小さな子供は目が離せないぜ
さて、俺たち夫婦の間に長女が生まれて3年の月日がたった。
その間にもう一人長男が生まれていて、それぞれが数えで4歳と2歳になってる。
家族が誰も欠けることなく、みんなで一緒に住むことができているのはすごく幸運なことだと思うぜ。
今日は雨が降ってるので、外に出られないから、家の中ですごすことになるんだが……。
俺が土器をこね、イアンパヌが麻を編んで服を作りながら、子犬がパタパタ尻尾を振ってる所で、二人の子供も粘土をこねくり回して遊んでいる。
上の女のコがこねた粘土を持っててこてこ歩いてきた。
「とーしゃ、できたー」
俺は其れを見て笑ってみせた。
「おー、なにかできたのか?」
娘が其れを差し出してくる。
足のある動物のようだ。
「わんわ」
なるほど、イヌのつもりなんだな。
「ああワンコたちか」
”わんわん”、
ワンコが嬉しそうに、尻尾をパタパタさせてる。
子犬は小さな子供の大切な遊び相手でも在るんだ。
イヌは人間が悲しいときには慰めてくれるし、適度にじゃれてくれるからありがたいぜ。
「わんわ、わんわ」
下の子も意味がわからないだろうが泥をこねくり回して楽しそうにしてる。
ただ小さい子供はなんでも口に入れようとするので気を付けないといけない。
下の子が丸めた粘土を口にしようとしてるので俺は其れを止める。
「おーい、其れは食べたらダメだぞ」
「だ……め?」
下の子は首を傾げたあと、おとなしく土団子をおいた。
今は下の男の子のほうがおとなしく、上の女の子のほうが活発なのは年齢のせいか、時代のせいか、それともこれが普通なのか。
まあ、子供は走り回るのと泥遊びが大好きだからな。
晴れた日は同じくらいの年齢の子供はワーワー騒ぎながら草の上を裸足で追いかけっこをして、疲れては草の上で横になって寝るを繰り返し過ごしてる。
「とーしゃ、うりうりー」
「おお、こんどはうりんぼだな」
ワンコとウリンボの差がいまいち分からないが、まあ3歳としては上出来なんじゃないかな。
もしかしたら俺が親バカなだけかもしれないが。
縄文時代でも社会を構成する最小単位は家族だ。
一つの家で暮らす一家族の規模はだいたい五人から八人くらいで、住居の広さは六畳二間くらいが多い。
家族の構成については、祖父母も同居している場合もあるし、親と子どもだけの場合もある。
基本は母方のもとに男が婿入する形が多いので、3世代が一緒に住むことが多い。
そうすれば子育てに祖父母の力と知恵も借りられるしな。
俺達は俺とイアンパヌと子どもたちだけだが、親が早くなくなった場合などでいない場合は、これが普通だし、場合によっては姉妹のところに旦那が婿入して、一夫多妻だったり、兄弟の所に嫁入して一妻多夫だったりする場合もあるがな。
その場合でも家族の仲はだいたい良好で、異母異父兄弟でも区別なく養育し、どちらかが出産時になくなっても残ったほうがなくなった方の面倒を見たりもする。
現代のように一夫一妻にガチガチに決まってるわけではないのでそのあたりは結構おおらかだったりするんだ。
この時代、人間が家庭を築くことにはいろいろな意味がある、子供を産み育て人口を再生産することによって集落ひいては人間という種を存続させると言う意味、子どもを養い育てると言う意味、子どもが生きていけるようにいろいろなことを教えると言う意味だ。
もちろん先に子供をなくした女が乳児を一緒に養育したりするから家族だけにそれらが押し付けられているわけじゃないがな。
”おしえる”という言葉は、もともと人間がいっしょに食事をして食べ方を学ばせる、というところから生まれたらしい。
「食す」は古くは「ヲス」といい、「食饗」は「ヲシアヘ」と読んだらしい、つまり、ヲシアヘとは複数の人間がいっしょに食事をすることで、炉の周りで食材を調理しながら、親子が一日の出来事やその日の食材の名前、あるいは食べる際の礼儀作法や正しい食べ方など話しながら伝えていったわけだ。
それが「教える」ということで、食事をともにすることによって、家族の結びつきを強めたわけだ。
ぱちぱちと炎がはぜている炉に、串に刺した鮎を炙りながら、土器でハマグリやスズキを入れた汁をにている。
ちゃんと煮えた所で木のお椀に竹の柄杓で煮えた魚や貝を入れて娘に渡す。
「ほれ、熱いから気をつけろよ」
嬉しそうに受け取る娘。
「わかったー」
上の子はようやく乳離したところだ。
最初は木の実をすりつぶしたおかゆだったが、いまは固形物もだんだん食べられるようになってきてる。
でもまだ箸の使い方に慣れてない。
「箸はこうやって持ってだな」
娘は箸をにぎっていう。
「こー」
俺がハマグリの身の部分をつまんでみせた。
「ハマグリはこうやって殻を外して食べるんだぞ」
「うーうー」
どうもうまくハマグリをつまめないらしい。
「まだ難しいか?」
娘がコクコク頷いた。
「うん、むずかしい」
「しょうがない、あーんしてくれ」
「あい、とーしゃ、あーん」
娘が口を開けたところにフーフー覚ましたハマグリを箸で口に入れる。
「ほれ」
「あむ、うまー」
ハフハフしながらハマグリを食ってる娘を見て、なんか息子に乳をやってるイアンパヌが羨ましそうに見てるな。
「ほれ、イアンパヌもあーん」
「あーん」
こっちは冷まさなくても大丈夫かね。
箸でハマグリを口に入れてやるとイアンパヌももぐもぐ食べてる。
「ま、平和でなによりだな」
ちなみに危ないから炉に近づいちゃいけないということ、家の中では走らないことは、どっちの子供にも小さいときからずっと言い聞かせてる。
はいはいしている子供が炉へ突っ込んだらやばいからな、やけどで死んじまう。
まずはやっちゃいけないことを繰り返し教えていかないと色々命にかかわるから怖いぜ。
こうやって固定された家に住み家族が炉を囲むという事によって、其れにより家族間のコミュニケーションが縄文以前の生活より一層濃密になったというわけだ。
こうした炉を囲んでの家族いっしょの食事や語らいが、子どもにたいするしつけや教育のもっとも原初的な姿なんじゃないかな。
かといって俺達はそんなに堅苦しい生活をしていたわけじゃない。
上座下座のように誰がどこといるようにしなければならないという特定の場所がきまっていたのではなく、夏は適当にバラけて、冬は一緒にくっついて寝たりなどして縄文の時代の人間はかなりのびのびとくらしていたんだ。
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