第十一章
「親父っさん! 次はどっちだ!」
「北東の櫓。すでに梯子がかけられたようだ」
遠眼鏡を片手に
「北門にはすでに兵を集めるように言ってある。すぐに出られるぞ」
「さすが手際がいいなと言いたいところだが、人使いが荒過ぎねえか。ったく」
墨烏は文句をいいながら、瓶に汲まれた水を柄杓ですくってあおるように飲み干すと、またどかどかと足音を立てながら部屋を出た。
戦が始まってまだ半日。敵方は恐ろしいほどの適格さで、この城を攻めてたてていた。
これだけの遠征では、補給路が確保が難しく、早晩飢える。それまで持のらりくらりとち堪えれば良いというのが籠城戦の定石だ。しかし、のらりくらりとしていてはとても持ち堪えることはできそうにない。
「北門から出る! 誰か櫓の上から援護してくれや!」
籠城は守り手が有利というが、それは、敵と互角の力を持っていた場合のことだ。
しかも鸞の城は山間にあるため堀がない。上流であるため堀を作れるほど川の水を集められないからだ。そのため、城門ひとつ、櫓ひとつ落とされても命取りになる。城の内側に入られた時点で勝負決する可能性が高い。
「梯子をかけさせるな。それだけに集中しろ! わかったな」
墨烏は城門の内側で兵をまとめると、外へ討って出た。城門の上からも本丸の狭間からも矢を雨のように降らせてはいるが、それだけでは、櫓や城壁に張り付いた兵を退けるのは難しい。やはり、一軍が打って出て敵を押し戻す必要があるのだ。
北東の櫓には、藍鷺が言ったように、すでに何挺もの梯子がかけられていた。すでにかなり上まで登っている兵の姿もいる。
「くそっ。上の奴らは何をしている。矢でも石でもなんでもいいから降らせやがれ!」
墨烏は篁の兵を蹴散らしながら、櫓へ向かう。梯子を下で支えている者たちを数人がかりで襲うよう、味方の軍には徹底しているが、門から討って出たのが遅かった。このままでは、櫓に上がられてしまう。
そのとき、今にも櫓にあがりそうだった兵が木の葉が落ちるように梯子から落ちていった。
「ん? 足を滑らせたか」
すると、別の梯子を上っていたものも落ちる。その背には矢が刺さっていた。
「
櫓に取りついていた兵が、次々と落ちていく様は嵐の中の木の葉のようだった。ほとんどのものが射落とされる頃には、墨烏の率いていた軍も櫓までたどり着き、梯子を支えている者たちを斬り倒していた。
「遅くなった」
朱鷺が弓を片手に墨烏の傍らまで駆け寄ってきた。
「おう、助かった! 相変わらずいい腕だな! 若さんは?」
「
「よっしゃ、あいつらを蹴散らしてから、城に戻るぜ!」
朱鷺は墨烏に付き従って、城門前に群がっていた敵軍を押し戻すと、その隙に細く開けられた城門から味方の軍とともに城内に入った。
「よく帰ってきたな、嬢ちゃん!」
馬を降りるなり朱鷺に抱き着こうとした墨烏の足を素早く払うと、反射神経の良さから転びはしなかったが、二・三歩大きくつんのめった。
「若、御館様のところへ」
「ああ、わかった。従兄上も一緒に」
「翠鸞、白鷹、よく戻った」
碧鸞は、息子と甥が怪我もなく、無事鸞の城に戻ったことを殊の外喜んだ。
「伯父上、久方ぶりです」
「白鷹、護城の兵を連れて戻ったと聞いたが」
「はい。護城の役を解かれましたので、皆連れ帰りました」
「今は、ひとりでも兵が欲しいところ、助かる。翠鸞、
「…すぐにこちらに割ける兵はないと……」
「そうか…」
榛の國は、西から攻めてきた篁の國の別働隊と対峙している。
「おい、敵は大方退いたぜ。陽が落ちてきたし、今日はここまでだろう」
墨烏がいつも通り案内を請いもせず、颯の間に踏み込んできた。
「伯父上、この余所者にいつまで好き勝手させておくおつもりですか」
「墨烏のことか。あの者のことなら気にするな」
「気にします! このような場に許しも得ず!」
「従兄上。墨烏はこの鸞の國の将として、いろいろと尽くしてくれています」
「そうだとしてもだ! 最低限の礼儀はわきまえてもらいたい!」
白鷹が鋭い目つきで墨烏をにらみつけると、墨烏は飄々とした様子で、にっと笑って見せた。
「こんな非常時に、礼儀だなんだが必要なのか?」
白鷹と墨烏は犬猿の仲で、白鷹が護城として榛の城に上がっているときはまだしも、こうして顔を付き合せたときには常に口喧嘩が絶えない。
「墨烏、今は鸞の國の皆が力を合わせるときだというのに、喧嘩をけしかけるようなことは言わないように。従兄上、今は礼儀の話は横においておきませんか。まずは明日の軍議でしょう」
翠鸞が公平に、白鷹と墨烏をたしなめると、ふたりはお互いに、ふんと鼻を鳴らして座り直した。
朱鷺も末席に座ると、藍鷺が目線でねぎらってくれるのがわかった。
軍議といっても籠城の守り手側に取れる策は少ない。相手の出方次第というところが本音だ。それでも、白鷹が連れ帰った兵を編成しなおし、それぞれの櫓や城門へどれだけの兵を配するのかを見なおすと、夜半近くなってきた。
朱鷺には北西の櫓が任されることになった。北西の櫓は、鸞の城の中で一番高く、遠見櫓を兼ねている。この櫓は崖の斜面を利用して建てられているため、下から攻めるのが難しい。つまり下から攻め上がられることを気にせず、上から矢を射ることができるということだ。
朱鷺は久しぶりに弓場に赴き、ありったけの矢をかき集めると、北西の櫓に運びこむことにした。戦が始まると補給に戻ることは難しい。できる限りのことをいまのうちにやっておきたかったからだ。
「おい、片方よこしな」
後ろから声をかけてきたのは墨烏だった。朱鷺は矢筒とはいえないほどの大きな籠を前と後ろに抱えていた。そのどちらにもぎっしりと矢が詰まっている。墨烏の声を無視しようとしたら、前に抱えていたほうの籠を取り上げられた。
墨烏にも行き先はわかっているのだろう、城の渡り廊下をぬけて北西の櫓へと向かう。細い階段を幾層もぬけて、上までたどりついた。
月が明るく照らしている。戦の最中であることを一瞬忘れてしまいそうな美しさだった。
その中でも朱鷺は黙々と矢羽を整え、弓の張り具合を確認した。墨烏に声を掛けるわけではないが、つれなく追い出すわけでもなかった。
「なあ、朱鷺…」
墨烏がふと切り出した。
「おまえ、自分の名になっている鳥を知っているか?」
「朱い色の鷺か? ないな。鷺は見たことあるが、白かった」
自分の名は、義父から一文字、その自分の目と髪の色から一文字を組み合わせたものだ。実在の鳥の名と考えたことはなかった。
「いるんだよ。俺の生まれた北方の國には。綺麗なんだぜ。見た目は白いんだが、羽の内側が朱いんだ。一斉に飛び立つと空が朱く染まったみたいになる…」
「見てみたいな」
ぽつりと朱鷺が呟く。朱鷺は鸞の國の外へ行ってみたいと自分から思ったことは一度もなかったが、自分と同じ名前の鳥が空を朱く染める様子は見てみたかった。
「
「『とき』…?」
「そうだ。同じ字を書いて、『とき』と読む」
「いい響きだな」
「だろ」
「墨烏はどうして、わたしなんかに関わりたがるんだ?」
いろいろなことに寛容な鸞の國でさえ、朱鷺は異形だった。朱い目と一房の朱い髪。女とは思えない体つき。人の域を超えた弓の技。義父と翠鸞以外、まともに向き合ってくれるものはほとんどおらず、遠巻きにされることがほとんどだった。
「なんだろうな…。ほっとけないというのが一番近いか」
「ほっとけない?」
「ああ、お前は強い。だから、みんな気が付かないんだろうな。中身が危なっかしいってことに」
「……」
「自分じゃ気が付かないんだろうがな。まわり、見えてねえだろ。若さんを護るってなったら、自分のことはおかまいなしだ。肩に矢が貫通してても、そのまま敵軍に突っ込むんだからな」
「あのときは、そうするほかなかった…」
「わかってるって。だけどな、若さんを護るって言っているお前のことは、誰が護ってくれるんだろうな」
「わたしは、誰かに護ってもらわないといけないほど、弱くはない」
「武人としては、そうだな。でも、弱みを見せられないのが、弱い証拠なんだよ」
「弱み?」
「そこがわかってねぇってこと。だから危なっかしくてさ」
やはり、墨烏の言うことは感覚的で、朱鷺にはよくわからなかった。ただ、墨烏の目が本当に優しく自分を見ていることは、嫌ではなかった。
「保留にしておく…」
「あ、何が? っておい、俺の嫁になる話か!」
その答え方に苛ついた朱鷺はすぐに前言を撤回した。
「やっぱり、やめる」
「いや、保留でいいから。後でもう一回よく考えろよ」
「やめる…」
「ああ、もう。じゃあ、この戦が終わったら、何回でも求婚しなおすから、その度に考えてくれよ。そのうち嫁になりたくなるかもしれないだろ」
「ならない。…たぶん」
「たぶんじゃねぇか。今はそれでかまわねぇよ」
墨烏は朱鷺の頭をぽんぽんと叩くと、軽く手をあげて櫓を降りて行った。『朱鬼』と呼ばれている朱鷺の頭を叩くことなど、墨烏以外誰もしない。
「明日は早ぇぞ。早く寝ろ」
階下から自分を気遣う声が聞こえる。朱鷺も今はそれだけでいいと思えた。
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