第59話:賢者はNOというのが好き

 あの昼休み以降、特にキースから何もされることなくやってきた放課後。

 俺はいつも通り旧館へと向かい、いつも通り魔法書を開いていた。今日は白神が来ないことが確定しているため、いつもは読むことのできない魔法書を読むことができる。


 やっと落ち着ける時間が来た。


 先述の通りキースには何もされなかったのだが、案の定キース目当ての女子どもからの評判がすこぶる悪くなったらしい。おかげさまで教室から出るたびに、遠巻きに俺を見て嫌味を言う女子の多いこと多いこと。


 おまけに女子のネットワークというのはすごいもので、次の休み時間には学年全体に事の次第が広まっていたわけだ。あの勢いでは、キースのことを知る他の学年の女子にも話が回りそうなものである。


 当初から考えていたあまり目立たずに学生生活を送る、というのが果たされなくなってしまったわけだ。できればあまり認識されずにいたかったんだが。


「……まあ計画に想定外は付き物だしな。この程度でよかったともいえる」


 女子限定で嫌われている程度だ。大した問題ではない。それに今後キースとあまり関わらなければすぐに忘れてくれるだろう。人の噂も七十五日とはよく言ったものである。


 時間が経てば誰もが興味を失ってまた俺の立ち位置はクラスメイトの冴えない男子生徒Aに戻るだろう。


「……今日は帰ってからでもいいか」


 少しばかり広く感じる静かな部屋に飽きたため、帰り支度を始める。帰ればラプスもいるし、ここよりはマシになるだろう。

 白神には見せられないちょっと(魔法的に)危ない本を保管庫にしまいこみ、鞄を手にして同好会を出ようと席を立つ。


「……ん?」


 だがその時、扉越しに何者かの足音が耳朶に触れた。


「誰だ……?」


 人払いの結界はもう張られていないため以前のように人が来ないわけではないのだが、それでもわざわざこの旧館にやってくる生徒は数少ない。

 そしてその少ない生徒も、基本的には旧館の裏や一階に来る程度でこの三階までやってくるのは俺か白神くらいなものだ。


 一瞬白神かとも思ったが、聞こえてくる足音はからしてそれはない。


 手にしていた鞄を降ろし、少しばかり警戒を強めて扉を見やる。やがてその足音が扉の前で止まると、その人物は特に何かを言うわけでもなく勝手に同好会の扉を開けたのだった。


「おっと、ここであってたかな」


「その前に、まずは失礼しますくらい言ったらどうだ。常識だぞ、デヴィリオン」


 その人物――キースは俺の言葉にごめんね、と謝りながらも、部屋に入って早々に空いていた席に座った。

 だから誰もその許可をしてねぇんだよ。


「ちょと君と話したいことがあってね。勝手ながら、お邪魔させてもらったよ」


「俺は応じた覚えはないがな。特に話すこともないから帰ってくれ」


「冷たいなぁ。クラスメイトじゃないか。それに、僕は君とも仲良くしたいと思ってるんだよ? 津江野君」


 人当たりの良い笑みを浮かべながらそういったキース。

 その笑みに一瞬絆されそうになるが、すぐにこいつが敵であることを思い出して警戒心を強めた。


「……ほぅ」


「俺は別に仲良くしたいとも思わんぞ。大事な後輩……それも中学生相手にデートを申し込む奴と仲良くしようとは思わん」


「中学生とはいえ、もう立派なレディだよ? レディにはそれ相応の対応というものがある。別にデートだっておかしい話じゃないさ」


「同級生ならそう言えたが、高校二年の俺らがそれをやるのはどうかと思うぞ。そんなにデートがしたいなら、クラスメイトの誰かと行けばいいい」


 お前が誘えば、お前目当ての女子なら誰でも喜んで承諾してくれるだろう。そう言ってやったのだが、キースはわかってないなぁと言わんばかりの呆れ顔で首を横に振ってみせた。


「あの達じゃダメなんだ。彼女じゃないと僕は付き合おうとも思わないさ」


「……お前中学生が好きなのか?」


「いや、そうじゃないよ。基準はそこじゃない。君にはわからないかもしれないけど、条件さえ満たしていればいいんだよ。それこそ、中学生でも同級生でも年上でも。なんなら人妻だってありだよ?」


「……流石に冗談だよな?」


「僕は冗談は言わないよ。至って真面目さ」


 やばいことを宣ったキースの言葉に思わず口を出してしまったが、当の本人は本当に真面目な話らしくふざけている様子も見られなかった。

 流石世界を支配しようとする組織の一員。言ってることが相応にヤベェ……


「それ、あんまり他で言わないほうがいいぞ」


「ん? そうなのかい?」


「あ、うん……」


 呆れてものを言えなくなるってのはこういうことを言うのだろうか。仮にこれが俺の正体を見越した上での精神攻撃であるというのであれば見事としか言えないだろう。現に俺は既に頭が痛い。

 本当に、何でこいつは転校なんてしてきたんだ。


「それで? わざわざこんなところまで来ていったい何の用だ。デヴィリオン」


「キースでいいよ」


「断る。俺はお前と仲よくするつもりはない」


「はぁっ、つれないね。まあいいよ、話っていうのは今日の彼女のことについてだ」


 そう言ってキースは一度自分の鞄の中を探ると、大きめの長財布を取り出した。

 何のつもりかと思ったその直後、彼はその財布をヒョイとこちらに投げ渡してきた。


 反射的にその財布をキャッチしてしまったが、見た目以上の分厚さと重さに思わず「お」っと声が漏れてしまった。


「百万円入っている。必要なら追加で払う。条件は君が知っている限りの彼女の情報を教えることだ」


「……どういうつもりだ?」


「言っただろう? 僕は彼女を……特別な彼女を手に入れたい。そのためならこのくらいはするさ。人間ってのはお金が大好きなものだと聞いているけど、僕にとっては必要のないものだからね。言い値で払うよ?」


 そう言ってキースは鞄の中に入れていたであろう札束を俺の目の前に重ねていく。

 ぱっと見ではあるがその額は優に一千万は超えているのではないだろうか。なるほど、確かにこんな金を目の前で見せられればその言葉になびく者も出て来るだろう。

 それだけ金というのは今の人間社会にとっては大きいものだ。


 だが相手が悪かったなキース


「拒否する」


「……? 額に不満でもあったかな?」


「額の問題でもない。それから、何を提示されても俺はお前の言う通りにはしないさ。いったいお前が何の目的で白神に執着しているのかは皆目見当もつかんが、こんな手段を使うような相手を白神に近づけるわけにはいかねぇんだよ」


 手にしていた財布をキースに投げ返し、目の前に積まれていた札束の山も押し返す。

 言われた内容が理解できていなかったのか、キースは唖然としたまま投げ返された財布を取るそぶりも見せなかった。

 キースの体に当たった長財布が床に落ちた重く響く音が部屋に響く。


「何の目的か、か。そうだね。そこを話さなきゃ君も納得はしないよね」


 そして何か独り言のように呟いたキースは、いつもの人当たりの良い笑みを浮かべていた。


「僕はね、この世か……この国に探しに来たんだ。自分の生涯の伴侶をね」


「……伴侶?」


 突然話題が変わったことに驚きながらも、こいつの目的を知るいい機会だと思ってそれ以上のことは口にしない。

 キースは俺の言葉に頷いて見せると話をつづけた。


「僕には生まれ持って人を引き付ける力があってね。特に女の子は顕著なんだ。そうなった子たちは皆……皆僕に対して優しくなる。けどね、それじゃダメなんだ」


「ほお、何がダメなんだ? 都合のいい奴らが集まるなら人生生きやすいだろう?」


「そうじゃないんだよ。優しすぎるのも困りものさ。僕が求めているのは何でも言うことを聞く奴隷じゃなくて、僕と対等にいてくれる存在なんだ。だからこそ、あの場所で僕よりも君を優先した彼女ならそういった存在になってくれると思ったんだ」


 だからさ、とキースは言葉を続ける。


「クラスメイトのよしみでさ。僕と彼女の仲を取り持ってはくれないだろうか?」


「断る」


 何時もの笑みを浮かべて身を乗り出してこちらを覗き見るような格好のキースを、俺はその一言でバッサリと切り捨てた。


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