ルーチェ(2-4)
「ここが、街の外……」
ルーチェは街の出入り口を抜けて少し先の草原、通称兎の草原にやって来ていた。生まれた頃から王城の外にほとんど出ることなく過ごしてきたルーチェにとっては、近くの草原ですら初めて見る景色だ。
「そんなに感慨深く呟くほどか? 冒険者になったんだ、これからもっと色んな景色を見ることになるぞ」
アーヴェンはルーチェの顔を覗き見て呆れたように笑う。その横でクロも訳知り顔で頷いていた。
「冒険と言ったら未知の領域への進出よ! 燃え盛る火山や深い海! 入り組んだ樹海から、呪われた遺跡まで! アタシ達で誰も知らない物を見に行くんだから!」
クロが瞳を輝かせて遠くを指差す。その指の先には、遠目からでもわかる火山があった。ボルタレと呼ばれる火山が街の近くにあることをルーチェは知っている。その文献で得ただけの知識が景色と紐づいていく感動にルーチェは微かに身体を震わせた。
「確かにボルタレ火山、行ってみたいですね」
「へー、あそこはそんな名前なのね。まっ、今のアタシじゃあそこの魔物とか環境に耐えられないだろうけど。でも、いつかは行くわよ」
「それもいいな。組合情報では火山の魔物自体は中堅程度で倒せる程度のはずだ。耐熱装備さえ整えれば遠くない未来に行けるかもな」
アーヴェンは火山を見つめて手元の手帳を確認しながら二人に告げる。街の周囲にある領域の情報調査に関しては、組合で得られる情報全てをアーヴェンは手帳に記していた。
「ならまずはあそこを目標にしましょうよ! ルーを強くして、火山に遠足よ!」
「あ、でも……。わたくしは、ひとまず街から出たくて」
「なんだ、街を出たいのか。ってなると護衛依頼を受けれる程度になる必要があるな。まぁ、そこらへんの判断は組合がしてくれるさ。今はとりあえずここの魔物である魔兎を数体倒してみてくれ」
アーヴェンは草原でぴょんぴょんと跳ね回る兎を指し示す。一見無害な兎にも見えるそれらには、しかし明確に兎と違う点があった。それは兎の額に角のように生えた魔石だ。
「あれが、魔物ですか。可愛いだけのようにも見えますが」
魔兎からは魔力の気配が漂うものの、害意はないようにルーチェからは見えた。戦い傷つくことを恐れているルーチェであるが、だからといって弱い者を一方的に殺したいわけでもない。本当に倒さなければならない相手なのかと訝しむようにルーチェはアーヴェンを見つめた。
「まぁ、魔兎自体はこちらから襲わなければ人も襲わない魔物だ。けどな、あの額の魔石が大きくなると周りから危険な魔物を呼び寄せるようになっちまう。だから駆除対象なんだよ」
「それに、襲ってこないからって戦えないわけじゃないわ! 油断してると大怪我するわよ!」
クロとアーヴェンの言葉を受けて、ルーチェは魔兎を再び見つめた。凶悪さの欠片もない魔物ではあるが、駆除対象は駆除対象だ。申し訳ないという気持ちを必死に抑えて、ルーチェは剣を構えた。
「へぇ、その構えは王国剣術か。しかも綺麗な構えだな。見様見真似ではなさそうだ」
「一応、正式な王国剣士から習っておりました」
ルーチェが構えた剣を見て、アーヴェンは感嘆の声を漏らした。王国剣術とはサンジェ王国にて脈々と継がれた戦闘剣術である。起源は、まだ魔物を遠ざける道具がなかった時代に生まれた魔物討伐剣だ。冒険者に最適な剣術でありながら、貴族などでなければ学ぶ機会が少ないと有名な剣術でもある。
貴族なのだろうかとアーヴェンはルーチェの顔を見つめたが、それも一瞬。詮索するなど冒険者らしくもないと小さく首を横に振るとアーヴェンはルーチェに向けて僅かに微笑んだ。
「剣術を学んでいるなら心配はいらないか。まぁ、いざとなれば俺もクロもいる。好きに戦え」
「はい。では、いきます!」
心を落ち着けるように深く呼吸。気合を入れたルーチェは一体の魔兎に狙いを定め、力強く一歩踏み込んだ。魔力を剣にまとわせて、威力を跳ね上げる。二歩目の踏み込みでまとわせた魔力を剣に沿って刃の形に整形。三歩目の踏み込みで魔兎の前まで辿り着いたルーチェは剣を魔兎の首に振り下ろした。
ザンッと空間ごと裂くような音を響かせて魔兎の首に触れた剣は、何の抵抗を受けた様子もなく肉を切り裂き骨を断つ。魔兎の首を容易く切り落とした剣は勢いを失わぬままに地面を切り裂き、深々と突き刺さった。
「うっ、血が……」
ごろりと落ちた首を染めるように、深紅の血が魔兎の身体からドクドクと吹き出す。生き物を殺したのだという実感にルーチェは胃を振り回されたような感覚に陥った。
「綺麗な切断面だな。王国剣術では剣気を断ち切る方向性で鍛えると聞いていたが、これほどとは」
「アタシの魔爪でも首くらい落とせるけど、ここまで綺麗にはいかないわね。何が違うのかしら?」
近くまで寄ったアーヴェンとクロは魔兎の首を見つめて平然と言葉を交わす。その二人の横でルーチェは口を押さえて蹲っていた。血や死体が気持ち悪いと思ったのではない。ルーチェを苛んだのは罪悪感だ。
「なんだ? 殺すのは初めてか」
「そう、ですね。ただ懸命に生きていただけの命を奪った思うと、うっ……」
「なるほどな。魔物にまでそこまで優しくなれるのは才能かもしれん。無理はしなくていい。冒険者は殺すのが仕事なわけじゃないからな」
「そうそう! アタシは何とも思わないから任せてくれてもいいわよ!」
励ますようにクロはルーチェに擦り寄って背中を撫で、アーヴェンは周りを警戒しながら水筒をルーチェに差し出した。
「ありがとうございます。んっ」
水筒を受け取ったルーチェはごくごくと喉を鳴らし、嫌な物を押し流すように喉を潤す。二人の優しさがただルーチェは嬉しくて、自分が情けなくて。少しだけ涙が零れた。
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