第120話:賢者の一手

「狙いは違ったが……まぁよかろう。こういう時に汝らの世界では『海老で鯛を釣る』と言うのだったか?」


 余もまだまだ学んでおるのでな、と笑い声をあげる目の前の存在が、俺の脇腹に突き刺さった腕のようなそれを一気に引き抜く。


 体内でせき止められていた血がドバッと腹から零れ落ちた。


「先輩!!」

「ブルー! 合わせて!」

「わかってるわよ!!」


 血と一緒に力まで抜けてしまったのか、立つこともままならない。

 踏ん張ろうにもうまく視界が揺れてぼやけてしまう。


「む? なかなかに血気盛んであるな」


 よいぞよいぞ! とどこか嬉しそうな声のそいつは、一度俺から離れると赤園たちを相手に戦い始めたようだった。


 一方で残された俺は、今にも崩れ落ちそうになる体を何とか杖を支えにして踏み留まっていた。


「先輩!? 大丈夫で……ち、血がこんなに……!」

「ゲホッ……まぁ、大丈夫とは言えんわなこれ……」

「す、すぐに治療するアル!!」


 駆け寄って体を支えてくれた白神が俺を壁際まで運び、それについてきたアルトバルトが治癒の魔法を使ってくれた。

 たぶん、俺よりも治癒の魔法の腕はいい。マリアンヌほどではないが。


 正直な話、喋る事さえかなりきつい。

 一言声に出すだけで意識を持っていかれそうになる。


 これまでの人生を通して、体に穴をあけられたことは何度かあったが、どの場合でもマリアンヌがいたから何とかなっていたことを思い出す。


「『小回復』……ゲホッ……ふぅ……」


 穴の開いた脇腹に手を当て、俺も癒しの魔法を使う。

 完全には塞がらないが、それでも何もしないよりはマシだろう。アルトバルトの治癒もあってか若干痛みも和らいだため、話すくらいはできそうだ。


「すまん白神……しくじった……」

「そんなことはいいから喋らないでください!!」

「そうアル! じっとしているアル!」


 懸命に俺の治療をしようと手を押し当てているアルトバルトと、その様子を見ながら必死に俺の手を握る白神に対して申し訳ないという気持ちになる。

 アルトバルトの治癒もそこまで高度なものではないうえ、俺自身『小回復』しか使えないため、いくら重ね掛けしても、あるいは宝石を使って過剰な魔力を使おうとも、これ以上の回復は望めないだろう


 つまるところ、多少の回復ではどうにもならない重症の俺は、ここから先使い物にならないということだ。


「ど、どうしよう……お腹に穴が開いて……!」

「はぁ……落ち着け、白神……」

「無理ですよぉ……!?」


 焦りと同様で落ち着きのない白神の肩を掴む。

 涙でくしゃくしゃになった顔を真正面から見据えれば、「先輩……?」と不安げな様子で顔を上げる白神。


 そんな彼女を落ち着かせるため、できるだけ急きこまないようにゆっくりと話しかける。


「いいか、白神……俺は、大丈夫だ。まだ死なん」

「でも傷が……」

「いいから、聞け。多少の、回復は俺もできる……なら、俺を置いて、赤園たちを助けてやってくれ……」


 壁に背中を預けながら赤園たちの戦況を見てみれば、苦戦を強いられているのが見て取れる。

 しかもその相手は笑みを浮かべて楽しむくらいには余裕があるというのが見て取れるほどだ。


 俺は俺自身で何とかできる。


「今は、あれが本気じゃない、から戦えてはいる……けど、いつ本気になるか、予想がつかん……」


 ならせめて、俺に構うよりも白神が入ることで戦況をマシなものにしなければならないだろう。

 これで俺が入れたなら、まだ可能性はあったんだがなと自嘲するしかない。


「頼む、俺、よりも、あの二人を手伝って、やってくれ……」


 喋りすぎたか、先ほどよりも少し息が荒くなってしまった俺の言葉。

 それでも、と動かすことさえ苦しい体で何とか頭を下げる。


「……わかり、ました」


 白神は漸く頷いてくれた。


「でも先輩! 私たちが勝って戻ってくるまで、絶対に死なないでくださいよ!! 全部終わったら、病院に連れていきますから! 引っ張ってでも連れていきますからね!」


 アルちゃん任せるよ! と元気な言葉を残して赤園たちの元へと戻っていく後輩の背を見送る。


「元気な、もんだよなぁ……」

「いい子アル。それと、もうしゃべっちゃダメアル」


 この状態から引っ張られたら、結構危険な気がするんだがな。


 ……ああ、それにしてもだ


「くや、しいなぁ……」


 アルトバルトにも聞こえない、小さな、本当にかすれるように小さな声で呟いた。

 ぼやける視界に映るその相手を見て、俺はそんな言葉を口にすることしかできないこの状況が何よりも悔しい。

 万全な状態であったなら、俺はその身を焦がす怒りをもって奴に制裁を加えていただろう。


 何もできないことが、こんなにも悔しいのか。


「ふはははは!! 余も万全ではないが、なかなかどうして楽しませてくれるではない! どうだ? 余と共に世界を手中に治めて見ぬか? 汝らの世界を管理する権利を与えてやってもよいぞ?」

「そんなのお断りするんだから!!」

「それで頷くと思ってるなら、頭湧いてるわよ!!」

「さっさと射貫かれてください!!」

「むぅ……取り付く島もなし、か……」


 残念そうな声で肩を落とす鬼のような角を生やした異形の影。

 影によって、その表情を窺い知ることはできない。


 だが、そいつのことを俺は知っている。


 すべての元凶。

 俺があの世界へと戻ることを決意した理由。


 まさかフィンたちよりも前に、お前と出会うとはな……!!


 ゲホッと口から零れる血を拭い、ゆっくりと息を吸う。

 怒りに身を任せれば死が近づく。


 恐らくだが、無理に魔法を使おうとしても、今の状態では制御を奪われるのだけで害にしかならない。

 だが、相手は俺がいなかったとはいえ、異世界においての未来でフィン達が敗れた相手だ。


 キースやアンフェ、そしてクイーンが相手であれば宝石の騎士ジュエルナイトだけでも何とかなったし、俺が加わることでさらに勝率は高くなると踏んでいた。

 が、あのキングを名乗る影の親玉は、そいつらとは比にならない程強い。


 白神が加わって多少いい勝負ができているように見えるが、それも全てはあのキングとかいう奴が手加減しているからに過ぎない。


 それがわかっているからか、白神達の表情にはどこか焦りのようなものを感じ取れる。


 油断している今しか、好機はないのだと。


「王様を運んできたラ……主ぃ!? ど、どうしちゃったラプゥ!? ち、ちちち血がいっぱい出てるラプよぉ!?」

「ラプス、か」


 どこからともなく飛んできたラプスが、でっぷんでっぷんと大きな腹を揺らしながらやってきた。

 だが、いつもの口調も俺の姿を見るとどこへやら。血相を変えて俺の周りをぐるぐると目が回るほどに飛び回ると治療を続けるアルトバルトに駆け寄って容体を聞いていた。


「ど、どうするラプ!? 主がいないんじゃ、あ、あんな化物勝てっこないラプ!?」

「っ、そういうことを口にするなアル!! あの子たちも、必死に戦っているアル!! あまりふざけたことを言うなら、いくらご先祖様とはいえ、この僕がぶっ飛ばすアルよ!!」


「怪我人の、前で、喧嘩すんじゃねぇよ……」


 ふぅっ……とため息を吐く俺を見て、しおらしくなる妖精二匹。

 だが、ラプスの言いたいこともわからなくはないのだ。


 きっとあのままでは白神達は勝てない。

 そんな結果が、未来視を使わなくても見えている。


 だからこそ、あの異形は遊ぶし、白神達にも焦りが見えているのだ。


 勝つためには、あと一手が必要になる。


 本来ならばその役割は俺であった。

 でも、それが成せない今、別の手を打つしかない。

 上手くいくのかは、賭けにはなるがな。


「アルトバルト、ラプス。お前たち、に、やってほしい、事がある……!」


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