第70話:勝負に勝った賢者

 一瞬だけ、俺とキースの競り合いで盛り上がっていた会場内に静寂が訪れた。

 いつの間にか『無音陣』でお全員にかけてしまったのかと錯覚するほどだったが、次の瞬間には様々な声があちこちから上がっていた。


 保護者席からは歓声を、男子生徒からはよくやったと言わんばかりの喜びを、女子生徒からは信じられないという悲鳴を。

 ゴールを走り抜けて息を吐いた俺は、少しだけ心を落ち着かせて振り返る。


 見れば、そこには信じられないといった様子のキースが呆然と佇んでいた。

 確実に勝てる勝負だと思っていたのだろう。


 確かに、真正面から挑めば俺には勝ち目がなかっただろう。

 だが負けるとわかっている勝負をそのままにするほど俺も愚かではない。いうなれば、知らないとはいえ俺を侮っていたキースが悪いのだ。


 もっとも、侮ってもらわなければ困ったのは俺の方ではあるんだがな。


 とは言え約束は約束。

 どんな過程があったとしても、結果で決めるということに変わりはない。

 結果が認められないが故のやり直しなんてさせるつもりもない。そのために、勝っても負けても文句なしの一本勝負、とわざわざ言ってやったのだから。


 チラと体育館内のある一点に視線をやれば、赤園少女が白神や青旗少女に飛びついて喜んでいるのが見えた。まるで何かの大会で優勝したような雰囲気だが、白神はともかく青旗少女は苦しそうだから早めにやめてあげることを願う。


 100m走の組がすべて終了したことで、参加していた生徒たちがそれぞれのクラスに戻っていく。

 しかしそんな中で、いまだに動きを見せない男子生徒がいた。


 キースである。


 彼は先ほど見た時と何ら変わりない様子でその場に立ち尽くしているだけであった。

 それはどうしたのかと他の生徒から心配そうに見られていても変わりがない。中には傍まで行って声をかける女子生徒の姿もあったが、その声にも無反応とはいつものキースらしくないと言えるだろう。

 ああやって心配されれば、笑みを浮かべて逆に彼女らを気遣っているだろう。

 それができないほど、今の奴は現実を受け入れられていないのだろうか。


「……はぁ」


 ため息を吐いて踵を返す。

 敵ではあるが、このままあの場所に立ったままだと他の生徒や体育祭の振興にも問題が出る。一応はクラスメイトであるし、そもそもこの勝負の当事者であった俺が声をかけるべきだろう。


「おいデヴィリオン。そこ邪魔だから早く戻れ」


「ちょっと津江野! そんな言い方することないでしょ!」

「そうよ! 勝ったからって偉そうにしないでよね!」

「そもそも、キース君が負けたのは事故よ事故! あんな形で勝ち負けが着くはずないでしょ!?」


「一本勝負。それも、勝ち負けが着いたら文句は言わないって約束だ。お前らにとやかく言われる筋合いもなければ、俺とデヴィリオンの勝負に口出しされるいわれもないぞ。とにかく、突っ立ってないで早く移動しろ」


 これ以上言ってところで、キースではなく周りの女子たちが五月蠅くなるだけだろう。

 わざわざ言いに行ってやったのに文句を言われても気分が悪い上に面倒この上ない。即座に撤退撤退、とクラスの待機場所へと急ごうとした。


 だができなかった。


「――僕が、負けた……?」


「キース君?」


「何故? この僕が? 騎士である僕が? たかが下等生物相手に身体能力で? いや、あり得ない あり得ない 頭が痛い あり得てはならない そもそもあの時感じたものはなんだ? あきらかに普通じゃない 何故僕だけ? 他の下等生物は? 何故普通に走れている? 頭が痛い 作為的なもの? 僕だけ狙った? その意味は?  頭が痛い頭が痛い頭が痛い頭が痛い頭が痛い頭が痛い頭が痛い――」


「だ、大丈夫!? キース君!!」

「せ、先生呼ぼう! ほ、保健室に……」


 俯きがちになり、独り言をぶつぶつと呟き始めたキース。

 そんな彼の体から、ゾッとするような気配が漏れ始めた。


「……負のエネルギーか」


 ドラゴンガールやエルフ耳が使用していたものと同じ力の源。今の今までキースが隠し通してきたそれが、彼を中心にしてこの体育館内へと漏れ始めた。


「流石にまずいか……おいお前ら! 危ないからすぐにそこから離れろ!!」


「え? ……ひぃっ!?」


「津江野……君が……お前が……下等生物如きが……!!」


 そこにいつものキースの姿はない。

 ただそこにいるのは、笑みではなく怒りを顕わにした人外である。

 その形相をまじかで見た女子生徒達は、恐怖したが故なのかすぐさまその場を離れた。流石に魅了されているとはいえ、あれを素敵だとは思えなかったのだろう。とりあえず、人質にされる可能性はこれでなくなったと言えるだろう。


 周囲もそんなキースの様子に何だ何だどうしたんだと注目を集めるのだが、そんなことは知らんとばかりにキースから発せられる不気味なエネルギーは大きくなっていく。


「あンなのは勝負なンかじゃナい……! やり直しダ……そこデ今度こソ、圧倒的ナ勝利を……!!」


「やるわけねーだろバーカ。勝負は一回文句なしで勝った方が約束を守る。お前も認めたルールだぜ?」


「知るカ!! 下等生物如キの約束を、こノ僕ガ守る必要なドナい……!!」


「下等生物とは酷い言われようだが……知ってる? お前その下等生物に負けたんだぜ? 下等生物以下じゃねぇの?」


 煽る


 煽る


 そうだ俺を見ておけ。俺に対して怒れ。

 そのつもりはなかったが、あちらから仕掛けてくるというのであれば問答無用だ。今この時というのには少々驚いたが、存外冷静そうに見えて脳みそまで筋肉になっている猪だったのだろう。

 悪魔が聞いて呆れるというものだ。


 観戦席から魔力を持った存在が移動したのを感じ取り、すぐさま念話をラプスに繋ぐ。


『ラプス、すぐにその場を離れろ。ぐずぐずしてると、妖精がそっちに向かっているぞ』


『ラプ!? わ、わかったラプ! それで、主はどうするラプか!? 我は主の実力を知っているとはいえ、はたから見れば相当ピンチラプ!?』


『こっちは問題ない。時期にそこに向かっている妖精が結界を張るだろうからな。結界が展開された後すぐに俺と合流しろ。場所は……観覧席最上部だ』


『わかったラプ!!』


 念話が切れると同時に、視界の端で白神の腕からラプスが抜けだしたことを確認。それと同時に白神達にあのむっつりな妖精が合流したことも感じ取る。

 すぐさま視線を前へと戻した。


「……津江野、余程コノ僕ヲ怒ラセタイミタイダナ……!!」


「おいおい、いつもの王子様染みた気持ちの悪い喋り方はどこ行ったんだ? それともそれが素なのかねぇ? やっぱ裏があると思ってたがその裏が真っ黒じゃねぇか、え?」


「――コロス」


 その瞬間、より膨大なエネルギーがキースを中心に沸き上がった。

 室内であるにも関わらず強烈な風が吹き荒れたことで、観覧席の保護者も、成り行きを見守っていた生徒達も皆が風から身を守ろうと顔を背けた。


 だがそれで正解である。


 風が巻き起こる中、顔を背けなかった俺が見たのは2mを超える背丈に、山羊のような渦巻き状の大きな角と背中から生えた蝙蝠のような巨大な羽。

 いつの日か見た、あの時のキースの姿が吹き荒れる風の中で俺が見たものだった。


 そんな化け物にしか見えないそいつの目が、俺を殺そうと真っ直ぐ見据えていた。


「だが時間切れだ。キース・デヴィリオン」


 その瞬間、世界が一変する。

 何かに取り込まれるような、そして今の位置が少しずれるような、そんな奇妙な感覚。室内であるため見えてはいないが、空を見上げればあの何とも言えないショッキングピンクが広がっているのだろう。


 同時に挑発の間に準備しておいた陣を作動させる。

 こうなるだろうと予測して足元に仕込んだ『空間置換陣』。入れ替えたのは俺の立っている場所と観覧席最上部の空間である。結界に取り込まれると同時の発動であるため、白神達宝石の騎士ジュエルナイトには結界にはじき出されたように見えるだろう。


 そのまま観覧席へと位置を映した俺はすぐさま隠蔽陣を付与したローブと武器である杖を引っ張り出して眼下に目を向けた。


 そこには案の定というべきか、正体を現したキースと向かい合う形で白神達宝石の騎士ジュエルナイトが構えていたのだった。

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