第10話 初めての戦い


 八日後の夜明け前、ミレナたちペーツェル王国軍は、ロゴフ王国軍と合流して、草原に陣を張っていた。

 ヴィットは右翼側に、エーファは中央に、そしてミレナは左翼側の先頭に配置されている。中央で王を守りつつ、左右から敵を攻める作戦である。

 初陣での単独行動は危険と踏んだアルビーナは、魔法弓兵のノランを指導役としてミレナにつけていた。ノランはいつもとは違って、サーベルを腰に下げていた。ミレナに合わせて柔軟な戦い方をするためだった。


「いよいよだべなあ。先輩、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく。君の魔法を頼りにしているよ」


 斥候からの情報によると、敵は古典的な横隊を組んでいるらしい。銃剣による射撃でこちらの態勢を崩すつもりのようだ。そう言われてもミレナにはよく分からなかったのだが、アルビーナは分かりやすくこう言ってくれていた。


「ミレナ、あなたの場合は先手必勝よ」

「先にやっちまえってことですか?」

「そう。あなたの弾数と遠距離射撃は大きな武器よ。相手の銃弾が届くようになる前に全員倒してしまいなさい。そうすればあなた自身への防御にもなる」

「へえ、分かりました」


 そこで松明の明かりの中、ミレナは神経を尖らせながらじりじりと夜明けを待っていた。

 敵が前進を始めて、ミレナの射程距離に入ったら、誰の合図も待たなくて良いから攻撃を開始する。


 楽天家のミレナでもさすがに緊張していた。初めて命のやりとりの場に身を置くこと、自分が作戦の大きな鍵を握っていること。その恐怖と重責をひしひしと感じる。

 冷たい風が恐ろしげな音を立てて草原を吹き抜けていく。


 やがて周囲を囲む森の木々の間から、光が差し始めた。

 ミレナはぎゅっと拳を握りしめた。

 ノランがぽんとミレナの肩に手を置いた。

「焦らなくて良い。君がうまくやれなくても他の者が補助するし、他の作戦だって用意してあるから。君は訓練の通りやればいいんだよ。だから、肩の力を抜いて」

「ノラン先輩……。すみません。私ってばちょっとばかし緊張してるみてえで……」

「戦争の前は誰だってそうさ。初陣なら尚更。でも君には天より与えられし特別な力があるから、きっと大丈夫だ。深呼吸して、魔力を整えてごらん」

「はい」


 ミレナはこれまでに何度かやったように、息を吸って吐いて、魔力を調整した。


「……ありがとうございます。少し落ち着きました」

「良かった」


 二人は、朝の光の中、前進を始めた敵軍を見据えた。ミレナはマスケット銃を取り出すと、訓練の通りに構えを取り、相手が来るのをじっと待った。有効射程距離に入ったのを目視で確認する。


「行きます」

「頑張って」


 ミレナは引き金を引いた。

 ダーン、と戦場に最初の銃声が響き渡った。

 銃弾が敵の顔に命中する。敵は血飛沫を上げて倒れた。

 ミレナは臆せず、引き金を引き続けた。

 ダダダダダダ、と敵の歩兵が次々と倒れていく。

 慌てた敵がこちらに向けて銃を撃ってきたが、弾は届かない。

 その間にもミレナは攻撃を続ける。

 今、戦場で敵を屠っているのは、ミレナただ一人。

 ただ一人の攻撃で、敵の片翼はなすすべもなく崩壊を始めた。

 整然と隊列を組んでいたはずの敵たちが、屍の山と化していく。


 やがてペーツェル・ロゴフ連合軍に、突撃を指令するラッパが鳴った。左翼側で控えていた、重騎兵をはじめとする各戦力が、敵を囲い込むように走り出す。


 ミレナはふーっと息を吐いて、攻撃を止めた。


「すごい、よくやったよ、ミレナ!」


 ノランが興奮気味にそう言って褒めた。


「あとは側面から叩けば敵は崩壊する。さあ、僕たちも加勢しよう」

「はいっ」


 戦いは白兵戦にもつれ込んでいた。左翼側は殲滅され、右翼側も囲い込みを始めている。

 ミレナとノランは騎兵に続いて前に出た。

 兵士たちがぶつかり合っている前線にまで出ると、ミレナは銃を乱射した。ばたばたと敵が倒れ、目の前に広く大きく道が開ける。ペーツェル・ロゴフ軍はその先へ進み、更にシェルべ軍を追い詰める。ミレナはまた前線に躍り出る。それを繰り返した。


 果敢にも向かってくる敵兵。その銃剣の切っ先は誰にも届くことなく、兵たちは鮮血を噴き出して倒れ込む。同じようなことが幾百にも繰り返される。ミレナの手によって圧倒され、虐殺され、蹂躙される敵軍。緑の草原が血に染まる。その凄まじい光景。


 シェルべ軍は、撤退を始めた。草原の奥にある森にまで入り込んでいく。


 ミレナの銃もノランの弓も必中だが、遮蔽物があるとそうはいかない。


「僕たちの出番はここまでみたいだね」


 ノランは言った。


「ミレナ、君は本当によくやったよ! さあ、一旦安全なところまで退こう」

「はい、先輩」

「……ミレナ」


 ノランはミレナを見て、すっと笑顔を引っ込めた。

 ミレナは、あまりにたくさんの人を殺したせいか、気分が悪くなっていた。


「顔色が真っ白だ。ちょっと僕の肩に掴まって……」

「いえ、こんくれえのこと、何でもねえです。私は、賞金をたくさんもらうために、一番活躍をしなきゃいけねえんですから。こんくれえでへこたれてはいられねえです」

「いや、君はもう充分やったよ。……おっとと」


 ミレナがかくんと地に膝をついたので、ノランが慌てて支えた。そこらじゅうには、ミレナが撃ち殺した敵兵の遺体がごろごろ転がっていた。


「ほら、僕が負ぶっていくから、掴まってごらん」

「も、申し訳ねえです……」

「いいんだよ。今の君には休息が必要だ」


 ノランはミレナを背負って歩き出した。ミレナは沈んだ声で言った。


「情けねえ……こんなことじゃあ、ティモを解放するなんて……夢のまた夢じゃ……」

「そんなことないって。君の活躍は僕がこの目でしっかりと見ていた。ちゃんとアルビーナ様にご報告するから、安心してくれて良い」

「そうですか……。おっかしいなあ。私は肝が据わってるってんで、地元では有名だったんじゃが……」

「充分、肝が据わっていたと思うよ。最後まで、自らの命を顧みず、臆せずに戦い切ったんだから」

「そう、ですか」


 ミレナは目をつぶった。


 天幕の中に運び込まれたミレナは、横たえられ、暖かい毛布と白湯を与えられた。ミレナはおとなしく背中を支えられながら白湯を飲むと、うーんと呻きながら頭を枕に乗せた。

 同じ天幕内に、エーファやヴィットも到着した。


「おお、エーファ、ヴィット、無事じゃったか」

「当然だ」

「う、うん、何とか」


 ヴィットはともかく、エーファも意外としっかりしていた。ミレナは力無く笑った。


「そうか、良かった。いんやあ、私は情けねえなあ、こんなざまで。敵を倒しすぎて、ちょっとびっくりしちまったみたいじゃ」

「む、無理もないよ。すごい活躍だったもん。遠くからだけど、見えていたよ」

「そうか、エーファ」

「ふん。軟弱者め。……だがお前にしてはよくやったんじゃないか」

「そうか、ヴィット。ありがとうなあ、二人とも」


 ミレナはもう一度二人に笑みを向けると、一旦眠りに落ちた。

 暗闇の中で、弾を打ち出す時の確かな感触と、弾が命中してばったりと倒れる人間の姿が、ありありと思い出された。

 しんどいなあ、とミレナは思った。

 ごめんなあ、ティモ。お前の言う通りだったよ。姉ちゃんはやっぱり戦場には向いてねえみてえだ……。


 やがて、外から、ポリッジを煮るいい匂いが漂ってきた。


「……ん」


 ぱちっとミレナは目を開けた。


「うまそうな匂いがする」


 エーファとヴィットはまだミレナのそばにいた。ヴィットは呆れたような顔をした。エーファは立ち上がった。


「わ、私、ミレナの分のポリッジを取ってくる。何かお腹に入れた方が良いよ」


 立ち上がって天幕を出たエーファは、ほかほかと湯気の上がるお椀を持ってそろりそろりと戻ってきた。


「はい、どうぞ」

「ありがとうなあ」


 ミレナはスプーンでポリッジを啜った。温かい食べ物が腹に入ると、途端に人心地がついた気分になる。

 しかもこのポリッジは穀物がたくさん入っているし、水ではなく乳で煮出したものだった。栄養満点だ。


「こんな時にもこんなうまいもんを食べられるなんて、贅沢じゃなあ」


 ミレナは言った。


「ティモにも食わしてやりてえなあ……」

「ミレナったら、何か食べるたびにそればっかり。い、今は具合が悪いんだから、何も気にせず食べなよ」

「うん……そうじゃな……。考えても仕方のねえことなのに、つい考えちまうなあ」


 ミレナはゆっくりとポリッジを食べ切って、ほっと溜息をついた。


「少し元気になったみたいじゃ。エーファもヴィットもありがとうなあ」

「ど、どういたしまして」

「なっ、僕は何もしていないぞ」

「うん? でも、ずっとそばにいてくれたんじゃろ?」

「それは僕も休息を取りたかったからだ!」

「そうかあ」


 ミレナは笑って、お椀とスプーンを横に置いた。


「ほれ、私には構わず、二人もポリッジを取りに行っておいで」

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