第8話 王様との謁見
ミレナが反省して休憩を取ることを覚えてから少し経った頃、王宮は忙しくなっていた。
遠出していたペーツェル国王ヨアヒム二世が王宮に帰還することになったのだ。
部屋がぴかぴかに磨き上げられる。豪勢な食事が用意される。護衛が増やされ見回りが強化される。
やがてヨアヒム二世が馬車に乗って王宮まで帰ってきた。ミレナたち魔法部隊も、護衛に混じってお出迎えをすることになっていた。回復したばかりのミレナは、魔法部隊の最後列に並びながら、ビシッとした姿勢を維持できるよう懸命に己と戦っていた。
馬車が通り過ぎる。ヨアヒム二世の姿は見ることができなかった。
だが、新しく魔法兵士になった者は、国王に謁見することとなっている。ミレナとエーファとヴィットは、その日の夕方に呼び出された。
ミレナたちはアルビーナに連れられて謁見の間に入った。ここにも赤い絨毯が敷かれていて、壁や絵画やカーテンなどは一段と豪華だった。
跪いて待つよう申しつけられる。しばらく、待たされる。
「面を上げよ」
ヨアヒムの声がした。
ゆっくりと顔を上げて、見えたのは、赤い見事なマントを羽織って椅子に座った、初老の男性の姿だった。そのそばにはアルビーナが愉しそうに立っている。
思ったより普通のおじさんだなという感想を、ミレナは抱いた。
それにしても、とミレナは思った。
これが、ペーツェル全土を領地とする国王。ペーツェルの封建制の頂点に君臨する男。そしてペーツェルの軍事化を推進している者でもある。
今回の遠出も、西の隣国シェルべ王国を脅威と見たヨアヒムが、北東の隣国ロゴフ王国と同盟を結ぶためのものだったと聞いている。これを受けてシェルべ王国との緊張感はますます強まっているとか何とか……ミレナにはよく分からない話が王宮では飛び交っていたものだ。
戦争が近づくのは嫌な気持ちがするが、戦争が始まらないと人を殺せないから、賞金ももらえない。複雑な気分のミレナであった。
ヴィット、エーファ、の順に、丁重なご挨拶が進められる。続いて口を開こうとしたミレナだったが、ヨアヒムに先を越された。
「……して、そなたが農奴出身の魔法兵士の娘か」
ヨアヒムは言った。
「はい。ミレナと申します。よろしくお願いします」
はん、とヨアヒムは小馬鹿にしたように笑った。
「農奴ごときが我が宮殿に出入りするとはな」
「……」
ミレナは何と言っていいか分からず、ぼけっとしていた。
「……御言葉ですが、陛下」
アルビーナが口を挟む。
「彼女は今や兵士の身分。既に農奴ではございません」
「農奴は生涯、農奴の身分と決まっておるだろう」
「例外もございます。それとも陛下、私の聞いた天の声を否定するおつもりですか」
「今日はやけに突っかかるではないか、アルビーナ」
「そうでしょうか?」
ミレナはぼんやりと二人のやりとりを聞いていた。自分が卑しい身分の出であることは否定しないし、馬鹿にされたところでお貴族様の戯れ言としか思わないが、アルビーナが庇ってくれているのが少しだけ嬉しくもあった。
「して、ミレナとやら。我のため、国のために戦う覚悟は、あるか」
ヨアヒムが問うた。ミレナは首を傾げた。
違う。ミレナが戦うのはお金のためであり、またそれが法律で決まっているからである。ヨアヒムのためだなどという話は聞いていない。
怪訝に思っていると、アルビーナが硬直しているのが見えた。ミレナは、また何かまずいことをしてしまったと、ようやく悟った。急いで修正する。
「はい、覚悟はございます。私は敵をたくさん倒してご覧に入れます」
「……ふむう」
ヨアヒムは信用しているのかいないのか、そう唸ると、「もうよい、下がれ」と言って、ミレナたちを追い払う仕草をした。ミレナたちは深々とこうべを垂れてから、三人で退出した。
謁見の間から遠ざかってから、エーファはどっと疲れたように肩を落とした。
「き、き、緊張した……」
「そうか? 意外と普通のお方だと思ったなあ」
「お前、失礼なことを言うな」
ヴィットは怒っていた。
「全く、何でお前らのような女たちが僕の同僚なんだ」
「えっ」
エーファは動揺して声を上げた。
「そりゃあ、矢が刺さっちまったからじゃなあ」
ミレナは言った。
「違う。僕は、王のため、祖国のため、戦う使命感を持っている。それなのにお前たちと来たら何だ。せっかく先輩方よりも強い力を与えられたというのに、本当は戦いたくないだの、金のために戦うだの、腑抜けたことを抜かしてばかりで。実に腹立たしい」
「だ、だって……」
エーファは言い淀んだ。
「そうかあ。ごめんなあ」
ミレナは詫びた。
「ヘラヘラするな!」
ヴィットは突然怒鳴った。
「ヒッ!?」
「……?」
「僕らは選ばれし者なのだ。なのにお前たちはどうしてその自覚を持てないんだ! 僕は……悔しい。新しい時代の魔法兵士が、こんなことでいいはずがない」
ヴィットは足早に先へと行ってしまった。後に残されたミレナとエーファは顔を見合わせた。
「お、怒ってたね」
「怒らせちまったなあ」
「……」
「……」
「……ね、ねえ、もし良かったら、今から街に出ない?」
エーファが遠慮がちに誘ってきた。
「街に? バーチュの街にか?」
「そう。もう仕事の時間は終わりだし……。ミレナは、訓練ばっかりでちっとも遊んでいないでしょう? わ、私が案内してあげるから、観光しよう」
「そうか。それじゃあ、よろしく頼むな」
「ありがとう」
エーファとミレナは王宮を出て、夕暮れの街に繰り出した。
「ほわー。首都ってのは随分と栄えているんだなあ」
ミレナは感心した。
地面には石畳が敷き詰められており、馬車の通る道があった。人通りも多く、雑多な人が行き来している。建物が整然と並んでいる。どこからかパンを焼く香ばしい匂いが漂ってくる。向かいには天を崇めるための教会が高くそびえていて、綺麗な金色の装飾や色とりどりのガラスで彩られている。その向こうには時計塔が建っていて、堂々たる威容で刻を知らせている。
「ここからじゃ遠いけど、あっちの方に、私の実家のパン屋があるの」
エーファは左の方を指差した。
「そうかあ。エーファはパン屋の娘さんだったか」
「そう。私、普通の町娘として生まれて、普通に恋をして、普通に結婚して、子どもを産んで……そ、そういう人生を送るんだって思ってた。戦争なんて自分には全然関係ないことだと思ってた……」
「分かるなあ」
「わ、分かる?」
「私も戦争には正直言って興味ねえもん」
「……そっか。そうだよね」
エーファは力無く笑った。
「私にはミレナみたいな目標も無いし、無理矢理連れて来られただけだって今でも思ってる。本当は人なんて殺したくないし、戦争で殺されたくなんかない。そんなのちっとも望んでいない。ふ、普通の幸せが欲しかっただけなのに……」
「そうだよなあ」
「そ、それなのに戦争の主力だなんて言われて、私、すごく嫌で……。盾の戦士になれただけ、不幸中の幸いだったけど。積極的に殺さなくて済むし、自分の身を守りやすいから……。でもやっぱり戦場に行くのは怖い。国とかどうでもいいから、自分が助かりたい。……それって、ふ、普通のことだと思うんだけど。怒られるようなことじゃ、ないと思うんだけど……」
「そうじゃなあ」
ミレナは同情を込めて言った。
「でも、ヴィットがああ言ったのはヴィットが貴族様だからじゃ。貴族様の価値観は私らには分からん。貴族様には貴族様の大事なもんがあるんじゃろ。だから、怒られたことは気にすんな」
「う、うん……」
「怖いのは当たり前じゃ。誰だって死にたくない。でも私にゃあ、エーファのその怖がる気持ちが、盾を強くしているように見えたなあ……」
「そ、そうかもしれない。怖い、嫌だ、って思ったら、何故か盾の力が強くなるの……」
「そうか。なら、エーファが選ばれたことには、意味がある。エーファはたくさんの人を守れる。そう思うと少しは慰めにならんか?」
「ええと……」
「ならんか」
ミレナは笑った。
「私はどうも愚図で仕方がないなあ」
「そ、そんなことないよ。ミレナに話せて、すっきりした」
「そうか。そりゃあ良かった。それじゃ、そろそろ暗くなっちまうし、戻ろうか」
「……うん。ついてきてくれてありがとう」
「何てことはねえ。私も観光とやらができて楽しかった」
ミレナは夕暮れの街を見渡した。
「こんなに綺麗なもんなんじゃな」
「うん」
「次は、ヴィットとも仲良くなれるといいな」
「え?」
「だって、同期ってやつじゃろ?」
「う、うん……」
二人はお喋りをしながら、ぶらぶらと王宮へと戻って行った。
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