記憶のなかの姉

 透はよく同じ夢を見る。 


 四年前、姉と直に話した最後の記憶。

 その日もいつものように彩音がそばにいて、透の面倒を見てくれていた。




「いてっ! もういいよ姉ちゃん。こんな転んだだけの傷放っておいても治るって」


「そんなのダーメ。ばい菌が入って悪化しちゃうかもしれないでしょ?」



 そう言って彩音は、えい! とひざの傷にガーゼを張った。帰ってからそのまま、学校の制服姿で献身的に透の手当てをしてくれている。

 しかしその両手には痛々しく包帯が巻かれていた。



「その手。また部活でケガしたの?」


「ん? あーこれのこと……」

 しばしの沈黙を経てから、彩音は舌を出して笑う。


「お姉ちゃんうっかりして、アツアツの土鍋を素手でもっちゃってさ。軽いやけどだったけど先生が心配して包帯巻いてくれたのよ」



 彩音は中学で料理部に入っている。そこでのやらかし話を透は何度も聞いてきたが、不自然な傷もそのなかにはあった。

 透はあえてそれを追求しない。自分が知れば姉が悲しむと思ったからだ。



「姉ちゃんってもうすぐ卒業だけど、勉強も運動もほかの人よりできるのに料理ってなるとそそっかしくなるよね」


「あうっ……けっこう気にしてるとこなのに、ひどぉい」



 落ち込む彩音。それを見た透は傷つけてしまったと思い焦る。



「そ、そんなつもりじゃなかったんだ、ごめんなさい。泣かないで姉ちゃん」



 謝罪をして、しゃがんでいる彩音の頭をなでた。


 これでも彩音は他の文化系・運動系の面々から助っ人を頼まれるほどの多才であり、勉学でも上位に食い込む成績優秀者だ。

 賞状やトロフィーの多さだけでなく、男女からの黄色い声援もすさまじい。


 何せ彩音は一七〇センチの高身長でモデルのようなわがままボディをしている。

 おまけにその顔は凛々しさ漂う美形女子なので注目されて当然だ。

 

「うふふ。透ちゃんのナデナデ、癒される~」 


 透も四歳しか離れていないこのハイスペックな姉が本当に自分の姉弟なのか、と小学生ながら疑いかけた時期すらある。

 だがそんな彩音だってもとから万能だったわけじゃない。



「でも大丈夫! たくさん練習していつか料理も上手になってみせるんだから。そしたら透ちゃんや海ちゃんに、お母さんやお父さんがいないあいだでもおいしいご飯を毎日作ってあげられるし」



 単身赴任の父と仕事で遅帰りの母の代わりとして、透や海のために陰ながら相当な努力をして磨き上げてきたのだ。

 ずっとその背中を見てきた透にとって、いまの彩音は誇らしい姉であり、英雄ヒーローのような存在となっている。

 

 そうして話していると彩音のバッグから携帯電話の着信音が鳴った。

 メールだったのか、彩音が手に取り目を通すとその表情が一瞬曇る。携帯をしまった彩音は透に向き合った。



「ごめんなさい透ちゃん。お姉ちゃん急用ができちゃったから出かけてくるね。遅くなるかもしれないけれど、お留守番お願いしてもいい?」


「うん。わかった。海ももうすぐ帰ってくると思うし」


「ありがとう、透ちゃんだいすき! じゃあ行ってくるね。かならず帰るから待っててね」



 透にハグをしてから、彩音は笑顔で手を振って玄関に向かう。

 

 

 ――このあと数時間の記憶を透は覚えていない。

 次に覚えているのは病院のベッドで数週間ぶりに目覚めたこと、そのあいだに彩音が卒業して高校へ進学せず引っ越したことだった。

 記憶はなかったが、あのあと透は彩音の忘れ物を届けようと追って事故に遇った。そう彩音が証言したらしい。


 

 忘れることのない、深い悲しみと姉への罪悪感の日々。

 そんな何度も見た悪夢から逃げるように、透の意識はしだいに現実へと引き戻されていった。

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