位と、貴族たちの態度と、ミレナの行動とを見比べて、貴族たちへの不満を燻らせ始めたらしい。
ミレナの雇っている料理人たちもその波に乗っていた。彼らはミレナの温情に預かって身分にあまる待遇を受けていることに感謝しつつ、それに比べて他の貴族は……と隙あらば前の職場の話をする。だが今日はそのおしゃべりもやや控えめだった。ミレナの招く友人の一人が貴族の出であることに配慮しているらしい。他にもしゃべることは山ほどあるから、それで食卓の賑わいが衰えることはなかった。
やがて楽しい昼食が終わった。ゆっくりお茶を飲んで食休みをした後、料理人たちは立ち上がって片付けを始めた。ミレナとティモも立ち上がり、農地の様子を見るためにまた作業着に着替えに行った。
「明日はお客さんの相手をするから、農地のことはお手伝いさんに任せねえといけねえ。今日できる分だけでもやっちまうべ」
「うん、姉ちゃん」
ミレナたちは解放した農奴をたまに自分たちの農地の面倒を見てくれるように雇っていた。賦役労働と圧倒的に違うのが、それが強制ではないことと、賃金がちゃんと出ることだった。農民たちは自分の土地では稼ぎきれなかった分のお小遣いを得るために喜んで協力してくれる。それにミレナとお近づきになっておけば昼食に招かれて豪勢な料理にありつけるのだからいいこと尽くめだった。
「お手伝いさんにあげる分のお金はまだ足りてるのか、姉ちゃん」
「まだちょっとは余裕があるべ。もうじき収穫の時期じゃから、作物をみんな売りに出せる。それに冬を越えたら私はまた魔法兵士の仕事に戻らねえといけねえ。そしたらお給料がまた出るようになる。そのお金があれば、今後ともやっていけるべ」
「……そうだべな……。そしたら俺、畑のあっちの方を見てくるから」
「おお、よろしくなあ」
ミレナは走り出したティモに手を振った。
それから「ふっふーんふん」と鼻歌を歌いながら、自分も畑に入っていった。
翌日、一台の馬車が館の前に止まった。中からは、青い布の簡易的なドレスをまとった娘と、立派な刺繍の施された鮮やかなスーツの男が降りてきた。
「エーファ、ヴィット、久しぶりじゃなあ!」
ミレナは玄関前でぶんぶんと二人に手を振った。ミレナもまた簡単な緑色のドレスを着ていた。
「ミレナ」
エーファはにこにこして小さく手を振り返した。
「ミレナ……」
ヴィットは少し面食らったように呟いた。多分ミレナの行動の何かが、貴族のならわしに合致しなかったのであろう。
「うまいお昼ごはんが出来上がっとるぞ。さあさあ、中へ入るべ!」
ミレナは二人を先導して館を案内した。
食卓には料理人たちが張り切って、腕によりをかけて作った料理がずらり。
主役は丸々太った鳥に木の実を詰め込んで焼いたもの。つけ合わせに、茹でたキャベツと潰した芋が添えられている。スープには豆がたくさん。それから、いつものパンとバター、ベリーのジャム、そしてワインが一瓶。
ミレナは奥の席に二人を座らせると、自分もエーファの隣に座った。
「あれ? 今日は弟さんは?」
エーファが尋ねた。
「気を遣われちまって、先に食っていったよ。今は外でお手伝いさんと野良仕事しとるんじゃねえかな」
「全く、領主が直々に農作業とは。相変わらず変わっているな」
ヴィットが呆れたように言った。
「えへへ。他人に任せっきりなのは私もティモも性に合わないもんで。帰りには二人にも挨拶を……。あ、いや、そしたら着替えさせた方がいいんだべか? お客様に泥んこの状態で挨拶は……」
「わ、私は構わないよ。それよりまた弟さんに会いたいな」
「ふん。好きにするがいい」
「そうか、ありがとうなあ。そしたらいただくとするべか。恵みを与えたもうた天の神様に感謝を。いただきます!」
「いただきます」
ゆっくりと昼餐が始まった。
「最近の王宮はどんな感じだべか?」
ミレナは尋ねた。
「あ、あんまり変わらない、かな。外国のお偉いさんがいて、ちょっとばたばたしてるけど……」
「ああ、シェルべとの条約でうんたらかんたらっていうあれか。私にゃあよく分からんかったが」
「アムザ大陸六ヶ国の宰相が、バーチュの王宮に集まっているのだ。重要な会議を行なっているのだ」
ヴィットは顔をしかめた。
「その割には、シェルべからどれほど領土を割譲してもらうか、揉めるばかりでちっとも決まらんらしい。うかうかしているとシェルべはまた調子に乗ってしまうというのに……」
「で、でも、シェルべがまた暴れた場合には、他の五ヶ国が同盟を組んで協力する……っていうことは、決まったみたいだね」
「それしか決まっていないのが驚きだがな。シェルべの天使も不穏な動きをしているし、気は抜けんが……進展が無いよりはましか」
「ふーん。不穏ってあれか、こないだの春に、シェルべの天使が謎の儀式をやったっていうやつか? 謎の人物に謎の矢が三本当たったっていう……」
「そうだ。我が国にだってお前のように強い魔法兵士が現れたんだ、隣国で何かしら起こってもおかしくはない」
「ふーん」
ミレナは考え込んだ。
これからは魔法兵士が再び活躍する時代が来るのだろうか。
確かに自分より強い能力の者が敵国に現れたら困る。もしミレナが死んでしまったらティモも悲しむし、困るだろう。
「それで、うちの魔法部隊はどうなんじゃ? 規模が小さくなってからは色々大変なんじゃと、前に会った時に話しとったが……」
「それも、あんまり変わってない……よ。アルビーナ様がビシバシ鍛えてくださってる……」
「今は盾兵が三人。僕が怪我から復帰して槍兵が一人増えたが、それでも攻撃力が圧倒的に不足している。だが、お前が帰って来ればそれも大幅に増す。とっとと戻ってこい」
「そうじゃなあ。休暇が終わったら戻ってくるから、もうちょっと待っててなあ」
ミレナはにこにこ笑ってのんびりスープを飲んだ。
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