第4話 王宮での挨拶
ミレナはご機嫌だった。
最初、お湯を頭からぶちまけられた時は「何じゃあこりゃあ」と思ったが、されるがままに泡まみれになってごしごし全身をこすられて、もう一度湯を浴びせかけられてからお湯の中に浸けられた時は、その快適さにびっくりしてしまった。
「これがお風呂ですか! すんげえ気持ちのいいもんですね! ありがとうございます!」
ミレナは下官たちに言った。下官たちは「左様ですか」と言ったきり黙って控えていた。
「はあー。ティモにもお風呂に入ってもらいてえなあ。私、戦ってお金を稼いだら、このバーチュの町に土地と家を買うんです。そしたら家にはお風呂は絶対につけますね」
「……左様ですか……」
しばらく浸けるられた後、ミレナは細長い湯入れの中から出されて、乾いた布でごしごし拭かれた。そして髪をまとめられた後、まっさらで綺麗な白いシャツと、ほっそりとしたお洒落なズボンを与えられた。
シャツに袖を通したミレナはその肌触りの良さにこれまた驚いた。これまでゴワゴワとした麻布の服しか着てこなかったが、このシャツはするりと腕が通るし、着心地がすっきりしていて気分がいい。
ズボンは慣れなくてちょっと窮屈だったけれど、これもゴワゴワではなくすんなり肌に馴染んだ。それからズボンがずり落ちないようにとベルトというものを付けてもらった。最後に与えられた上着には毛糸が使われているのか、これまで感じたことのないくらいふわふわで温かくて、ミレナは夢見心地だった。
最後に髪が下ろされて、これもぱたぱたと乾かされた。その頃にはだんだんとお湯から得た温かさも冷めていったが、部屋には暖炉があるので寒くはなかった。仕上げにミレナの髪はきゅっと綺麗に編み上げられた。
「すげえ! まるで貴族様みてえだ! 下官さんたち、本当にありがとうございます!」
大きな鏡の前に立たされたミレナは、くるくると回りながら、感激のあまり大声でお礼を言った。
「お礼は結構です」
「どうぞこちらへ」
迷宮のような王宮内を案内される。いよいよ寝室へ向かうのかと思いきや、ミレナが通されたのは赤い絨毯の敷かれた広い部屋だった。
大きな椅子が三つ並んでいて、そのうち二つにはもう人が座っている。
「……? まだ何かあるのですか? もう寝る時間だべ?」
ミレナは下官に尋ねたが、下官は首を振った。
「まだ夜は始まったばかりにございます」
「これよりアルビーナ様との正式なご挨拶を行います。失礼のないようよろしくお願いします。さあ、そちらの席へ」
そうか、貴族様や王様は、明かり用の油のなくなる心配をしなくていいから、夜遅くまで部屋を明るくしていられるし、まだ眠らなくて良いのか。
ミレナは欠伸を噛み殺した。
そういえば舞踏会なんかは夜に開かれるって聞いたなあ……。貴族様は夜更かしなのだ。
ミレナは膝掛け椅子に座った。予想通りこれも座り心地が最高だった。ガタガタしていないで真っ直ぐだし、背中とお尻の部分にクッションまでついている。
ミレナは左隣に座っている二人に話しかけた。
「初めまして! 私はミレナっていうもんです。お二人のお名前を伺ってもいいですか?」
隣の茶髪の女の子がびくっとこちらを見た。その向こうの金髪の男の子は、じろりとこちらを見た。
沈黙が続いた。
「……あ……初めまして……」
女の子が、か細い声でようやく言う。
「わ、私はエーファ・ヴァイゲル……」
「へえ、貴族様ですか?」
「えっ、いえっ、この町の市民です」
「へえー、バーチュの市民さんだべか。すげえなあ。よろしくお願いします」
「よろしく……。あ、あなたは、もしかして農奴……の人?」
「そうなんですよ。よく分かりましたねえ」
「アルビーナ様に伺ったので……。一人、農奴の人がいると」
「そうですか!」
それからミレナは身を乗り出した。
「そっちの方は、お名前は何とおっしゃるんです?」
金髪の男性は不機嫌そうに言った。
「……ヴィット・パウル・ヴァン・シュタルクだ」
「ヴィット……? え、あー、貴族様? ですか?」
「そうだ」
「へえーっ。すげえなあ。よろしくお願いします」
「……ふん」
ヴィットはそっぽを向いた。
「あー、うーん、ちょっと馴れ馴れしかったべか? すみません、私は礼儀とかよく分かんねえもんで……気を悪くなさらねえでください」
「……」
ヴィットはそっぽを向いたままである。
ミレナはエーファに向かって苦笑してみせた。
「何かご機嫌を損ねちまったみてえです。申し訳ねえことをしました」
「あ……そうなのかな……」
「私ってばちょっと愚図なところがあるもんで……。領主様にもよく殴られたもんです」
「殴られ……?」
そこに、扉の開く音がして、アルビーナが入室してきた。ミレナはお喋りをやめた。
アルビーナは部屋の奥の一段高くなっているところにある立派な椅子に腰掛けた。今のアルビーナは発光していなかった。足が床に届かずぶらぶら宙を浮いている。
ミレナたちを見下ろしたアルビーナは、こう言った。
「さあ、改めて私に挨拶なさい。三人の戦士たち。本当はペーツェル国王のヨアヒム様にもご挨拶するべきだけど、今はお留守だから省略で。では、まずは一本目の矢に選ばれし者、ヴィット」
「はっ!」
ヴィットは先ほどまでの興味のなさそうな態度から一変、ビシリと立ち上がって敬礼した。
「ヴィット・パウル・ヴァン・シュタルクと申します!! ペーツェル王国の大天使アルビーナ様、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします!!」
腹の底から出した張りのある声でそう言う。エーファはすっかりびくびくしてしまっていた。ミレナは「へえー本当に軍人さんみてえだなあー」と感心して眺めていた。
「威勢のよろしいこと。嫌いじゃないわ。次。二本目の矢に選ばれし者、エーファ」
「はっ、はい」
エーファはおどおどと立ち上がった。
「エーファ・ヴァイゲルと申します……。ええと……その……アルビーナ様、以後、よろしくお願いいたします」
「おとなしいのね」
「あっ、あのっ、すみません……」
「別にいいのよ。戦ってくれるなら何も文句はないもの。次、三本目の矢に選ばれし者、ミレナ」
「はい」
ミレナはのそっと立ち上がった。
「ミレナです。そのー、前のお二人みたいに立派な苗字は持ってねえですけれども、この名前は気に入ってます。アルビーナ様、よろしくお願いします」
ふふっ、とアルビーナは笑った。
「個性的でよろしい。では謁見はこれにて終了。今から魔法部隊による歓迎のパーティーに招待するわ。私の後についてきてちょうだい」
「パーティー!」
ミレナは目を輝かせた。
「パーティーなんて初めてです! わあー、どんな料理が出るんだべか!? 楽しみじゃなあ」
「めいっぱい楽しむといいわ。さ、行くわよ」
三人は連れ立って、小さな天使の後に続いた。迷路のような王宮の廊下を歩いて、とある食堂までたどり着く。
四人は、魔法部隊の先輩軍人たちに、拍手をもって迎えられた。
ミレナは思わず「おお……」と言った。
見たこともないご馳走がテーブルいっぱいにずらりと並んでいる。これを、今から、自分も食べられると言うのか。こんな幸運が身に降りかかってくるなんて、考えたことすらなかった。
ミレナたちは先輩方にも自己紹介をした。
最後にミレナが自己紹介をすると、失笑する声とそれをたしなめる声が聞こえた。
「ぶふっ。これが噂の、農奴の娘か……」
「こら、そういう態度はよくないよ」
「いや、しかし……」
「ああ、あのー」
ミレナは申し訳なさそうに、笑った先輩に声をかけた。
「すみません。私は身分が低いもんで、作法とかよく分からねえです。何か失礼をしちまったなら、申し訳ないです」
「ああ、そういうわけではないんだ」
彼をたしなめていた黒髪の男性がそう言った。
「今のは彼の不注意だよ。気にしないでくれていいからね」
「はあ、そうですか。恐れ入ります」
こうして自己紹介は終わり、いよいよご馳走を食べる時が来た。ミレナたちは席に着いた。
ミレナは、いつ食べ始めていいものやらと、そわそわ料理の匂いを嗅いだ。名前の分からない料理が皿にてんこ盛りになっている。
巨大な肉の塊。野菜と肉のごろごろ入ったスープ。やわらかそうな大きなパン。……涎が出そうだ。
「ヴィット」
アルビーナが声をかけた。
「エーファもミレナも、テーブルマナーを知らないでしょうから、あなたが教えてやりなさい」
「……っ!」
ヴィットは明らかにぎょっとした様子だったが、すぐに生真面目な顔つきに戻った。
「はっ、仰せのままに」
こうしてヴィットの教えのもと、晩餐会が始まった。
ナイフとフォークの使い方を教わって、料理を口にしたミレナは、感激のあまり狼狽していた。
「う、う、うめえ!! 弟にも食わしてやりてえなあ。私だけ食べるのは気が引けるなあ」
そう言いながらも食べる手が止まらない。ナイフを動かす手間がもどかしい程に美味しい。肉、スープ、パン、どれも味わったことがないほど質が良くて、味も食べ応えもばっちりだ。というか、そもそも肉をちゃんと食べたことがない。こんなにうまいものだったとは知らなかった。
「……そんなにがっつくな。行儀の悪い……」
ヴィットが不機嫌そうに言った。
「あっ、すみません。でも私、こんなにうめえもんを食ったのは生まれて初めてで……」
「口に物を入れたまま喋るな」
「……」
ミレナは急いで口の中のものを飲み込んだ。
「ああ、悔しいです。弟がここにいりゃあなあ! 好きなだけ食わせてやれるのになあ……!」
「あの……弟さんが、いるのね……?」
エーファが遠慮がちに声をかけてきた。
ミレナは猛然と頷いた。
「そう。ティモって名前で、とってもいい子なんです。働き者でしっかりしていて、おまけに優しくて……。私はティモに腹いっぱい食わしてやるのが夢だったんです」
「そう……? これまでに、お腹いっぱいになったこと、ないの?」
「あるわけねえです! いっつも貧しい生活で、ティモには可哀想なことをしました……」
「お前、口に物を入れたまま喋るなと言っただろう」
「……。んでも、私はティモが本当に不憫で……」
こうして賑やかに、歓迎パーティーの夜は更けていった。
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