第6話 お勉強の時間
「お勉強してもいいんですか……?」
ミレナはアルビーナに尋ねた。
「ええ、というか、しなさいって言ってるのよ」
「やったあ!」
ミレナは飛び上がって喜んだ。
「私、読み書きができねえもんで、ちょっとばかし不便でして……! 教えていただけるなんて夢のようです! 頑張ります!」
「ああ……」
アルビーナは困り果てたように額に手を当てた。
「読み書きすらできない魔法兵士なんて初めてよ……これじゃ勉強どころじゃないわ」
「ありゃあ、そうでしたか? お勉強って、読み書きの他にも何かやることがあるんだべか……難しいもんじゃなあ」
「そうよ……。はあ……」
「すみません、私、よく分からねえもんで……」
「困ったわね。適当な下官を付けて、さっさと覚えてもらわなくては」
アルビーナは手に持った紙に何か書き付けた。
そしてミレナたちを見上げた。
「じゃあ、お勉強はそれぞれ別々に教師をつけましょう。騎士の家系のヴィットなら知っていることも多いでしょうから、応用的なことを。エーファは戦争の基礎知識を。そしてミレナは……読み書きね」
アルビーナは溜息をついた。
そして、控えていた官僚に言った。
「分かったわね? 適当な人材を見繕いなさい」
「かしこまりました」
こうしてお勉強の時間が始まった。
ミレナには側近の下官がつけられた。二十歳くらいと思われる女性だった。
「ミレナ様のお世話を申しつかりました、ラウラ・リーネルトと申します。どうぞラウラと呼んでくださいませ」
ミレナはぶったまげた。
「私なんかに様をつける人は初めてです……! ミレナと呼び捨ててくださって構わねえですよ」
「いえ、そういう訳には参りません。ミレナ様は魔法兵士でいらっしゃる。私などよりよほど高位のお方ですので。私への敬語も不要です、ミレナ様」
「そ、そうなんだべか……? 何だかそうやって呼ばれると尻がムズムズしちまうな……」
「じきに慣れるかと。さあ、お勉強を始めましょう」
ラウラは紙にさらさらとたくさんの文字を書いて、ミレナに示した。
「まずはこの四十種の文字を覚えていただきます」
「はあー、四十もあるんじゃなあ。知らんかった」
「文字は子音と母音に分けられます。最初の五種類が母音といって、あー、いー、うー、……」
ミレナは真剣に話に聞き入った。
母音は母音だけでも発音できる。子音は母音と組み合わせて書くことで、色んな種類の発音を生み出す。なるほど、なるほど。
一通り話を聞いてから、手始めにミレナは、自分の名前の書き方を教わった。
「いやー、ミレナってこう書くんじゃなあ」
ミレナは嬉しくなって思わずにこにこしながら、繰り返し、ミレナ、ミレナ、ミレナ、と紙にインクで書き付けた。うまくペンが滑らずにインクが滲んでしまったが、ミレナは満足だった。
「ありがとうなあ、ラウラ。まさか私が自分の名前を書けるようになる日が来るとは思わんかった。死んだ父さんと母さんにつけてもらった大事な名前を、こうして書くことができるようになるなんて……すげえ嬉しいなあ。ありがとうなあ」
「いえ、お礼は結構です」
「なあなあ、そしたら、ティモってどう書くんか教えてもらえるか?」
「ティモ……?」
「そう、ティモ。私の弟じゃ。ティモは私のただ一人の家族だけんど、故郷に一人で置いてきてしまって……」
「なるほど。ティモという名ならばこう書きますね」
ラウラはまた紙に書いて見せてくれた。ミレナは「わあ」と喜びの声を上げた。それから、お手本を見ながら、懸命にティモ、ティモと繰り返し紙に記した。
ティモ、ティモ、ティモ、ティモ、ティモ、ティモ。
「これでいいか?」
「はい、お上手です」
「本当か? やったあ、私はティモの名前も書けるようになったぞ!」
ミレナは紙を持ち上げた。乾き切っていないインクが少し垂れて滲んでしまったが、ミレナは大満足だった。
そんな調子で、ミレナは勉強に意欲的であった。半日経った頃には、表を見ながらではあるものの、何とか文字が読めるようになってしまった。その集中力にはラウラも驚いた。
「ミレナ様は大変ひたむきでいらっしゃいますね」
「ん? 褒めてくれたんだべか? ありがとうなあ、ラウラ」
「い、いえ、どういたしまして」
ミレナはニッと笑うと、手にした子ども用の童話をめくって、文字の表と見比べながら、懸命に続きを読み出した。
「『ああ、うつくしい、いとしの、ひめ! どうか、この、ぼくと、けっこん、してください』
『まあ、すてきな、おうじさま! うれしいわ。ぜひ、けっこん、しましょう』
こうして、おひめさま、と、おうじさま、は、いつまでも、しあわせに、くらし、ました、とさ。おしまい。
はあー、なるほどなあ」
ミレナは深く頷いた。
「ティモも素敵な女の子を見つけて幸せになってほしいもんじゃ」
ラウラは瞬きした。
「ミレナ様は、ご自分が幸せな結婚をしたいとは思われないのですか?」
「私が?」
「ええ」
「いや、無理だべ?」
ミレナはあっさりと言った。
「何故です?」
「だって、私は魔法兵士になっちまったべ? 引退するまでは戦わにゃあいかんと、法律で決まっとる。それなのに結婚して、もし赤ちゃんでもこさえちまったら、戦えなくなっちまう。だから無理じゃろ?」
「それは、そうですが……」
ラウラは言い淀んでから、続けた。
「女性の魔法兵士の中には、一定期間お勤めをされた後、必要な手順を踏んで早めに引退して、結婚される方もいらっしゃいます。やはり女性にとっての一番の幸せは、素敵なお方と結婚して素敵な家庭を築くことでございますから……。ミレナ様はそうなさらないのですか?」
「私が? うーん」
ミレナは考え込んだ。
「……私も十七になるまでは、好いたお人と結婚することを夢見ていたなあ」
「左様ですか」
「でも父さんと母さんが死んでからは、村のもんらは私を避けるようになっちまったからなぁ。それでもほとぼりが冷めれば出会いもあるかと思っとったが……いや、やっぱり無理じゃな」
「何故ですか?」
「私にとっての一番の幸せは、ティモが幸せになることじゃからな」
ミレナは断言した。
「正直言って、他んことはどうでもいいんじゃ」
「どうでもいい……と申されましても。ご自分の結婚くらい、ご自由になさったらよいのではないですか」
「いやー、私は農奴じゃったから、結婚するにも領主様に結婚税を払わにゃあいかん。あん時はそんな金は持ち合わせとらんかった。とにかく、食べるのに必死で……。それに仮に結婚税を払えたとしても、それはティモのためにとっておきたかったからな。私のことはその後でええんじゃ」
「……」
「そして今は……あ、これはラウラに言ってなかったな。今の私の夢は、戦ってたくさんお金を稼いで、領主様からティモの身柄を買い上げることなんじゃ」
「そ、そうなんですか?」
「うん。だからしばらく引退はできん。そんで引退する頃にゃ、若くなくなっとるじゃろ。だから結婚はやっぱり無理だべ」
「そう……ですか……」
ラウラは暗い声で言って、俯いた。ミレナはそんなラウラの肩をバーンと叩いた。
「何、シケた顔しとるんじゃ。私は私の幸せのために頑張るっていう、それだけの話だべ? 結婚できねえことくらい、何でもねえよ」
「ミレナ様……」
「それよりほら、次の本を貸してくれ。早く読みたい」
「分かりました。ただいまお持ちします。少々お待ちを」
ラウラは部屋を出て行った。
暇になったミレナは、今度は書き物の練習を始めた。
「こうして、ティモと、およめさんは、いつまでも、しあわせに、くらし、ました、とさ……っと。これで合っとる、かな? ああ、そんな日が早く来ればいいなあ。……ようし、姉ちゃん、頑張るぞ」
ミレナはペンを持ち直し、四十種類の文字をひたすら模写し始めた。部屋にはただ、カリカリとペンの音だけが響いていた。
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