第六章

その日、しんの城は騒然としていた。

 きつの國で内乱が起きたとの知らせが、早馬がでもたらされたのである。

 各國の護城にすぐに参集するようにとの知らせが届き、翠鸞すいらんたちも評議の間へ急いだ。

「そろそろ危ないとは思っていたけどね」

 一緒に評議に出席する白鷹はくうは、翠鸞の隣を歩きながらそう言った。

「ここのところ戦続き、桔の國はどうしても矢面に立たされる」

 桔の國は榛の國の南西にあたり、西の大國であるこうの國と事を構えるとなると、どうしてもその領地が戦場になることが多い。田畑は荒れ、働き盛りの者たちが兵に駆り出されると、民は食い詰めてしまうことになる。

 榛の國はそんな桔の國の内情に気を配り、この度の護城の務めを免除したり、上納する税を割り引いたりしていたが、そんな段階を通り越していたのだろう。

 朱鷺しゅろは、足早に進む二人の少し後ろからついていく。榛の國に来てから、様々な國の実情を耳にすることが多くなった。翠鸞の側で、稜榛りょうしんや白鷹の話を聞いていると自ずと耳に入ってしまうのだ。一介の弓士として仕えていれば、決して知りようのないことだった。

 翠鸞が出立前に國守である碧鸞へきらんに言ったように、ここで学ぶべきことは数多くあるようだった。


「集まってもらったのはほかでもない。桔の國のことだ」

 稜榛が居並ぶ家臣たちと、それぞれの下つ國の護城たちを前に話を切り出した。

「さきほどの早馬で届いた知らせによると、國守が囚われ、倉が打ちこわしにあっているようだ」

 稜榛の説明に評議の場がざわつき始めた。内乱が発生しただけならともかく、すでに國守が囚われているとは、尋常なことではない。

 もし、國守が暴徒たちの手にかかることでもあったら殊である。主を失った國は必ず混乱する。特に内乱の首謀者などは、政に疎いものがほとんどだ。目の前にある苦難から逃れることに必死で、先のことまで考える余裕がないことが多い。國守を倒した後、その舵を取ることができず、内部から崩壊していく例に事欠かない。

 桔の國がそのような状態に陥ることを、見過ごすことはできない。桔の國は南西の國堺を護る重要な下つ國である。篁の國にこの隙を突かれては、取り返しのつかないことになりかねないからだ。

「兵をまとめて、すぐに立つ」

 稜榛はそう言うと、行くつかの部隊の名を挙げた。呼ばれた部隊の長は、さっと席を立ち、準備のために席を外していった。主だったものたちが呼ばれた後、稜榛は同席していた下つ國の者たちに向き直って言った。

「今回は急を要することもあり、下つ國に兵は要請しない」

 例えば、もっとも距離のある鸞の國から兵を出すとすると、伝令を出してから、兵を合流させるまでに最低でも五日はかかる。すでに國守が囚われているとの情報がある以上、そのような悠長なことは言っていられないからだ。

「下つ國の方々は、護城の務めをしっかりと果たされよ」

「は」

 皆がかしこまって答えると、稜榛は翠鸞の方を向いて声をかけた。

「翠鸞殿、そなたは、わたしと一緒に来てもらおう」

「かしこまりました」

 翠鸞はそう答えると、ちらりと後ろに控えた朱鷺に目をやった。その仕草に気付いた稜榛は、にやりと笑い、付け足した。

「『朱鬼あかおに』も連れて参れ。朱鷺よ、そのほうの働き、期待しているぞ」

「は、ご期待に沿えるよう、精進いたします」

 朱鷺は顔を伏せてそう答えると、立ち上がった翠鸞とともに部屋を出た。


 榛の國に来てから、初めての出陣である。しかも翌朝の出立ということになり、城中が慌ただしくなっていた。

 鸞の國から来た者たちのうち、稜榛について桔の國に向かうのは、翠鸞と朱鷺だけであった。他の者は、護城代である白鷹とともに、護城の兵として留守となる城を護る役目にあたる。

 実際には稜榛の父である國守は城にあるので、留守城とはいえない。しかし、すべてを稜榛が取り仕切っている現状では、隠居同然の國守が城にあったとしても、留守城のようなものだった。

「わたしも付いて行きたいところだけどね」

 翠鸞の出陣の準備を手伝いながら、白鷹が言った。

「実際、いつも居残りばかりでは、腕がなまって仕方がないよ」

「白鷹の従兄上に限って、そのようなことはありますまい」

 翠鸞が笑いながら言葉を返した。

 榛の城に来てから、朱鷺も何度か白鷹と稽古をともにしたことがあるが、その剣の技は冴えわたり、朱鷺でさえ、なかなか一本を取ることがかなわなかった。

 見かけは、優し気な顔立ちの美丈夫だが、鸞の國の武人として、その鍛え方は並ではないようだった。

「朱鷺、翠鸞を頼むよ」

「もとより」

 朱鷺はそう短く答えると、自分の出陣の準備に追われることとなった。どれほどの規模の戦になるのかがわからないため、矢の数に気を配らねばならなかった。

 朱鷺の使う強弓のための矢は特別なもので、途中で補給がきかない。これまで鸞の國の兵として参戦するときには、自軍の後衛に呼びの矢を預けておくことができたが、今回はそれが難しい。

 準備をする朱鷺の脇には、鎧一式が置かれていた。朱鷺の鎧は肩と大袖が朱に塗られていた。遠くからでも、『朱鬼』がここにいるとわからせるために、わざと朱く塗ったのだ。

「確かにこれを着込めば、とても十六の娘には見えないな」

 白鷹はしみじみとそう言うと、その兜の先を指ではじいた。

「白鷹様、声が大きゅうございます」

「大丈夫、この慌しさだ、誰も聞いてないよ」

「鎧などまとっていなくても、誰もわたしのことを女だと疑っている者などおりません」

「だろうね。朱鷺が来てから、城に仕えている娘たちの人気をさらわれっぱなしだよ」

「…?」

「気付いてないのか?」

 白鷹が歩くと、城の娘たちが色めきたち、中には文を渡したりするものがいるのは知っていたが、自分も娘たちに同じような目で見られていたことなど、気付きもしなかった。

「気のせいではありませんか」

「やれやれ」

 白鷹はそう言うと、小さく溜息をついた。

「朱鷺、一度よく鏡を見てごらん」

「あいにくと、鏡は持ち合わせておりません」

「あのね、朱鷺は娘たちの心をわしづかみにするような容姿をしているよ。女の子というのは、無骨な武人よりも、優し気でこぎれいな男が好ましいらしいからね」

「どう見ても、わたしは無骨な武人かと…」

「だって。翠鸞、どう思う?」

「朱鷺は綺麗だよ」

「はい?」

 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

「確かに、普通の女の子のような美人とは違うけど、武人としては颯爽としていて、好ましいと思う」

 翠鸞はそう言い、自分の側仕えとしても好ましいと付け加えた。

 朱鷺は返す言葉もなく、ただ口を開けたり、閉めたりするだけだった。

「あ、あの、このような話、出陣間に不謹慎かと…」

 ようやっと朱鷺がそう返すと、二人は緊張感がほぐれて良いと言って笑った。


 桔の國の國府・桔照は、榛の國の國府である榛遥しんようから、馬を飛ばせば一日半。確かに榛の國の喉元であり、内乱が起きる場所としては最悪と言えた。

 國境を越えて桔の國に入ると、手入れの行き届いていない田畑がめにつく。ここに来るまでにも感じていたことだが、榛の領内とあまりにも違っていた。農作業をしている者たちには年老いた者が多く、活気がない。國全体が疲労困憊のように感じた。

 先を急いだ稜榛は、徒歩の兵を引き連れることはなかったため、一度の野営をはさみ、次の日の昼過ぎには、桔府である桔照きっしょうが見えるところまできていた。

「煙が…!」

 思わず声を漏らしたのは、朱鷺だけではなかった。少し前にいた稜榛からは、舌打ちをする音が聞こえた。

「遅かったか」

 煙の出どころは桔照の中央あたり、おそらく桔の城であろう。

「皆のもの、駆けるぞ!」

 稜榛の号令に、みな馬に鞭を入れる。朱鷺も翠鸞から離れることなく、馬を走らせた。

 桔照は城下街とは思えない荒廃ぶりだった。通り沿いにあったのだろう、商人の蔵などは、打ちこわしにあったようで、ひどいありさまになっていた。

 飢えて動けないのか、朱鷺たちが馬で駆け通る様子を、軒先に座りこんだままぼんやりと見上げている幼い兄弟の姿もある。

 同じ下つ國とはいえ、戦場となったことがない鸞の國とはあまりにも違っていた。

「かなり、荒れているね」

 翠鸞が、声を落して朱鷺に話かけてきた。

「これほどとは……」

「近年、戦が続いていたからね。桔の國はどうしても最前線になりがちだから」

「負担が大きくなっていたのですね」

 城が近くなるほど、混乱の度合いは大きくなっていた。どうやら火が出てから、さほど時はたっていないようで、頬を煤で汚した人たちが城から流れ出てくる。

「まずは消火だ! 残りの者は手分けして状況を報告せよ!」

 稜榛は、消火にあたるものたちと、状況の把握をするものたちとに手勢を分けた。翠鸞と朱鷺も城の西にある櫓の確保を任され、数人の兵を引き連れて、そちらに向かうこととなった。

 桔の國は小ぶりの平城で、西と南に櫓を持っている。燃えているのは本丸だけで、両の櫓は無傷のままのようだった。

「どうやらこちらは、無事のようですね」

 そう言いつつも警戒はおこたらぬよう、馬を降り櫓の中に進む。みな本丸の消火にかりだされたのか、人気がなかった。

 櫓の中は見た目より手狭で、ようやく大人ひとりがくぐりぬけられるかどうかといったところだ。いざというときのためにと、朱鷺が持ってきた弓が天井につっかえて邪魔になる狭さだった。

 ここで誰かに襲われたらひとたまりもない。早く上の見張り台に出たいと苛つかずにはいられなかった。

 斜め上からの光が朱鷺の頬を照らし、出口が近いことがわかった。どうやら櫓は三層になっており、その屋上が見張り台のようだった。

 見張り台は、城の本丸とは逆側に張り出していた。想定される敵は、南西からくるのだから当たり前なのだが、これでは城下の様子がわからない。朱鷺は見張り台から身を躍らせ櫓の屋根にあがると、翠鸞の手を握って、屋根まで引っ張り上げた。

「手伝ってくれなくても、自分で上がれたのに」

 翠鸞は少し不満気な様子でそう言ったが、朱鷺は万が一にも足を滑らせてはと思うと手を出さずにはいられなかった。

 一緒に櫓にあがってきた者たちは、見張り台に残したまま、朱鷺と翠鸞のふたりは、屋根伝いに本丸側に回り込んだ。

 本丸からあがっている煙は、桔照に入ってきたときに見たときよりも随分収まってきたように見える。榛の國の兵たちによる消火が進んでいるのだろう。

「あちらも、屋根まであがってきたみたいだね」

 翠鸞の言葉に南側に目をやると、南の櫓の屋根にも同じように何人かの人影が見えた。

「若! 伏せて!」

 朱鷺はそう叫ぶと翠鸞に覆いかぶさるようにして伏せた。南の櫓からこちらに向けて矢が放たれたのである。

 小ぶりの城とはいえ、櫓と櫓の間はそれなりに離れており、高さもあるため風の影響を受ける。矢は何とか届いたものの狙いを大きく外れた。

 矢の雨が一旦止むと、朱鷺は弓を構え、矢を放った。朱鷺にとっては、足場の悪さも南の櫓までの距離も問題ではなかった。一矢で一人づつ、確実に射止めて、最後のひとりを射落としたとき、足元が騒がしくなった。

 この西の櫓の周りに兵が押し寄せてきたのである。

「どういうことだ?」

 翠鸞の言葉に朱鷺は、弓を背負いなおしながら答えた。

「若、南の櫓からわたしたちを狙ってきたのは、桔の兵です」

 弓士としての朱鷺の目は、他の者よりもはるかに良く、鎧の肩口に標されている紋をしっかりと見極めていた。

 櫓の中は狭い。自分たちはすでに屋根まで上がってきており、追い詰められた状態だ。この状況で櫓の下から次々の兵を送り込まれては打つ手がない。

「内乱を起こしたのは、民ではなかったのか」

「どうやら、事情が少し違うのかと…」

 朱鷺は答えながらも、脱出の経路を探していた。腰に結わえていた弓弦ゆんずるの予備を取り出すとその先を矢に結わえる。この弦は普通の弦とは違う、強弓に使うために特別に作られたものだ。しかも、予備として用意していたものは長いままにしてある。

 最も近くの木に狙いをさだめると、その幹に矢を放つ。弦を弓の弧にくぐらせてから、その一方を櫓の柱に括り付け、ぴんと張り、弓を翠鸞に手渡した。

「これで、滑り降りてください」

 弓の弧を使って、向うの木まで滑り下りよというのである。

「早く! 小柄なあなたなら、この弦でも持つでしょう」

「朱鷺は?」

「わたしのことは、自分でなんとかします」

「朱鷺を残してなど、行けない!」

「若がここにいてもできることはありません! 早く稜榛様の元へこのことをお知らせください」

 そう言うと、朱鷺は翠鸞の体を屋根から突き落とした。手荒いようだが、このくらいしなくては、翠鸞が朱鷺をおいて逃げはしないからだ。

 さすがは朱鷺の強弓に使われる弦だけあって、少年の翠鸞の体重くらいでは切れることもなかった。向うについた翠鸞は朱鷺にも渡ってくるようにと言っているが、さすがに大柄な朱鷺の体を支えられるかどうかはわからない。

 朱鷺は櫓の柱に結わえた弦を切り落した。

「若! そちらの弦も切ってください。その弓と弦、頼みます」

 そう言うと、翠鸞に背を向けて屋根伝いに見張り台へ戻った。弦を張っている限り翠鸞は木の上で朱鷺が来るのを待つだろう。それでは翠鸞を逃がした意味がない。それを分からせるためにも、翠鸞と朱鷺を結ぶ弦を切ったのだ。

 屋根を回りきる直前に朱鷺が振り返ると、翠鸞は弓を手にしたまま木を降りていた。心の声で翠鸞の無事を祈ると、朱鷺は気合を入れなおした。

 すでに見張り台のすぐ下まで敵が押し寄せていた。それでも朱鷺が思っていたよりも随分時間が稼げている。さすが稜榛が選んだ者たちだけあって、ここまで持ちこたえることができていた。

 櫓内の狭さもこちらの有利に働いたようだった。通路から出てこれるのはひとりづつで、こちらはそこを待ち構えて叩くことができる。しかしこれでは、櫓を囲むようにして押し迫っている敵兵たちをひとりづつ片付けていくことになり埒が明かない。

 櫓を出るには、押し返すしか方法はないのだ。

「わたしが行きます」

 朱鷺は剣を抜きはなち、前方で戦う榛の兵の肩を叩いた。

「だが、敵の数は多いぞ!」

「このままでは、時間がかかりすぎる」

 桔の國の内乱が罠であったことは明白だ。とりあえず翠鸞を逃がしたものの、すぐにでも後を追いたい。

「上から攻めるほうが有利です。ここはわたしに任せてください」

 弓の腕ほどではないが、剣の技も義父である藍鷺に叩き込まれた。墨烏が鸞の國にふらりと現れてからは、あの男にも何度も手合せをしてもらい腕を上げてきた。自分ならやれるという自信が朱鷺にはあった。

「ご免!」

 そう言うと、前方の榛の兵を横に押しやった。見張り台の入り口から今まさに出て来ようとしていた敵に一太刀浴びせると、その腹に思い切り蹴りを入れた。鍛え上げられた朱鷺の体から繰り出された渾身の蹴りだった。蹴られたほうは、背後に吹っ飛ぶしかなかった。暗い階段を転げ落ちるとき、上がってこようとした仲間たちを巻き添えにしていった。

「先に行きます!」

 朱鷺は振り返って、これまで戦ってくれていた榛の武人たちに言い残すと、転げ落ちた仲間たちを介抱している櫓の通路に身を躍らせた。


 一方、消火の様子を確認するため本丸へ向かった稜榛は、様子がおかしいことに気が付いた。民の反乱だと思っていたのに、本丸に近づけば近づくほど民の姿が見えなくなっていたのだ。

 不審に思いながらも消火の手を休めるわけにはいかず、その都度差配を言い渡しながら、堀にかけられた橋を渡り、本丸内に入ったところで、橋が跳ね上げられた。

「稜榛!」

 焼け落ちる寸前の本丸から声をかけてきたのは、桔の國の國守、勇桔ゆうきつであった。四十過ぎであろうが、窶れた様子で、さらに歳を取って見える。

「おまえなら、自分で本丸に来ると思っておったぞ」

「内乱とは狂言か!」

 稜榛はまだ火の燻る本丸に向かって叫んだ。

「内乱という意味では狂言ではない。上つ國である榛に楯突こうというのだからな」

 桔の國の中の内乱ではなく、榛に仕える下つ國としての反乱だったのだ。

「お主、自分で自分の城に火を放ったのか」

「それが、条件なのだ」

「篁に寝返ったか」

 その言葉に勇桔はぐっと押し黙った。稜榛の言葉は真実を言い当てていたのだ。

 あの篁の國の戦から三月。調略を受ける時間は十分にあった。

 稜榛としては、桔の國の疲弊を感じ取って、手をうってきたつもりであったが、十分ではなかったのだろう。他の下つ國との均衡を保たねばならないため、桔の國だけをあまりに優遇することも難しい。篁の國はその隙をついて、好条件を提示してきたのかもしれない。

 しかし、それでも自分の城に火をかけてまで寝返るというのはよほどのことと思えた。

 もともと勇桔には浅はかなところがあった。しかし、榛の南西に位置する重要な下つ國であり、これまでにも殊の外、調略には注意していたのにも関わらず、この有様だった。

「稜榛を捕らえよ!」

 勇桔はそう言うと、稜榛とその家臣たちに武器を捨てさせ、縄をかけたのだった。

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