閑話

「やあ、確か……ケント、だったかな?」


「そういうお前は……ああ、お前が噂の勇者様かよ」


 王城内の書庫で魔法についての基礎を学んでいると、そこにいたのは噂の勇者様。

 確か名前は……フィン? とかだった気がする。


「何の用だ。僕は今忙しいんだよ」


「そう邪険にしないでくれ。今後は一緒に戦うことになる仲間なんだから」


 無視して視線を本に戻すが、それでも勇者様はこちらの言葉に取り合わず隣の席へと座った。


「……席なら、ほかにも空いてるだろ。わざわざそこに座るんじゃない」


「君と話したいのに、ほかの席に座っては元も子もないだろう?」


 睨みつけてはみたものの、屈託のない笑顔でそう言われてしまっては何も言い返せない。

 こういう奴は苦手だ。阿久道あくどうのように僕のことをいじめてくる奴やそれを見て見ぬふりをするやつらは今まで嫌なほど見てきた。

 だがこんな、物語の主人公みたいなやつは見たことがない。


 だからこそ……こんな奴だからこそ、憎めないのだ。


「……チッ、何の話がしたいんだ」


「お、素直になってくれたんだね。うれしいよ」


「そうじゃない。このままそこに居座られても、僕が迷惑なんだ。本人が退く気がないのなら、とっとと用事を済ませたほうがいいんだよ」


 文句を言いながら横目で勇者様を見てみれば、彼はやれやれといった様子で苦笑して見せた。


「まあいいさ。どうせこれから君とは長くなる。ゆっくりと仲良くさせてもらうことにするよ。それで、聞きたいことなんだけど……君は異世界から召喚されてこの世界に来たんだろ?」


「だったらどうした」


「ぜひ向こうの世界の話を聞かせてほしいんだ! どんなところだったんだい? 食べ物とか生き物とか! 君が見てきた世界を教えてほしいんだ!」


 やや興奮気味に捲し立てる勇者様。

 どうやら、異世界から来た僕に向こうの世界のことを教えてほしいようだった。


 向こうの世界。そういわれて僕が思い出すのは、どれもこれもが嫌なものばかりだ。あんな糞みたいな日々、思い出したくもない。


「文明レベルで言えば、確かにこの世界よりは優れているよ。魔法はないけど、空飛ぶ金属の塊に、大人数を乗せて高速で走れる機械。挙げればきりがないだろうさ」


「お……おお! そんなものがあるんだね!」


「だがな、勇者様よ。そんな世界でも人は……人間は変わらない。むしろ、この世界よりも糞みたいな悪人が多いかもしれないぞ?」


 なぁ勇者様よ。そんな世界に、憧れなんて持てるか?


 僕の言葉で勇者様が押し黙ったことに満足しつつ、勉強を切り上げて席を立った。もうすぐ宮廷魔法使いによる魔法の講義があるのだ。


「だいたい、お前のせいで僕は勇者になれなかったんだ。好ましく思われていないことくらい察せないのか、あの勇者様は」


 勇者として異世界召喚されたのに、その勇者になるための資格である聖剣はどこの誰とも知れない平民が抜いてしまった。

 そして何の因果か、僕には勇者の才能はなく賢者の才能があったため、こうして賢者としての修行中。


 これは後で教育係兼師匠となった宮廷魔法使いに聞いた話ではあるが、あの勇者様が聖剣を抜いてしまったから、勇者として召喚されたにも関わらず僕には勇者の才能がなかった可能性があるのだとか。


「あいつさえいなければ、きっと僕が……」


 向こうであんな扱いを受けてきたんだ。この世界でくらい、いいことがあってもいいはずだ。

 それを、あんな奴に……奴に……


「……はぁ、やめよう」


 そう恨めたのならどれほどよかったか。

 王城に連れてこられたあの勇者様は、意外なほどに好青年で……そして才能にも愛されていた。

 この世界の平民というのはそこまでまだ教育が進んでいないらしいのだが、あの勇者様は物覚えもよく、礼儀も剣技もすべて容易く習得してしまったのだ。

 まさに神に愛された、という言葉が似あう男だった。


 そしてなにより、自身よりも他人を優先するお人よしでもあった。


 嫌いになろうとはした。けど、やっぱりそんないいやつを心の底から嫌いにはなれなかった。


「……あんな奴が、一人でもいてくれたら」


 僕の人生は、もっと違ってモノになっていたのだろうか。

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