第10話 細かいお金

「こっちこそほんと時間の無駄だわ、その気がないなら今日来るなよ」


 なんだこの男は。ショックと怒りで頭がまっ白になった。私の顔を一瞥いちべつして竹田は続ける。


「そういうドラマみたいなのいらないんで、しらけちゃったわ。俺ここで飲んでくからあんたも好きにしなよ。飲むならもちろん違う席行ってね」


 私は自分が頼んだチョコレートのカクテル代金を置いて去ろうと思った。

 確か一杯千円だった。値段を見ておいて良かった。私はテーブルの上に千円札を置いた。


 今日は割り勘すると思い細かいお札をきちんと用意していた。役に立った。

 いつだって私はそうしている。百均やコンビニで大きいお札は出さない。スーパーの会計で一万円札を崩す。

 通販で代引きを頼んだらお釣りが出ないように用意する。

 この前の合コンだって細かいお札を用意していた。それなのに他のメンバーは大きいお札ばかり出してきた。ある程度の人数がいるならば割り勘になるのだから細かいお札を用意するのは当然だと思っている私は少しいらっとした。


 川崎さんなんて「じゃあ私が前田さんの分を立て替えるよ、会社で返してくれれば」なんて言っていた。

 川崎さんが太っ腹に見えて私がケチに見えた。しかし川崎さんは前田さんの分をおごったわけではないので、太っ腹なわけでもなかった。


「チャージも含めて千三百円だけどいいよ、オマケするよ」


 竹田はめんどくさそうに言う。チャージと言った。お通し代のことだろうか。ここで聞いたら確実にばかにされる。

 多分お通しのことだ、ちゃっかりしている男だ。しかしポッキーを半分近く食べた私は払う義務がある。

 しかし今、財布に小銭があるかは分からない。ここで財布を確認して小銭がなかったら格好つかないし二千円も渡したくない。カクテルだってまだ少し残っている。私は無言で立ち去った。



 悔しい。店を出たら涙が出てきた。あんなだらしない男に罵倒されて言い返すスキルを持っていない自分が悔しかった。

 早足で歩いた。慣れないパンプスは歩きづらい。夜風が涙にしみる。駅に着くまでに涙が止まらなかったらトイレに行こうと思った。

 

 ようやくアパートに着いた。うがいと手洗いをする。煙草の匂いが嫌なのですぐにお風呂に入る。

 髪の毛も体も洗い、浴槽に浸かる頃には少し落ち着いていた。お風呂からあがると、靴ずれに気づいた。


 竹田は最低な男だった。もう考えたくもない。けれども考えずにはいられなかった。悔しさは止まらない。そして竹田の最低な発言に言い返せなかった理由を考えた。

 あんな男と対等に接してはいけないから。私とあの男のレベルが違うから、私はあんなに下品な人間じゃないから。

 あそこで言い返していたら自分も同じレベルの人間だということになるから。

 

 いや違う。あの下品な男に誘われて嬉しかったし、少しどきっともした。

 

 多分答えは、今まで人と接してこなかったから。

 面倒ごとは嫌いだからと人との接触は極力避けてきた。

 そのツケが今になって返ってきたのだろうか? 二十五年間のツケをこの先何年かけて払うのだろうか。

 心を落ち着かせるため、ラベンダーのお香を焚いた。何も考えずに、とりあえず早く寝た。



 次の日の朝、バターを早く使い切ろうと思ったらフタが開いて乾いていた。

 前回バターナイフですくい取ったところが変色していた。一回使い切りのバターを分けて使ったからだ。一回使い切りなのだからフタだって閉じるはずがない。テープを貼っておけばよかった。

 用法を守り、一度で使い切ってしまえば前回きっともっと美味しく食べられたのだ。焼いた食パンの半分にバター、半分にジャムを塗った。



 数日後、胡桃から連絡が来た。合コンはどうだったかと聞かれた。

 合コンもそのあとも散々だったと伝えた。言葉に出したら少し軽くなった。

 胡桃は「そっかー、そんな時もあるよね」と軽く言い、私をイベントに誘った。多分イベントに誘うのがメインだったのだろう。腹の立つ情けないエピソードを話さなくて済むと思った。

 胡桃が誘ったイベントは今週末だった。急だなと思ったが、あまりに早く私を誘うとドタキャンする恐れがあるので直前にしたと言っていた。多分正解だろう。

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