第5話:賢者は動じず、されどアイアンクロー

「おい津江野。てめぇ、なんで死んでねぇんだよ、あぁ?」


 背後からかけられた声は、なぜか妙に腹立たし気な様子であった。

 特に興味はないのだが、名前を呼ばれた以上無関係ではないのだろう。仕方ない、とため息を吐いてから声の主に視線を向けてやる。


「何だ? 特に興味もないから用事があるならさっさと済ませてくれ」


「あ゛ぁ!? 俺に対してずいぶんと偉くなったもんだなおい……!! つーかよぉ、俺言ったよな? ちゃんと飛び降り自殺しろってよぉ? 何無視して登校してるわけ?」


 いい度胸してるよお前は、と顔を寄せて睨みつけて来る男。

 

「やめろ気持ち悪い。男はお断りだぞ」


「グェッ!?」


 すぐ傍まで寄せてきていた顔を、俺は遠慮なく鷲掴んだ。

 そういう趣味は否定はせんが、俺と関係のないところでやってもらいたい。


 ギリギリと掴んだ手に力を込めていけば、男は苦しそうにうめき声をあげ、必死に手から抜け出そうともがき始める。

 もっとも、身体強化で握力を上げているのだ。その程度の力じゃびくともしないがね。


「たっちゃん!? おい津江野!! お前何してんだよ!?」


「は? 仕掛けてきたのはこいつだろ? 何言ってんだお前?」


 教室の後ろで固まっていたグループの一人がそんな声を上げたが、まったくもって意味が分からない。

 仕掛けられたならそれは基本敵だ。無辜の民ならともかくとして、害をなす存在を放っておくわけがないだろう。


 そういう意味ではフィンは甘かったな。何せ、襲い掛かってきた盗賊共を一度は許してやっていた。もっとも、二度目は許していなかったが。

 本当に、懐かしい話だ。


「おい聞いてんのか津江野!!」


「おっと、すまん。つい物思いにふけってたわ」


 ほれ、と掴んでいた顔を離してやれば、男はよろめきながら後退。ついには複数の机や椅子を巻き込んで盛大にこけた。


「たく……用事があるなら普通に聞けばいいだろうに。あんなに顔を寄せなきゃ話せないほど幼稚ではないだろ? いや、あるいは目が老衰でもしているのか? それか、お前が男が好きだからという可能性もあるかもしれんが、対象外だからやめてくれ」


「て……てめぇ……!! よくもやりやがったなぁぁ!! 津江野ごときがよぉぉ!?」


 ゆっくりと立ち上がった男は、血走った目でこちらを向く。

 知っている目だ。確かあれは……そう、召喚直後にフィンと初めて行った実践訓練。そこで出会った狼の魔物と同じ目だな。

 あの時はまだまだ戦闘にも慣れていなければ実力もなく、さらにはフィンとの連携もぐちゃぐちゃだったため、1匹狩るだけでも相当苦労したものだ。


 初の魔法はフィンへのフレンドリーファイアだったことはよくネタにされていたっけか。


「よそ見してんじゃねぇぞ!」


 室内だというのに周りへの影響を無視して殴りかかってくる男。


 そう、今のような目で俺たちを見た魔物が駆け、比較的弱そうだと判断して俺のもとへと飛び掛かって……


 ……ふむ。


「目だけだな。あの時の奴らはもっと早かった」


「……は?」


 俺の顔をめがけて振るわれた拳を掴み取った俺は、その手をこちらに寄せて男の体勢を崩す。

 そして前のめりになったところを狙って、再度男の顔を掴んだ。


 今度は先ほどよりも力を込めて。


「がぁあああぁぁぁぁああああぁぁああ!?」


「たっちゃん!?」


 あまりの痛みに叫び声をあげる男。その声に反応したのか、仲間の男が男の名を呼んだ。


「まったく、ゴブリンでも力の差を知ればすぐに撤退するというのに……お前の脳みそはそれ以下なのか? いや、いきなり自殺を命令してくるような奴の人間性なんてたかが知れているか。場合によってはフィンが初見でキレるぞ?」


 顔を掴んでいる俺の手を必死に外そうともがく男に言ってやるのだが、この様子だと聞こえていないようだ。まぁ聞いたところで意味が分からないかもしれないが。

 ついには足で俺に蹴りを入れようとしてくるのだが、そのことごとくを空いた手で叩き落としてやる。もちろん、脛を狙って殴りつけるように。


「先に手を出してきたのはお前だろ? 悪いのはお前で自業自得だぞ?」


「づえ゛の゛ぉぉ……!! でめ゛ぇぇえ……!!」


「おっと、話せる余裕はあったのか。流石だな。ならまだ耐えられるな?」


「あ゛あぁあああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁ!?!?」


 ゴブリン程度であればとっくに気を失っているくらいの力なんだが……それなりに耐久はあるらしい。もっとも、その程度であればガリアンの軽いデコピンで頭がぶっ飛ぶかもしれないが。


「お前たち! 何を騒いでいる!!」


 すると、突然教室の扉が開き大人の男が姿を現した。

 そういえば、担任ってこんなんだったなぁ、と適当なことを考えていると騒ぎの元凶である俺たちのもとへと寄ってきた。


「やめろ津江野!! 早くその手を離せ!」


「離したらまた殴りかかってくるかもしれないんで無理ですね」


「っ!? ……いいから早く離すんだ! 生徒なら俺の言うことを聞け!」


 ……あー、だんだんと思いだしてきた。

 そういえば、今俺が顔面を掴んでいるこいつは『僕』だった頃の俺をいじめていた主犯格だったな。名前は……忘れた。どうでもいいから思い出さなくてもいいだろう。

 んで教師だが、こいつもこいつで見て見ぬふりをしてたやつだった。一度だけ助けを求めたこともあるが面倒事を起こすな、やらお前が悪いなどと言って取り合ってくれなかったんだっけ?


「このっ!」


 一向に手を離さないのを見かねたのか、教師の男が引きはがそうと俺の手を掴んだ。

 ……まぁこれ以上はなんか面倒だし離しておくか。


 パッと手を離せば、先ほどよりも勢いよく崩れ落ちる男子生徒。どうやらいつの間にか気を失っていたらしい。その様子を見かねた教師は、「保健室に運ぶからそれまで待機」と慌てた様子で男子生徒を抱き上げて教室を出ていった。


 そんな教師の足跡が遠くなると、教室のあちこちから視線を向けられた。


「まったく、酷い話もあったもんだな」


「……お前、本当に津江野なのか?」


 振り返ってみれば、そこにいたのは先ほどの男子生徒の名を呼んでいた男。確かもいつも『僕』を標的にしていた奴の一人だったな。


 体ごとそいつに向き直ってやれば、そいつの他にも、その後ろにいたグループの面々の方がビクリと跳ねる。

 なに、そんなに怖がらなくても『これから』何もしなければ手は出さないよ。


「もちろんだ。『俺』は津江野。津江野賢人だ。今日だけでもよろしく」


 もっとも、俺はよろしくするつもりなんてこれっぽっちもないんだがな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る