一等星

@maskin

一等星

今から30年ほど前のことだ。


まだ二十歳を半ばの若造の僕は、ある事情があって、東京からほど近い郷里に帰省する道中にいた。


新幹線のチケットを買い、混雑する駅構内をかき分け、改札を通過。長い長いエスカレーターをいくつも乗り換えて、ようやく自由席の表示が付いたドアに滑り込む。入り口の自動ドアが開くと、客席のほとんどが埋まっているのが目に入ったが、後方から2つめの窓際の席に自然と吸い込まれていった。


文章を書ける人間を目指していた僕は、着席してすぐ勉強のために買いあさった本や雑誌をむさぼるように読み、真っ白なノートに沢山のメモを書き綴っていた。気になるキーワードや見出し、リード、そしてそれらを構成する数々の言葉が、どのように物語を紡いでいくのかを、時折目を閉じながら思索を繰り返していた。


すると、まもなくジャケットを着た白髪交じりの紳士が、隣の席に静かに座わったのだ。年の差30才以上はある印象だった。よくあるサラリーマンのように遠慮無く強引に座るというよりは、こんな若造にも気を遣ってくれているのではないか?と感じさせる謙虚さを持ち合わせていた方で、嫌な気分は全くなかった。


ほどなくして新幹線は発車し、地下トンネルをゆっくり地上に抜けると、車窓には初秋の都心の風景がゆっくりと流れていった。昭和を忘れられない悲しみに溢れる風景。僕は、ときおり外を眺めてはメモを取り、本を見てはメモを取り、社会に横たわる大きな潮流を自分の創造性とリンクしようと夢中になっていたのだ。


当時の僕は、世間に落胆していた。社会人としては、まがりなりにも成果らしい成果を、ほかの人にはできないような方法で実現することができていた。僕らしいといえば、僕らしいのだが、当然ながら地方都市の中小企業においては、いわゆる「出る釘」としてあらゆる偏見と批判が渦巻いていた。決して声が大きいわけではないが、発想だけは派手だったのかもしれない。


だからこそ、若くして結婚するものの、地方としてで「打ち込まれた釘」に収まることを許すことができなかった。周りの人を押しのけ前に出たいわけではない。むしろ、どんな人とも前向きに対話を繰り返し、それぞれの人が持つ可能性と向き合い、常に代謝を繰り返すような社会的諸関係を作りたいと思っていたのだ。つまり、打ち込まれてしまったら、生きることを諦めるようにその一部に過ぎなくなるわけで、それがどうしても許せなかったのだ。


ある日、仕事関係、友人、恩師、家族、家財道具、すべてを捨てて僕は東京に脱出した。かなりの古い商業ビルの一角にある部屋で、しばらくは布団すらない生活をしていた。部屋の中で、生きる意味を考え、生活のためになにをすべきかを考え、それでも文章を書くことの意義に挑戦することだけを考え続けていた。時には生活のためにアルバイトをすることも考えたが、ギリギリのラインをどうにか死守してきたのだ。


今、大きなお金を払って新幹線に乗ることになったのは、そうした朴訥とした僕の人生の歩み方を超えた事件が起こったからだった。たった一人の幼なじみが突然死んだのだ。隣県から50ccのバイクに乗って、帰省する途中だった。親思いだった彼は、仕事が終わった後、なるべく早く戻るために仕事場からそのままバイクに乗ってこっちに向かっていた。深夜だった。あと5キロほどで実家に着くというタイミングで、居眠り運転のトラックドライバーに突っ込まれた。


病院に担ぎ込まれた幼なじみは、腹部を完全にえぐられていた。死の淵に立ちながら彼は、ご両親の目をじっと見つめたまま天に召されたということだった。輝く星のような、天使のような人間だった。僕は、心から傷ついていた。離婚と転居に続いた人生の大事件といってもいいだろう。早く早く、彼の亡骸に寄り添いたかった。


新幹線に飛び乗った僕は、学生とも違う、無我夢中で書物を読みあさったかと思えば、目を閉じて考え事をしている。社会人にしてはちょっと変なヤツ。周りの席では談笑している人が大半なのに、なんて寂しいやつなんだろうと思われたのだろう。確かに僕の目からは涙がこぼれていた。すると、隣の席に座っていた紳士が、キオスクの袋からビールを出し、プルタブを開けて、僕の席のテーブルに置いたのだった。


正直驚いた。こうした出会いがまんざらキライでも無い僕はすぐにビールを手に取り、隣に座る紳士の目を見つめた。その方は、ジャーナリストの田原総一郎 氏だった。彼は、僕の目を見つめ返し、何も言わずに乾杯とビール缶を交わしてくれた。それから数十分、おつまみのピーナッツをティッシュペーパーに包んで渡してくれたりしながら、ビール缶を二人で黙って飲み干しました。その間、田原総一郎 氏は一言も話さず、笑顔すらみせなかった。


それが僕にとってどれだけの慰めになったか、とても言葉で表すことはできない。先に下車する僕は、別れ際、深く頭を下げた。田原総一朗 氏は、かるく目配りして、初めての出会いはそこで終わったのだ。


地方の中堅都市の駅前は、雑然としていた。少し距離はあるが、歩いて実家に向かっていくことにした。美しい緑、メリハリのない火山岩のブロック塀、沢山のバス、日本最大の平野の末端を思わせる壮大な空。どれもこれも、非日常の世界の入り口の風景のように思えた。


僕はどうしてここにいるのだろう。痛々しい人間関係、幼なじみの死、すべてに意味があるのだろうか。この苦難を乗り越えると、僕は強くなるのだろうか。僕はうまく笑えているのだろうか。目の前のなだらかなカーブを超えると、そこは僕の世界、多くの人に守られ、勇気を授かる創造性の地。誰の生きざまをも反故にせず、田原総一朗 氏のようにそっと缶ビールを差し出すことができる世界。誰もが一等星になれる、ただ一つの世界。


(了)

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