第9話 新人の出番
隣国のシェルべ王国が不穏な動きをしている。
何でも、徴兵制とかいう制度で集めた寄せ集めの軍隊が、シェルべ王の号令に従って、ペーツェル王国との国境付近に進軍しているというのだ。
これを受けてペーツェル王国も軍を動かし始めた。常備軍八万人のうち二万人ほどを、先遣隊としてシェルべ方面に移動させる。更に、ペーツェル王国と同盟を結んだばかりのロゴフ王国も、一部の軍を移動させ始めた。
「そういうことだから、あなたたち三人にはのんびり鍛えている暇はなくなったわ。さっさと実地で戦えるように仕上げてしまいましょう」
ある日アルビーナはミレナたちを集めて言った。
「あれまあ」
ミレナは言った。
「私はまだ鍛え足りんと思うんですが」
「隙間時間で鍛え続けなさい。ただしあなたの場合はほどほどにね」
「はい」
難しい注文をつけてくるなあとミレナは思った。
「私の考えている作戦はこうよ。ヴィットは騎兵として、敵の陣形が崩れて白兵戦になった時に他の騎士と共に活躍してもらう。エーファは最初から戦場に投入、敵の銃弾を防ぎ、その後は重要な点の防衛に当たる」
「はい!」
「……はい」
「そしてミレナ、あなたは何十人分もの戦力を持っているから、単独で行動してもらうわ。あえてこちらの陣営に手薄な場所を設けて敵を油断させ、合図に従って敵を全滅させなさい」
「お待ちください、アルビーナ様!」
ヴィットが抗議の声を上げた。
「口を差し挟む御無礼をお許しください。しかし僕とて何十人分もの力を発揮できます。何故ミレナだけそのような評価を……」
「ああ、言葉が足りなかったわね」
アルビーナはちょっと面倒臭そうにヴィットを見た。
「ミレナは、ヴィット程度の魔法兵士の何十倍もの戦力を持っているのよ。お分かり?」
ヴィットは衝撃を受けたようで、束の間固まった。
「……こんな、誇りも何もない女がですか」
「そうよ」
ぐっ、とヴィットは悔しそうに唸った。
「まあ、実際に試してみるのが一番でしょう。そこに人形の群れを用意してあるから、ヴィットは正面から、ミレナは真横の遠距離から攻撃してご覧なさい。エーファはこれまでの練習通り、ヴィットの隙を守ってやって」
ミレナたちは言われた通り配置についた。
人形の群れは、横に十人、縦に十人、合計百体も用意されている。
「攻撃開始!」
「はあっ!」
ヴィットは馬に乗って突進し、目にも止まらぬ速さで槍を突き出して、前列の人形を全て倒した。エーファは盾を設けて想定され得る攻撃を防ぐ。
その間にミレナは後列の残りの人形の全てに弾を命中させて全滅に追いやっていた。
「な……っ!?」
「すごい、ミレナ……」
「はい、そういうわけでね。ご覧の通りミレナは、敵の銃弾が届かぬ距離からの射撃が可能な上に、強力な魔法兵士の攻撃速度を遥かに上回る速さで敵を倒せる。もうね、無敵ってわけなの」
「……そんな」
「ヴィット、あなたは兵士の出自や性別や思想に重きを置いているようだけれど、戦場で重要なのはそこじゃないわ。いかに自分が殺されることなく多くの敵を殺せるか。ヴィットもエーファもそこは他の魔法兵士より優れている。けれどミレナはもっと優れている。それだけの話よ」
「……」
ヴィットは馬と槍を消して、すとんと地面に降り立った。
「ぼ、僕は……」
何か言いかけたようだったが、そこに伝令が来た。
「アルビーナ様っ!」
「何かしら?」
「シェルべ王国軍が、我が国の国境線を越えて侵入して来ました!」
「あら。思ったより早かったわね。先遣隊は?」
「現在戦闘中ですが、力及ばず、押されている模様です」
「……分かったわ。伝達ご苦労。下がって」
「はっ」
アルビーナは慌てた様子もなく、微笑んでいた。ミレナたちの方に向き直る。
「あなたたち、出番よ」
「はっ!」
「ヒッ」
「おんやあ……もう私らは実地で戦えるんですか?」
「まあね、私の想定よりは練度が低いけど……前にも言ったでしょ、通用するって」
アルビーナは笑みを深めた。
「三人とも存分に活躍してらっしゃい。それじゃあ私は作戦会議に向かうから、あなたたちは先輩の指示に従って準備を進めなさい」
***
翌朝、出陣の時。
「どうかご無事で、ミレナ様」
王宮の玄関で、ラウラがミレナを送り出すために恭しく礼をする。
「ありがとうなあ」
ミレナはいつも通りに笑って、気さくにラウラの肩を叩いた。ミレナは、赤い上着に黒いズボンに白いベルトという、かっちりとした軍服を身にまとっていた。
「ラウラにしてもらったことを無駄にせんようにも、生きて帰ってくるなあ」
「ありがとうございます。お気をつけて」
「はあい」
ミレナは隊列に加わるために歩き出した。
王宮前の広場には大勢の人が集まっていた。
厳つい装備を身につけて馬を引き連れた重騎兵。剣を手にし、これまた馬を連れた軽騎兵。大砲の周りに配備された砲兵。銃剣を携えた歩兵。そして手ぶらの魔法兵。ヨアヒム国王とその側近たちも馬に乗っていて、アルビーナは宙に空いていた。その周囲は厳重に護衛されている。他にも、補給や後方支援担当の者や荷運び人、救護担当の者、ラッパで合図を送る者、伝令用の早馬など、実にさまざまな役割の人間が戦争には関わっている。
実に物々しい雰囲気だ。それをバーチュの町の市民たちが見物に来ている。
「道を開けーい! ペーツェル国王軍の出陣である!」
パーパラッパパーとラッパが前進の合図を告げた。
ザッザッと軍隊は行進を始める。
ミレナは魔法兵士の列の最後尾に並んで、きょろきょろと周りを見ながら先輩兵士に続いた。
魔法兵士は今回特に周囲の期待を背負っていた。今年選ばれた三名の魔法兵士は、非常に強力だという噂は、市民たちの間にも深く浸透していた。魔法兵士が現れると、市民たちは拍手で送り出した。
「はあー、賑やかだなあ」
「……うん。と、友達も見に来ているのかな……」
「お前ら、無駄口を叩くな!」
「何でじゃ?」
「規律を守ってこその兵士だろう!」
「そんなもんか? 知らなかったなあ。ごめんなあ」
行列は町の西の門を出た。
途端に周囲は静かになった。
森を抜けて、農地の端を通る。
農奴たちがもくもくと働いているのが遠くに見えた。
「ああ、ティモは元気でやっとるかなあ」
ミレナはいくらか小声で言った。
「き、きっと大丈夫だよ」
エーファも小声で返す。
「……」
ヴィットは何か言いたそうにしていたが、黙っていた。
その日中に、いくつかの町を通り抜けて、とある農地に辿り着いたところで陽が傾いた。ここで宿営する、との伝達が前方から伝えられた。
ミレナたち魔法部隊は身分が高いので、この農地の領主の家に滞在することが許された。王宮のそれほどではないが、ミレナにとっては充分に豪華な夕食が用意される。
「わあー、うまそうだべなー」
「そ、そうだね」
「……」
ミレナは心配そうにヴィットの方を見た。
「ヴィットはずっと何も喋らんなあ。どうした?」
「……」
「また私が何かしちまったべか?」
「……そうだ」
ヴィットはようやく口を開いた。ミレナは眉尻を下げた。
「そうかあ、ごめんなあ。何が気に食わなかったんじゃ? 私に教えてくれんか」
「お前が強すぎることがだ」
「……ん? 私は強いとか弱いとかよく分からんが……強いと何か問題があるんか?」
「僕は……お前みたいな農奴の女に負けるわけにはいかないのだ」
「ふうん。何でじゃ?」
「それは僕が誇り高き騎士だからだ」
「……。前も似たようなこと言っとったなあ」
ミレナは穏やかに言った。
「私にゃあお偉いさんの考えてることは分からん。ヴィットの言う通り、私は卑しい農奴の生まれじゃからな。でも今は同じ魔法兵士だべ? 仲良くやろう」
「僕が? お前と? 仲良く?」
「そうじゃ。私ともエーファともな」
ミレナはパンを頬張って、飲み込んだ。
「私はヴィットとも仲良くなりたい。ヴィットは勇敢で真面目で良い奴じゃ」
「……僕がか?」
「そうじゃ。真面目な奴は嫌いじゃない。何でも真面目が一番だべ」
「……真面目に訓練しても、僕はお前に及ばなかった。真面目にやっても報われるとは限らないんだ」
「そらそうじゃろ」
ミレナはあっさりと頷く。
「私も真面目に働いとったつもりじゃが、十七年間一度もティモに腹いっぱい食わせられなかった。何でも思い通りにはいかんもんじゃ」
「……!」
「それでも真面目に頑張っとれば、自分に自信がつく。自分は精一杯やったって胸を張って言える。誠実に生きられる。……ヴィットの言ってることは正直よく分からんが、ヴィットが真面目ってことは分かった。だからお前は良い奴じゃ」
「……」
「な? 仲良くならんか? そう怒ってばかりじゃあ、腹も減る……いや、これだけたくさん食べられるなら減らんのか? どうなんじゃろ」
ふん、とヴィットはスープをスプーンですくった。
「考えてやっても良い」
「本当か。ありがとうなあ」
ミレナはにこにこ笑った。
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