第五章

らんの國からしんの國の國府までは馬で三日。國府とは名ばかりの鸞の國とは違い、榛の國の國府は榛遥しんようという名をもち、城下には家臣たちだけでなく数多くの商人が店を構え、街を作り上げている。

 榛の國はここ十数年で、近隣の上つ國のいくつかを攻め滅ぼし、配下に収めたこともあり、その富もこの榛遥に集約されていた。

 朱鷺しゅろも榛の國の國堺を越えたあたりから、鸞の國とは様子が違うとは感じていてが、榛遥に入ったときには、その規模の大きさには心底驚いた。

「そうか、朱鷺は、榛遥に来るのは初めてだったんだね」

 あれこれと目を奪われている朱鷺に、馬を並べていた翠鸞すいらんが声をかけてきた。

「申し訳ありません。ついよそ見をしてしまって…」

「とがめてるんじゃないよ。きょろきょろしている朱鷺なんて珍しいなと思って。戦場だとあんなに冷静なのに」

「それは、そうですが…」

「ほら、あれが榛の城だ」

 翠鸞が指示した先に、大きな城郭が見えた。大きな天守を持つ立派な城だった。鸞の城とは比べるべくもない。

 今度こそ、朱鷺の口がぽかんと空いた。あれほど大きな建物を見たことがなかったからだった。

 その様子を見て、翠鸞はこらえきれぬように、笑いを漏らした。

「朱鷺のそんな顔を見られただけで、榛の國まできたかいがあったよ」

「若!」

 朱鷺は顔を引き締めて、翠鸞の供回りとしてふさわしい表情をなんとか取り戻そうとした。実のところ朱鷺だけでなく、榛の國に初めて来た者はみな、榛遥の豊かさとその城の姿に驚くものなのだ。翠鸞とて、初めて父に連れられて榛の城に挨拶に来たとき、いまの朱鷺以上に驚いたのだから、その気持ちは良く分かっていた。


 榛遥は大きな街であるため、城下に入ってからも榛の城の城門までは、馬で一刻ほどかかる。それまで街並みの様子に目をやりながら、特に馬をせかすわけでもなくゆったりと進んでいた。

 ようやく城門が見えるようになった頃、一騎がこちらに向かって駆け寄ってきた。

「翠鸞!」

従兄上あにうえ!」

 その姿を目にした翠鸞も馬を走り寄せる。それは、翠鸞の従兄であり、現在、鸞の國から護城として榛の國に仕えている白鷹はくようだった。

 白鷹は鸞の國の國守碧鸞へきらんの弟の息子である。二十代も半ばをすぎ、ひとりの武人として護城の役を果たしている。白鷹の父親も長い間護城として榛の國に赴任していたが、病を得て亡くなり、白鷹が護城の役を引き継いでいた。そのため、白鷹は幼い頃こそ鸞の國で育ったが、元服してからのほとんどを榛の國で暮らしており、ここ五年は鸞の國へ帰ってくることはなかった。

 朱鷺が馬を降り、頭を下げると、白鷹がそれに気づいて、声をかけてきた。

「朱鷺? もしかして、本当に朱鷺か!」

「ご無沙汰しております」

 翠鸞は年に一度は父親とともに榛の國に挨拶に訪れていたが、朱鷺が最後に白鷹にあったのは、十か十一のほんの子供の頃だ。朱鷺が戦に出るようになってからも、白鷹は護城として城に詰めていたため、顔を合わすことはなかった。

 どんなに姿が変わっていようとも、こめかみに生えている朱い髪と赤銅色の目は変わらない。一度でも会ったことのある者なら、この色は忘れないだろう。

 ただ、白鷹にとっては、記憶にある編み髪の少女の姿と、自分とさほど背のかわらない逞しい姿の若者が同じ朱鷺だと認識するのが難しいようだった。

「ちょっと待ってくれ。朱鷺はいくつだ。その前に」

「白鷹様…」

 女だろうと言いかけたところを朱鷺が止めた。

 翠鸞が白鷹に耳打ちすると、驚いたような顔をしていたが、途中からは納得がいったようで、おおきくうなずいていた。

稜榛りょうしん様が、『鸞の國の朱鬼』が来ると言ってはいたが、まさか朱鷺のことだったとはな」

 白鷹の頭の中では、まだ子供の頃の姿が消えぬようで、その差分を自分で納得させるまでには時間が必要なのかもしれなかった。

「まあ、何はともあれ、御館様へ挨拶をせねばな」

 白鷹はそう言うと、一行を引き連れて、榛の城の中へ案内をしてくれた。


 城に入って旅装を解くと、白鷹と朱鷺をともなった翠鸞は、榛の國守の待つ部屋へ通された。榛の國守は穏やかな物腰の六十がらみの男で、翠鸞たちが榛の國へ来たことをねぎらってくれた。

 國守のとなりには、稜榛の姿もあり、この優し気な國守とは対照的に、上つ國の武人らしい顔つきで、こちらの様子をうかがっているようだった。

「翠鸞殿は、護城の筆頭を辞退されるとか」

「はい、鸞の國には過ぎたお話しです」

 稜榛の問いかけに、翠鸞は少年らしい素直さでそう答えた。

「いや、鸞の國には先の戦でも世話になった。その礼と考えてもらって良いのだ」

「先の戦では、どの下つ國も力を尽くしておりました。鸞の國だけが特別扱いというわけにはいきません」

「それは、碧鸞のどのお考えか」

「もちろん、父の考えでもありますが、実際に戦に出たわたくしは、初陣の身であり、大したお役には立てなかったと存じます。そのような鸞の國が、他の國を差し置いて筆頭になるなど、身にそぐわぬほどのお引き立てかと思います」

 そういうと、翠鸞はにっこりと笑った。

 実のところは、先の戦でもっとも戦果を挙げたのは、鸞の國であるのだが、鸞の國は榛の國に仕える六つの下つ國の中でももっとも立場が弱い。若輩でありながら、稜榛の側近として引き立てられるだけでも目立つことになる。他の下つ國からのやっかみを買わぬためにも、それ以上のことは望まぬほうが得策ではある。

 ただ、翠鸞は、初陣で自分自身が手柄をたてたわけではなく、その時分が護城の筆頭というのはそぐわないと心から思っているようで、その気持ちをそのまま言葉にしただけだった。

 翠鸞の答えに満足したのか、稜榛はにやりと笑った。

「父上、翠鸞殿の志、なかなか優れたところがございます。やはりわたしの側近として仕えてもらうのが良いかと」

「稜榛の思うように。ただ、護城としての役目も忘れぬようにな」

 護城はそれぞれの下つ國から國守の血縁のものが家臣を率いて、役目につくことになっている。その役まわりをおろそかしては、他の下つ國の手前、しめしがつかないからだ。

「おそれながら」

 翠鸞の斜め後ろに控えていた白鷹が、稜榛に話しかけた。

「このままわたくしが、護城代としてこちらに残る心づもりであります。実質的な護城のお役目はこれまで通りわたくしが務めさせていただきますので、翠鸞様は稜榛様のお側へ」

 この言葉に翠鸞も強く頷いた。

「ほう。白鷹殿は、翠鸞殿と入れ替わりに鸞の國の帰られると思っていたが」

「鸞の國は幸い、背後を険しい山脈に囲まれた護り易き城。この白鷹などおらずとも問題はありますまい」

「こちらとしては、否はない。この城で長く護城を務めておる白鷹殿が残られるのは重畳」

「恐れ入ります」

 本来ならば、稜榛の言葉通り、白鷹は鸞の國に戻るのが筋だ。しかし、まだ年端もいかぬ翠鸞では護城の役目を果たすのには無理がある。そのため、白鷹は事前に鸞の國の碧鸞と藍鷺と図り、自分が護城代として榛の國に残れるようにしておいたのだった。

「今日のところは、ゆるりと旅の疲れを癒されるとよい。務めは明日からといたそう」

「ありがとうございます」

 翠鸞はそう礼を言うと、座を立とうとした。

 稜榛はそのときになって、翠鸞と白鷹の後ろに控えている朱鷺に声をかけた。

「そこに控えているのは、『朱鬼』か?」

「はい」

 ずっと、面をさげたまま控えていた朱鷺は、そのまま顔を伏せたまま答えた。

「面をあげてくれ。先の戦では世話になった。改めて礼を言う」

「お言葉、もったいなく存じます」

 朱鷺はゆっくりと顔をあげ、稜榛のほうを見上げた。その顔をみた稜榛は少し驚いたような顔つきになった。

「兜をかぶっていたときにはわからなかったが、『朱鬼』というのは、その髪と目の色からきているのか」

「さようにございます」

「思っていたよりも随分と若いな。いくつだ」

「十六にございます」

「十六!」

 その答えには、本当に驚いたようで、稜榛はしばし声を失っていた。

「なんと、十六であのような強弓を扱うのか。末恐ろしいな」

 溜息とともにそう呟くように言った。

「『朱鬼』、いや名を何と言ったかな…」

「朱鷺にございます」

「鬼に似合わぬ美しい名だな。朱鷺よ、そのほうにはこの國の弓の指南役として仕えてもらいたい」

「わたくしは、翠鸞様の供回りでございますれば」

 朱鷺としては、主である翠鸞を差し置いて、指南役などという役目につくわけにはいかない。

「わかっておる。翠鸞殿、いかがか」

「はい。護城の御勤めひとつとして、弓を指南するお役目。朱鷺にはもってこいの話かと」

「翠鸞様のお許しがあるのであれば、心してつとめさせていただきます」

 朱鷺は改めて頭をさげると、稜榛の申し出を引き受けた。

「十六というのは、言わぬほうが良いかもしれぬな。年下のものに教えを乞うのは面白くないと思う者も多かろう。鸞の國ではそういうことはないのか」

「…」

 鸞の國では、朱鷺に教えを乞うものなどいなかった。あの強弓の技を真似したいと誰も思わなかったのか、稜榛がいうように、十六の若造に教えを乞うのが気に食わなったのかはわからないが、朱鷺はいつもひとり黙々と鍛錬を重ねてきただけだった。

 朱鷺が答えに窮していると、白鷹が横から助け舟をだした。

「技の優劣に歳は関係ありますまい。ただ、わたくしならあの弓の技を習おうとは思いませんが」

「それは何故?」

「あれほどの強弓、引き絞るだけでも大変な鍛錬が必要かと。弓の技はその後。道のりは長うございますので。わたくしには剣の技を磨くほうが向いております」

「うむ。向き不向きはあるな」

 稜榛はその言葉に頷くと、白鷹が微妙に話をそらしたことには気付かぬふりをした。

「朱鷺には、この城の弓場を自由に使う許しをだそう。好きにするが良い」

「ありがとうございます」

「弓の上手を何人か寄越すつもりだ。遠慮なく鍛えてやってくれ」

「わかりました」

「歳のことは、自分から言わねば、誰も十六とは思わんだろう」

 稜榛は笑ってそう言うと、翠鸞たちを下がらせた。


 翠鸞たちが与えられた控えの間に戻ると、一行はようやく一息つくことができた。そのなかで一番ほっとした顔をしているのは、意外にも白鷹であった。

「うまく護城代として残れそうで、良かったよ」

 そう言って翠鸞の肩を叩くと、翠鸞もにっこりと笑い返した。

「従兄上が側にいてくれると心強いです」

「実のところ、他の下つ國の者たちは、わたしが鸞の國へ下がることを心待ちしている節があってね」

「そうなのですか?」

 朱鷺が驚いてそう聞き返すと、白鷹は座り直しながら話を続けた。

「いま護城としてこの城にいるもののうちでは、わたしが一番の古株だ。弱小國とはいえ、長くいれば、稜榛様からの覚えも良くなるし、それなりに裏事情にも詳しくなる」

「稜榛様の覚え?」

「ああ、言うのを忘れていたね。事実上、榛の國を動かしているのは稜榛様だ。父君は争いを好まぬ性分であられて、とても今の戦の時代を乗り切れない。稜榛様の差配は見事なものだよ。先の篁の國との戦いで、お前たちもわかったんじゃないか」

「はい。従兄上」

「わたしは稜榛様とは年回りも近く、心やすく接していただいている。その上、父上の頃から引き継いで護城を務めているからね。他の下つ國にしてみれば、それが面白くないようだよ」

 翠鸞がきたことで、ようやく目の上のたん瘤が消えると思ったところに、護城代として居座り続けるという。稜榛のお墨付きをもらった上となると、他の國は口出しが難しい。

 白鷹は、鸞の國の利を考えたとき、このまま榛の國に残るべきだと判断し、先に根回しを終わらせていたのだ。

「残念ながら、鸞の國にいたときのように、のんびりとはいかないと思うよ」

 白鷹は思わせぶりにそういうと、軽く朱鷺の肩を叩いた。


 次の日から、朱鷺の生活はこれまでとはすっかり変わってしまった。鸞の國にいた頃は、戦さえなければ、翠鸞の側仕え、城の護衛隊として務め、そして暇があれば弓場での鍛錬に明け暮れていた。翠鸞が遠駆けにでるときなどは、供をすることもあったが、平凡と言える暮らしぶりであった。

 この榛の國にきてからは、翠鸞自身が稜榛の側近として仕えている。ただ、翠鸞は稜榛の家臣ではなく、下つ國とはいえ一國の跡取りという立場での側仕えで、供をつけることも許されていた。翠鸞が勉学などで過ごすときは別として、朱鷺が翠鸞の供をすることになった。

 朱鷺はその合間を縫うようにして、弓の指南役をこなさねばならなかった。何より気を使ったのが、その指南であった。

 鸞の國にいた頃から、弓の技において自分が他人と違っていることはわかっていた。最初に藍鷺から手ほどきを受けたのは七つの頃。そこからめきめきと腕をあげ、十歳の頃には藍鷺が教えることはなくなっていた。それから先は、自分で何をすべきかを考え、使う弓や矢にしても自分で工夫を重ねて作り上げてきた。そのため、他人に対して、何をどう教えれば良いのかがわからなかったのだ。


「そなたが、鸞の國の『朱鬼』か」

 そう言いながら、城内の弓場に数人の武人が姿を現した。

 朱鷺のところに教えを乞いに現れたのは、榛の國でも指折りの弓の名手ばかりであった。『朱鬼』と呼ばれた弓士の腕を見極めてやろうという心づもりの者も多く、中には対抗心をむき出しにしている者もいた。

「若輩ものですが、よしなに」

 朱鷺はそう言って、軽く頭を下げた。指南役とはいえ、自分は下つ國からきた新参者である。下手に出ておくに越したことはない。

「わしは賀棕がそうという。榛の弓箭隊を束ねておる」

 そう名乗った男は、四十の半ばをすぎたところだろうか。鍛えられた体に鋭い目つきをした武人然とした風貌をしていた。ともなってきた四・五人の男たちは弓箭隊の部下だということだった。

「そのほうの腕、噂できいたぞ。先の篁との戦、稜榛様のお側で見たかったものだ」

 横柄な口ぶりからして、榛の國に代々仕えている家臣のようだった。まずは、朱鷺にその腕を見せてみろという話になった。弓箭隊の隊長に指南するだけの腕があるのか、見極めてやるというのである。

「あのときと同じようにと言われるのか?」

「そうだ。まさか、見せられぬというのではあるまいな」

「そうではありませんが、この弓場では距離が足りない」

 この國の弓場は鸞の城の片隅にあった弓場の倍以上の広さがあったが、それでも朱鷺の使う強弓を試すにはまったく距離が足りなかったのだ。

「ほう。言いよるわ」

 賀棕は、部下たちと顔を見合わせて笑った。

 朱鷺は手になじんだ強弓を手に、城の見張り台へ上った。そこからは城下町が一望できた。的にできそうなものはないかと、あたりを見回した。

「あの辻にある宿屋、見えますか」

 後からついて見張り台に上がってきた賀棕に指示した。賀棕は目を細めて、確認しようとしていたが、はっきりとわからないようだった。それもそのはず、朱鷺のいる見張り台からは、馬で一駆けしたほどの距離がある。

「馬の水飲み場がある辻です」

「ああ、あれか。あれがどうした」

 朱鷺は手に持っていた強弓に矢をつがえると、その弦をぎりぎりと引き絞った。一瞬息を止め、狙いを定めると、朱い羽のついた矢を城下に向けて放った。

 そこにいた賀棕の部下たちは、思わず声をあげた。城の見張り台から城下町に向かって矢を放ったのだ。もし、通行人に怪我でもさせたらと考えれば無理もなかった。

 しかし、朱鷺が動きもしない的を外すことはなかった。

 朱鷺が放った矢は、先ほど指示した宿屋の看板を射ぬいていた。

 賀棕は見張りの兵から遠眼鏡をひったくるようにして借り、覗き込むと、声も無くとなりに控えていた部下にその遠眼鏡を手渡した。

 朱鷺の技を目の前で見せつけられた武人たちは、ただ息をのむばかりだった。

「弓に仕掛けがあるのではないのか」

 賀棕の部下のひとりがそう言って、朱鷺の使った強弓に手を伸ばした。朱鷺は説明するよりも早いと思い、自分の弓を手渡した。

 弓を受け取った男は、その弦に手をかけたが、まったく引くことができなかった。

「無理に弦をひくと、指を痛めますよ」

 朱鷺がそう忠告すると、嫌そうな顔をして、仲間の男に弓を手渡した。

 次に試した男は、がっしりとした体つきで、弓士というよりは長刀を振り回しそうな巨漢だったが、やはりその弦を引くことはできなかった。部下たちが皆試したあと、最期に賀棕がその弦の強さを確かめ、首を横に振った。

「なんなのだ、この弓は」

「この弓でなければ、こうとの戦で見せたようなことはできません」

「どうして、お前はこの弓が使える」

「どうしてと言われても…。これは、わたしが使いやすいように作り上げたものゆえ」

 弦の強さも、その弦の張りに見合うだけの弓の材質も、少しづつ試しながら、たどり着いた組み合わせだ。

 朱鷺は矢をつがえず、その太い弦を引き絞った。この強弓は朱鷺であっても力を振り絞らねば、弦を引くことはできない。その額にはうっすらと汗が光る。弦をから指を離した瞬間、ぶうんという低い音がうなった。

「このような、馬鹿げた弓が使えるか!」

 賀棕は投げ捨てるように言うと、部下たちを伴って、見張り台を降りていった。

 朱鷺は、初日にして弟子に見捨てられてしまったのだった。


 次の朝、翠鸞の供として稜榛の部屋を訪れた際、朱鷺はことの顛末を説明して謝罪した。経緯はどうあれ、弓の指南を申し遣ったのに、弟子に逃げられたのである。

 それを聞いた稜榛は、声をあげて笑いながら自分の膝を叩いた。

「賀棕も相変わらず、気が短いな」

「申し訳ございません。指南というものになれておらず」

「朱鷺が気に病むことはない」

「稜榛様、朱鷺ほどの強弓の技を、普通の弓士に望むのは無理があります」

 翠鸞も合わせて助け船を出してくれる。

「確かに。『朱鬼』のような弓士があちこちにいたのではたまらぬな」

 稜榛はそう言うと、少し考え顔になった。

「朱鷺よ、そなたが考えるに、弓を扱う上で一番大切なのは何だ?」

「的を見定める目かと」

「ほう。強弓の太い弦を引く力ではなくか」

「矢が当たらねば、どんな強弓も意味がありません」

「道理だな。その目を養うのはどうすれば良い?」

「どうやらこの目は、他の皆様より良く見えているようです。こればかりは生まれ持ってのものかと」

「そして、その恵まれた体つきもか。指南役を命じたわたしが誤っていたということか」

「稜榛様、何も強弓の技を教えるだけが指南役の務めではないでしょう」

 横で話を聞いていた翠鸞が、話に割って入った。

「朱鷺の弓の技の粋は、その強弓に目がいきがちですが、それは、鸞の國が誇る弓の技の礎あってこそのもの。わたしも鸞の國にあっては、朱鷺から何度も手ほどきを受けています。立ち方、弓の構え、的をとらえる顔の向き。弓を扱う上で大切なことはいくらでもあるでしょう」

「翠鸞殿の言う通りだな。よし、元服したての少年たちを寄越すことにしよう。鸞の國の誇る弓の技を基礎から叩き込んでくれ。翠鸞殿も鍛錬したければ、供に指南を受けると良い」

「願ってもないこと」

 翠鸞が笑顔でそう答えると、朱鷺は正直、戸惑いを隠せなかった。

 鸞の國にいる頃、翠鸞が時折弓場に顔を見せることがあり、弓を教えたことはあった。しかし、複数の少年たち相手に弓を教えた経験など全くない。

「子供の頃、藍鷺らんろから教わったことを、ひとつづつ伝えればいいだけだよ」

 翠鸞が不安そうな顔をしている朱鷺に小声で耳打ちしてきた。確かに、義父は朱鷺が弓を始めた頃には、まさに手取り足取り鸞の國に伝わる弓の技を手ほどきしてくれたものだ。それを今度は自分が弟子になった少年たちにしてやれば良いのだ。そう考えると少し気持ちが楽になった。

「早速、明日から十人ほど弓場へやろう」

 稜榛が、側に控えていた家臣のひとりに、少年たちを選ぶように命じた。

「十人…」

 朱鷺はその人数にがっくりと肩を落とした。

「わたしも鍛錬には参加するよ。だから十一人だね」

 翠鸞が嬉しそうに、人数を訂正する。朱鷺はさらに肩を落とすことになった。

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