第3話 弟との別れ

「らしい、じゃなくて、なったのよ、魔法兵士に。あなたは三本目の矢に当たった、前代未聞の農奴出身の魔法兵士」


 アルビーナは言って、指をパチンと鳴らした。すると黄金の矢はスゥッとミレナの胸の中に吸収されて消えていった。ミレナは胸が温かくなるのを感じた。


「それもあなたは、これまた前代未聞の、銃の魔法使いよ」

「銃の……? そんなもんがあるんですか。弓じゃねえんですか」

「新しくそうなったのよ。今年から」

「へえ、そうですか」


 ミレナは頭を捻った。銃の魔法? 一体それはどんなものなのか。見当がつかない。あのみなぎる力と何か関係がありそうだが、果たして自分に使いこなせるのか。うーん……何か、こんな感覚だったような……。


「ああ、ちょっと、ここで魔法を使うのはやめた方がいいわ。家に穴が空くわよ」

 アルビーナが止めたので、流石のミレナも慌てた。

「そら大変じゃ。ティモが風邪を引いちまう。どうすればいいんですか?」

「力を抑えて。あなたなら分かるはずよ」

「力って、この、みなぎっとるやつですか?」

「そう、それよ。それを抑えるの。深呼吸して」


 すうー、はあー。

 力が収まっていくのを感じる。

 アルビーナは一息ついた。


「さあ、これでよし。ミレナ、私に掴まって。今から王宮に連れて行くわよ」

 意気揚々と言うアルビーナに、ミレナはおずおずと尋ねた。

「アルビーナ様、私はやっぱり王宮の魔法部隊に入らにゃあならんのでしょうか」

「そうよ。そう法律で決まっているもの」

「その……そしたらついでに、王宮に弟を住まわせては頂けませんか」

「ごめんなさいね」


 アルビーナが残念そうに微笑む。


「ご家族の方は一緒に来てはならないの」

「そしたら……そしたらティモは、独りぼっちになっちまうってことですか?」

「そうなるわね」

「そうでございますか……そうですか……」


 ミレナは立ち上がって、ティモの藁布団の方を向いた。そしておもむろにティモを抱き寄せた。


「ちょ、姉ちゃん」

「ごめんなあ……姉ちゃんはお前を独りになんかしたくねえのに……」

「……気にすんなって。それより俺は、戦場に出る姉ちゃんの方が心配だよ」

「私はアルビーナ様に魔力をもらったから大丈夫じゃ。でもなぁティモは……私が守ってやらにゃあと思っとったのに……」

「姉ちゃん」


 ティモはいくらか力強い声で言った。


「俺はもう十七で、立派な男だよ。一人でもやっていける」

「でも独りぼっちは寂しいじゃろ。村の他のもんらはお前に近寄ろうともせんし……。姉ちゃんはお前を思うと悲しい」

「俺も、姉ちゃんが戦わにゃあならんのは、悲しいよ」

「うっ、ううう……可哀想なティモ」


 藁布団にぽとっと涙が落ちた。


「……姉ちゃん?」

「ううん。泣くんはこれが最後じゃ」


 ミレナはぐいっとボロ着の袖で目元を拭った。


「姉ちゃん、いっぱい戦っていっぱい稼ぐからな。そのお金でお前の身柄をダーフィト様から買い上げる!!」

「……え?」


 ティモはぽかんとした。


「そんでもってお前を自由の身にしてやる。そして、誰もお前を除け者にしない場所までお前を連れてってやる。そしたらまた姉ちゃんと暮らすもよし、新しい仕事を探すもよし、可愛いお嫁さんを見つけるもよし、好きに生きられるじゃろ」

「で、でもそりゃ、ものすごーくたくさんのお金がいるべ」

「だから姉ちゃん、いっぱい頑張る!」

「いっぱいって……自由農民になるだけで百万ぺドルだべ? 都市に家を買って暮らしていくとしたら、もっとかかるんじゃ……」

「そうね」


 アルビーナは口を挟んだ。


「あなたの年収だけじゃちょっと足りないから、頑張って。さ、私は急いでいるの。ミレナ、こっちへいらっしゃい」

「分かりました、アルビーナ様。……ティモ、ごめんなあ。元気でなあ」

「……姉ちゃんこそ、無事でいろよ」


 ミレナはぎゅっとティモを抱き締めると、決然とした表情でアルビーナに近寄った。

 アルビーナは少し眉をひそめてミレナを見た。


「ちょっとその姿は……何と言えばいいのかしら……あなた、ちゃんとお風呂に入ってる?」

「お風呂? ……あー、夏に水浴びするやつですか? あんまりやらんです。忙しいもんで」

「……」


 アルビーナは目を泳がせた。


「? アルビーナ様、どうされましたか?」

「ま、まあ、いいわ。私は慈悲深い天使ですもの。それに私があなたを選んだのですもの。たとえ相手が農奴の身分であろうとも、しっかり役目を果たさなくてはね。さあ、私の手を取って」

「はい」


 ミレナがアルビーナの小さな手を握ると、アルビーナは家の外に出た。ティモもついてきた。


「今から空を飛ぶから気をつけて」

「へっ? 空を?」

「行くわよ!」


 タッとアルビーナは地を蹴った。

 ふわっと二人は宙に浮き上がった。ミレナはほんの少し目を見開いたが、すぐに悲しげな表情でティモを振り返った。


「ごめんなあ、ティモ。しばらくお別れじゃ。また迎えに行くから待っとってな! ごめんなあー、ティモ!」

「姉ちゃんのせいじゃねえって言っとるべさー! 謝んじゃねえー!」

「ティモ、元気でなあー……!」

「姉ちゃんもなー……!」


 言い合っているうちにみるみる高度は上がり、ティモは小麦の粒のように小さくなって、見えなくなってしまった。


 冬の空高くは寒いかと思ったが、アルビーナの光のおかげで暖かい。


 アルビーナは星空の下をふわふわと漂いながら、ちょっと目を細めてミレナを見た。


「あなた、弟のことばかり喋っていたわね」

「そりゃそうです。ティモは私の一番大事ですから」

「だいたい、どうして弟に謝ったのかしら? これじゃあまるで、私に選ばれたことが、悪いことみたいじゃない!」

「えっ?」


 ミレナはびっくりしてから、少し考え込んだが、やはりよく分からないので正直に言うことにした。


「すみません、よく分からねえで……。ただ私は、弟を独りぼっちにしちまうことが、良いこととは思えねえです」

「それはそれ、これはこれ。この私に選ばれたことは、天に選ばれたことを意味するの。そうしてペーツェル王国のために戦えることを、光栄に思わないのかって聞いてるのよ」

「え? いや別に、思わねえです」


 ミレナは即答した。アルビーナはげんなりした様子だった。


「何で……? あなた、国を守りたくないの」

「……? いや別に、守らなくていいと思います」

「何でよ!?」

「王様が変わっても、領主様が変わっても、ティモの生活に何か影響があるとは思わねえですから。どんな状況でも、農奴は農奴として働く。それは一生涯変わらんことでしょう」

「は……? え……? ええと……」


 アルビーナは混乱したように額に手を当てた。


「……いや、隣国の状況を鑑みるとそうとも言い切れない……。いえ、そういうわけにもいかないわね。シェルべ王国にだけは負けられないもの。となれば、農奴にとっては国家間の戦争なんて関係のないことよね。特にこの地域は穀物生産によって財を成しているのだから、領主の首がすげ変わったところで、農奴の地位が変わるわけでもなさそうだし……」

「そうです。そりゃ、農地が戦場になったり、略奪にあったりしたら、困りますけど」

「うーん……。低い身分の者を王宮に受け入れるのって、意外と大改革だったりするのかしら……」

「? どういうことですか?」

「いえ、こっちの話よ」


 ミレナは「ふうん」と言った。それから、はっと気がついて、こう付け加えた。


「でも安心してください、アルビーナ様。私は頑張って戦いますよ! 敵を沢山殺せば、お金を沢山もらえるんですよね?」

「ええ、そうよ」

「ようし。姉ちゃん、人殺すのちょっと嫌だけど、めいっぱい頑張るぞ! 頑張って、そんで、ティモの身柄を買ってやっからな! それまで待ってろよ、ティモ!」

「あなた本当に弟のことばっかりね。……まあいいわ」


 アルビーナは嘆息した。そして、スイーッと下降を始めた。その先にあるのは、大理石でできた立派な四角い建築物。


「ここがペーツェル王国の首都バーチュにある王宮よ」

「へえ……」


 ミレナはすっかり感心して上空から王宮を見つめた。


「でっけえですね。それに綺麗だ。灯りもいっぱいついてら」

「あなたは今日からここに住んで、戦いの訓練をするわ。先生は私。よろしくね」

「えっ、アルビーナ様が直々に教えてくださるんですか」

「魔法を使った戦術は特殊なのよね。だから通常の人間の頭じゃ使いこなせないのよ」

「へえ、そいつはすげえなあ。どうぞよろしくお願いします」


 すとん、と二人は王宮の裏に着地した。

 護衛の者がやや驚いたふうに姿勢を正して、問いかけた。


「アルビーナ様、なにゆえ裏口に……」

「農奴を汚い姿で表玄関に通せるわけがないでしょう。……下官!! 女の下官を呼んで」


 アルビーナは小声で言ったが、ミレナにはばっちり聞こえていた。聞こえたところで別に傷つくことなど何もなかったが。そういうものなのか、まあ私たちは卑しいからなあ、などと呑気に考えていた。

 最初にやってきた下官に、アルビーナはミレナを押し付けた。


「あなたたち、この子を王宮で学ぶに相応しい姿になさい。体を洗ってやって、それなりの衣服を調達するの。いいわね?」

「かしこまりました」

「じゃ、そういうことだから。綺麗になって出直しなさい、ミレナ」

「へえ、分かりました」


 ミレナは、きょろきょろと王宮の壁の装飾を物珍しげに見回しながら、下官についていった。

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