悩むばかりではどうにもならないけれど
悩みというのは、行動を阻害する為にあるのだ。そしてそれは、崖の手前で足を止めてくれるものでもあるだろう。悩んでいても仕方ないが、全く悩まない人というのは、恐怖を覚えない人と同様に身を危険に晒すものである。しかし、これは本題には全く関係がない。それが分かっていたところで、そんな危険に身を晒す様な真似などしないのだから。
する事と言えば、書き記そうと試みる事だけだ。伝えたい事というのが、そこにはあるのだ。いつもあった。いつも、失敗しているのだ。もっと文法やら、表現技法やらを勉強するべきなのかもしれない。だが、それで解決する様な問題を抱えて苦しんでいる様な奴に、超大作を作る事などできないだろう。だから一歩ずつ進むだけだ。小学生の頃、もっと真剣に勉強していればよかった。
そうやって、話題があちらこちらに飛ぶばかりだ。本題とは何だったのか? 本題とは本音だ。それを伝える為に、要らない事を幾つも用意しなければならないのなら、そうやって世間話を続けていればいいだろう。そうやって無駄に言葉を連ねていくばかりの人に、本題を伝える事などできはしない。つまり、単刀直入が要求物なのだ。本題はその次だ。もっと単純に言うなら、分かりやすい事の伝達によって、気持ちよくなりたいだけなんだ。
僕は、気持ちの悪い思いをしたいのだ。しかし気持ち悪くなりたくはない。気持ちの悪い状態と向き合って、それを解決する事に本義があるのだと思う。だから悩むばかりではどうにもならない。しかし悩まなくてはならない。そうして矛盾が心を突き破ろうとしている。僕は助けを求めている。だから書いている。これが解決できるものなら、絵でも写真でも、はたまた高層ビルの建設でもよかったのだ。それをわざわざこうして書いているのだから、中でも一番気持ちの悪い行いなのだろう。そう思う。そうして、どこか他人事である。
どうにも、ここにいるのが自分である様に思えないのだ。もっと言えば、ここにいるのは誰でもよかった筈だ。たまたま、ここに僕がいただけだ。ここにいるのが、自分であって良かったと思う。そうでなければ、他の誰かがこの気持ちの悪い行為を通じて、自己と向き合っていなければならなかったのだ。他の誰かなら、そもそもこんな事はしないだろうとも思う。その点において、僕は僕を嫌っている。僕は自己を縛り付けるばかりだ。自分の中に置いて、観察したり触ってみたり、そうやって満足のいく限り飼い続けるのだ。僕はこれが嫌いだ。だから僕も嫌いだ。そういう自己を抱える存在としての自分が、嫌いだ。しかし引き剥がしたとして、結局それを取り戻しに出かける羽目になるだろうから、こうして向き合っているだけなのだろう。
誰も、こんな事をせずとも済むように、書いている。そういうつもりだ。もっと他人の為に生きるべきだし、そうやって気を配る人はもっと自分の為に生きているべきだ。だからそうして中くらいの立場を上下左右に漂って、あれでもないこれでもないと、そうやって悩み続けているのが僕だ。僕は何を伝えるべきなのか、分からない。何を伝えても間違いを、傷を生むだけなのだと思う。そうやって何も伝えずにいる事も、また同じ事だ。だから、ただ朗らかでいる事を願う。そうしていられるなら、問題も少しずつ解消されていくだろうと、そう願って止まない。
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