ルーチェ(1-1)
「『ルーチェお姉様、昼過ぎにどうか僕の部屋に来てください』? どうしてトラヴェスはわざわざこんな手紙を書いたのかしら」
王城の一室。豪華絢爛の中に可愛らしさをのぞかせる部屋の中で、姫のルーチェはいつの間にか部屋に置いてあった奇妙な手紙を手に首を傾げていた。
差出人はルーチェの弟であるトラヴェス。実際に会って口で言えばいいだろうにと思いながらルーチェはふと外を見て、既に昼過ぎであることを確認する。
「年頃の男の子として、恥ずかしいのかしらね」
思い返せば前日の夜以降トラヴェスを見ていないと思いながら、ルーチェは弟の部屋に向かうための準備を整える。
姉弟とはいえ互いに年頃の男女であり王族だ。ある種の礼儀として手紙での招待なのかもしれないと判断したルーチェは、公式の場に近い装いに変えて部屋を出た。
「それにしても、何の用事かしらね。面白いことでもあったとか?」
それとも、真面目な話だろうか。弟の部屋にお呼ばれするなど久しぶりだと、ルーチェは少しそわそわしながら王城を歩く。
そうしてしばらく呼ばれた理由を考えている間に、ルーチェは弟の部屋の前まで辿り着いていた。
「トラヴェス、入ってもいい?」
扉を軽く叩いてルーチェが問いかける。少しの間をルーチェは静寂の中待つが、トラヴェスの声は返ってこなかった。少し様子がおかしいとルーチェは気がつく。嫌なほどに周りは静かだった。
「いないだけ、よね?」
少し気味が悪くなったルーチェはぼそりと呟きながら、扉の取っ手に手をかける。ガチャリと音を響かせ取っ手が回った。鍵が開いていたのだ。
背筋に寒気が奔る。トラヴェスは部屋に鍵をかけないままで出歩くような人ではないとルーチェは知っていた。
「トラヴェス! 入るわよ!」
部屋の中で倒れてるのかもしれない。咄嗟にルーチェはそう考えて部屋に飛びこむ。
寝台の上。箪笥。閉められた窓。状況を確認しようと視線を素早く動かしたルーチェは、その何処にも弟の姿を見つけられず一瞬思考が停止した。
「誰も、いない?」
ただ鍵を閉め忘れただけだったのか。そう安心しかけたその瞬間。ルーチェの口が背後から布で塞がれた。
「なっ、何をっーー」
くぐもった声で叫び、ルーチェは布を取り払おうと暴れる。けれどその抵抗も長くは続かなかった。ぶつぶつとした何者かの声を聞いた瞬間に、ルーチェの意識が遠くなったのだ。
死ぬわけにはいかない。そう思いながら、ルーチェは気を失ってしまった。
***
「くそっ! 何故材料が届かない! もうこちらの準備は整ったというのに!」
「……またなの?」
ガンガンと騒がしい男の声にルーチェは目を覚ます。そこは牢屋の中だった。ルーチェの服はぼろぼろで、身体も幾分か痩せ細っている。既にルーチェが牢屋に閉じこめられて数回は同じ状況で目を覚ますほどに時間が過ぎていた。
「あぁ、起きたのかルーチェ姫」
くぐもった声を響かせて、男がルーチェに振り返る。黒い布で全身を覆い仮面を着けた姿の男は、ゆったりとした足取りでルーチェのいる牢屋へと近寄った。
「貴方がうるさいからよ」
「おぉ、それは失礼した生贄の姫よ。だが、こちらの予定がうまくいっていなくてね……」
牢屋の前まで来た男はルーチェを見下ろし、悲しそうな声を出した。その声は仮面でくぐもってしまい、男が何者かを判別することはできない。だが、その声の響きと身体の動かし方から男が若者でないことだけルーチェはわかっていた。
「貴方の予定なんて知らないわ。どうせわたくしを殺すのでしょう?」
「もちろんだとも、生贄の血を受け継ぎし娘よ。姫の血を使い、魔の化身を呼び出すことで我らがサンジェ国は大陸の覇者となるのだ!」
高らかに叫ぶ男の言葉にルーチェは目を伏せる。男の言葉を信じたくなかったのだ。
「貴方は何者なの? どうしてわたくしの血のことを……」
「言う必要があるかね? どうせ死ぬ姫様よ」
「だってわたくしの血のことを知るのはーー」
ルーチェの言葉は牢屋を叩きつける激しい音に中断された。男が突然牢屋を叩いたのだ。
「黙れ黙れ黙れ! 静かにしろ! あぁ、もう少しなのだ。早く戦争を。魔の化身を! 早く早く早くっ!」
突然狂ったように男は叫んで辺りを歩き回った。布の上から身体を掻き毟りながら男は牢屋から離れていってしまう。
「お父様、トラヴェス……。わたくしを生贄にするのですか?」
静かになった牢屋の中、ルーチェは頭を抱える。
かつて魔の化身を下したと言われるサンジェ女王に流れていたとされる特別な血。その血は時を経てサンジェ女王の子孫であるルーチェに色濃く残っていた。その名を生贄の血。強い魔力を宿したその血は人々の希望にも絶望にも成り得る力を持っているとされている。
だが、ルーチェの知る限りその事実を認知しているのはサンジェ王国の王族だけだ。
「わたくしの血は、守らなければいけない血」
強い力を持つからこそ、ルーチェは自らの血を未来へ受け継いでいかねばならないと幼い時から思っていた。それは家族も同様だと信じていたのだ。
「それを、戦争のために使わせるわけにはいかない……」
戦争という言葉からも、ルーチェを捕まえた存在は国に属す人間であることは明白だった。トラヴェスの手紙に従った結果捕らえられたことも踏まえれば、既に家族を信じることはできない。
「でも、ここから出る手段なんて」
幸い何かしらの想定外により男の予定が狂ったことでルーチェはまだ殺されていないが、それもいつまで続くかはわからなかった。
だが隙を見て逃げようにも、仮面の男がいなくなれば白の布を纏った別の仮面の者達が見張りに着いてしまうのだ。今も、一人が見張りとしてルーチェを見つめていた。
「あぁ、どうしたら……」
このまま死ぬしかないのか。そう絶望しかけたその時、カチャリと小さく鍵の外れる音が響いた。
何事かと牢屋の出入り口を見つめて、ルーチェは驚愕する。見張りが牢屋の鍵を外していたのだ。
「あっ……。あぁ!」
準備が終わってしまったのか。そう考えてルーチェは恐怖に駆られた。逃げるなら今しかない。そう判断して、ルーチェは見張りを突き飛ばすように牢屋から飛び出した。
背後を振り返ることもなくルーチェは走る。他の牢屋を横切り、上に続く階段を見つけて駆け上がる。階段の先、扉を開け放ちルーチェは理解する。そこは王城の地下牢だったのだ。
「ここから、逃げなくちゃ」
王城はもう安全な場所ではないとルーチェは駆けた。必死に走って、駆けて、息を切らして。無我夢中で逃げたルーチェは、気がつけば街の出入り口まで辿り着いていた。
「……ここから、どうしよう」
ルーチェは出入り口の前で呆然と立ち尽くす。いつ背後から追手が来るかもわからない。いっそこのまま街からも出てしまいたかった。けれど、街の外に出ればルーチェ一人では魔物に襲われて終わりだ。
「ってわけで、アタシにも仲間ができたからアンタと二人で冒険もこれで最後かもね!」
途方に暮れていたルーチェの前を、街の外から帰って来た猫人族が横切った。黒の毛並みに杖を掲げて楽しげに笑うその姿を見て、ルーチェは冒険者の存在を思い出す。
「そうだ、冒険者。冒険者なら、街からわたくしを連れ出してくれるかも!」
ルーチェはそう叫んで冒険者組合へと走って向かった。
***
「おい、嬢ちゃん。こんな時間に何の用だ?」
冒険者組合に入った瞬間、荒くれ者といった姿の男にルーチェは呼び止められていた。武器を提げた荒々しい男の姿に恐怖し、ルーチェはぶるりと身体を震わせた。
「そ、その。わたくし、冒険者に依頼をしたくて……」
「まぁ、その見た目で冒険者はねぇだろうな。そんで、いくら用意してるんだ?」
鼻で笑いながら男はルーチェを上から下まで見つめる。
「いくら、とは?」
「金に決まってんだろ。それともなんだ、冷やかしか?」
その言葉を聞き、ルーチェは目の前が真っ暗になった。金など王族であるルーチェは持ち歩いていない。そして男の反応からもわかるように、ルーチェの姿は一般に知られていなかった。現状において、ルーチェは依頼を出せるような状態ではなかったのだ。
「あ、あの。その……。ごめんなさい!」
「あっ、ちょっと待て!」
静止する声を無視してルーチェは冒険者組合を飛び出した。これで振り出しに戻ってしまったと、途方に暮れてルーチェは空を見上げる。暗がり始めた空がじわりと涙で滲んだ。
「わたくしは、どうしたら……」
家族に裏切られ、金もなく街に一人。天涯孤独となった寂しさにルーチェは崩れ落ちてしまいそうだった。
ぐぅと腹が鳴る。足も痛いほどに疲れていた。いっそ全てを諦めてしまいたい気持ちになりかけて、しかしルーチェは首を大きく横に振る。
「生きなければ。わたくしの血を、後世に受け継がないと」
サンジェ王女から続く希望の血を絶やすわけにはいかないと、幼い時から抱えた決意を新たにルーチェは前を向く。
そのルーチェの視界に、黒髪の青年がにこりと微笑んだ。
「おや、こんばんは」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます