シロ(2-3)

「ちっ、やっぱり殺されてやがる。傷からして短剣か。おい、誰かいるんだろ?」


 用心棒の視線が部屋を彷徨う。シロは息を殺して影に潜むが、死体に気がつかれてしまった現状を考えれば見つかるのも時間の問題だ。


「ここにいるのは殺されて当然の下衆野郎さ。普段なら俺様が殺してるくらいだぜ。けどな、俺様も約束した仕事は果たさなきゃなんねぇ」


 用心棒が油断なく穴を抜け部屋に入る。手にしていたのは長剣。狭い部屋で使うには大き過ぎる剣だが、壁をも破壊した用心棒には取り回しの良さなど関係ないのだろう。一発でも直撃を受ければ死ぬ、そうシロは判断すると同時に逃げられないことを直感的に悟った。


「邪魔する奴は排除するって約束なんだ。悪いが手は抜けなくてな。まぁ、どうにか逃げてみてくれよ」


 用心棒が剣を構える。視線はまだシロに向いていないが、見つけ出す算段があるだろうことはその余裕からもわかった。ならば、見つかる前に先手を取る方が良い。シロは深く息を吸うと、二本の短剣を構えた。


「ふっ!」


 息を鋭く吐くと同時に地を蹴る。長剣を握る用心棒の手に向けて、シロは短剣を突き出した。


「おっと、危ねぇ」


 用心棒の手がずらされ、短剣は長剣にぶつかる。認識していないはずだった。シロの攻撃は不意打ちとして用心棒の手を貫き、武器を落とすはずだったのだ。それなのに、用心棒は確かに当たる直前に短剣を目で追っていた。


「素人か? 白髪の可愛いお嬢ちゃん。剣気がダダ漏れてんぞ」


 用心棒の視線が正確にシロに向けられる。完全にシロの存在が認識されていた。


「剣気って、何?」


「あっ? 剣にまとう魔力に決まってんだろ。ちっ、本当に素人かよ」


 用心棒の説明にシロは言葉の意味を理解した。猫人族で言うところの、魔爪。つまりは、身体や武器を魔力で覆うことで頑丈さや威力を引き上げる技術のこと。シロが短剣で容易に首を貫き切り裂けるのは、猫人族特有の膂力に加えて魔爪を用いていたからだ。


「わたしは魔爪って呼ぶ」


「あっ? なるほど、ちと暗くてわからなかったが猫人族か。仲間を助けにきたんだな」


 用心棒は視線をシロの頭上に向けると小さく笑う。その笑いが嘲りからではなく安堵から漏れたように見えて、シロはこくりと首を傾げた。


「悪い人じゃ、ない?」


「いや、悪い人だ。お前の仲間を捕まえてる所の用心棒さ。黒毛の嬢ちゃんの匂いでわかるだろ? いや、下水臭くてわかんねぇか?」


 用心棒は自分の体臭を気にするように服に顔を寄せて笑う。だが、用心棒から下水の匂いはしていなかった。下水のような強烈な匂いが用心棒に直接付いていたならシロが感じ取れないはずがない。


 ならば何故、用心棒は下水の匂いを気にした発言をしたのか。そう考えてシロは思いつく。クロに下水の匂いが付いていたのではないかと。


「下水路を使って、奴隷を運んだ?」


「なんだ、潜入調査に関しちゃ本当に素人だったのかよ。まぁいい、無駄話もここまでだぜ。こっから俺様は全力でお前を殺す。お前はせいぜい全力で逃げるこったな」


 言外にシロの言葉を肯定した用心棒はゆっくりと剣を構えて息を整えた。その一呼吸の間に、用心棒の剣から発される威圧感が数倍に膨れ上がる。


「にゃ……」


 死ぬ。猫人族としての危機察知能力が諦めを告げ、シロの足から力が抜けた。


「おらよぉ!」


 瞬間横薙ぎに払われた剣が部屋全体を横断する。幸運にもへなりと崩れ落ちたシロの頭上を剣が掠めた。


「避けたか。いや、偶然か? そんなんじゃ仲間を助けらんねぇぞ」


 そう告げる用心棒の視線が部屋を彷徨う。シロが突然崩れ落ちたことで用心棒はシロを視界から外してしまったのだ。


 自分の存在が認識されていないことに気がついたシロは、どうにか荒れる呼吸を落ち着けて震える足で立ち上がる。頭の中は恐怖で埋め尽くされていた。


「妙な技だな。魔法か? いいぜ、かくれんぼだ」


 用心棒が笑って部屋を見渡す。相手が本気で探そうとしていた場合シロの効果は意味をなさない。気がつかれる前に逃げなければと、シロは用心棒の横をすり抜け廊下に出ようと地を蹴った。


「おっと、見えたぜ」


 扉に飛びこむ寸前、用心棒の剣がシロに襲いかかる。咄嗟に振り下ろされた剣に勢いはなく、シロはどうにか短剣で用心棒の剣を弾くと慌てて飛び退った。跳躍によって視界から外れることに成功したシロは、攻撃を防いだ手を振って痛みに顔を歪ませる。


「速いな。視界から外れると見えなくなるわけか。けど、わかっちまえば次はないぜ」


 用心棒の立ち位置は自分の空けた穴の前。そしてその視線は出入り口を常に意識している。こうなってしまえばシロの逃げ道はない。


 どうすればいい。どうすれば逃げられる。必死に頭を働かせ、シロは逃げ道を探る。必要なのは用心棒の意識を逸らすことだ。だが、どうやって。


「おいおい、もう攻撃はしてこないのか? 怖くなっちまったのかよ、情けねぇ。それで仲間が救えるのか?」


 動きを見せないシロを用心棒が煽る。その言葉でシロは用心棒が魔爪を感じ取り攻撃を防いだことを思い出した。認識していない中でも用心棒は魔爪に気づくのだ。ならばそれが陽動になる。


 心を落ち着けシロは集中する。機会は一度だけ。失敗は死を意味する。震える足に力をこめてシロは跳ね上がった。


「ふっ!」


 シロの身体が天井まで舞い上がる。天井に足を付けたシロは再び跳躍。頭上から用心棒に斬りかかった。


「おっと、上からか!」


 笑みを浮かべた用心棒がシロの短剣を剣で防ぐ。だがシロも攻撃を止められることは分かっていた。短剣を用心棒の剣に引っかけるように弾き、空中でシロは横に軌道を変える。それは僅かな軌道の差でしかない。用心棒が続いて振るった剣はシロを両断するだろう軌跡を描いていた。だが、シロにはまだ用心棒に知られていない切り札がある。


「『加速』」


「なっ……」


 速度を増したシロの身体横を剣が通り過ぎた。そのままシロは壁に足をつけ、跳躍。勢いのままにシロは部屋から廊下に飛び出た。


「おい、用心棒! 何があった! っておい!」


 シロが廊下に出ると同時に裏口の見張りが部屋前に駆けつける。シロを追って振られた用心棒の剣が見張りの鼻先を掠めた。


「ちっ、狙ってやがったか。やるじゃねぇか」


「おいお前、何言って……。って、なんでみんな死んでんだ!」


 部屋の惨状を見た見張りが驚きの声を響かせるのをちらと眺めて、シロは裏口に続く両扉に飛びこんだ。


「なんとか、逃げれた」


 息を切らしてシロは裏口を抜け外に出る。降りしきる雨の感触に、シロは生きていることを実感して身体が震えた。


「雨で、よかった。にゃぅ」


 びしょびしょに服を濡らしたシロは後ろを振り返り、誰も追ってきていないことを確認して安堵の声を漏らす。


 奴隷は解放し、奴隷商の拠点が倉庫から下水路で繋がる場所であることもわかった。目標は達成だ。


「早く、帰る」


 少しの達成感を胸に路地裏を駆け抜けてシロはチアーレ商会へと向かう。


 ざあざあと降る雨はシロが商会についてもなお止むことはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る