第21話
夏休みの半分が過ぎた。
蝉が延々と鳴き続けるなか、俺はどこへ出かけることもなく、友達からの誘いもやんわり断り、クーラーの効いた部屋にこもって、ノートPCに向き合っていた。
カタカタ……。
俺は悩み、考え、キーボードを叩く。
文法は正しいか、言葉は適切か、そもそもこの小説は面白いのか。
一歩進み、二歩戻るようなペースでありながらも、画面を文字で埋め尽くしていく。
三回目の小説教室。
そこで説得を試みようと思ったが、詩織は来なかった。
図書室のいつもの長机。向かいの席に詩織がいない。それに違和感を覚えた。一人だけの図書室はなんだか居心地が悪くて、来て10分も経たないうちに、図書室から出た。
足は自然と、詩織の住むマンションへと向かった。
エントランスにあるインターホンに詩織の部屋番号を打ち込み「呼出」のボタンを押す。ピンポーンとチャイムが鳴る。だが、しばらく待っても応答はない。
俺は諦めて、家に帰ることにした。
若干、詩織が出なくてホッとしている自分がいた。彼女に送る適格な言葉を決めかねていたからだ。どんな言葉を与えれば、彼女がもう一度小説を書いてくれるのかわからない。
自分の言葉で詩織が心変わりするイメージが浮かばない。
家に帰ると、彩音はリビングにいた。テーブルの席に座っている。机の上には彩音の設定ノートが置いてある。中身を確認したのだろうか。不安になった。
「話がある」
彩音の表情は深刻そうで空気は重かった。俺は向かいの席に座る。
「見たのか?」
たまらず聞くと「見た」と彩音は言った。ため息が漏れた。なんというか、心に負担がかかる出来事が続いたからだ。
「ごめん。あの時の俺は、お前の存在を見誤っていたんだ」
俺は頭を下げる。出会って間もない頃、思惑通りに設定を書き足したことについての謝罪だ。
つむじから、彩音の声はしない。不安に思って顔を覗くと、怪訝そうな表情をしていた。
「…………それが操っていたことに対しての謝罪なら、大丈夫。前から把握していたから」
「え、そうなの?」
「当たり前でしょ。私自身が、私の変化に気付かないとでも? 自分に変化があったとしたら原因は神であるアナタ。方法として考えられるのは設定ノート。全部憶測できるわよ」
そりゃ、そうだ。
俺は勝手に、操り人形状態の時の記憶は、消えたとばかり思っていたが、ちゃんとあの時期の記憶も残っていたらしい。俺に気を遣ってか、それとも本人としても掘り返したくなかったからなのか、彩音は今まで口にださなかっただけなのだ。
「私を身勝手に操っていたことは、……まあ、良くは思わないけど、もう過ぎた話。今はもう何も思っていない」
「じゃあ、話ってなんだよ?」
「このノートを利用すれば、アンタは神になれるってこと」
彩音はノートを指して、ニヤリとほくそ笑んだ。
「そりゃ、お前にとって、俺は神様だろうよ」
「違う。この世界でも神様になれるってことよ」
よくわからない。俺は首を傾げた。
「私がこの世界に具現化した当初は、料理ができなかった。でも、このノートに設定を書き加えたら、できるようになった。ここがポイント」
彩音は人指し指を立てた。
「例えば、このノートに『空を飛べる』『怪力』『洗脳能力』みたいに、人智を超えた設定を書き加えても反映されるんじゃないかしら。できないことが、できるようになるのだから」
「まさか、ありえねえだろ」
「じゃあ、実験してみよう」
彩音はノートを広げてペンを渡してきた。実験と言われても困る。仮に「怪力」と書いて、能力を立証するために、家具を壊されても困る。できるだけ無害な能力を付与させねば。
しばらく考えてから、俺はノートに「テレパシーができる」と書き加えた。
――つまんない能力ね。
突如、頭の中で彩音の声が響いた。
――もっと、面白い能力がよかったなあ。
彩音の口は閉じている。テレパシーを送ることが楽しいのか、自分の予想が当たったから嬉しいのか、彼女は嬉しそうに笑っている。対して、俺は気が狂いそうになっていた。頭の中で他人の声が響く。映画やアニメでよく見る光景だが、実際に体験してみると、とにかく不快で気持ちが悪い。俺はすぐに「テレパシーができる」に横線を引いた。
「あ」彩音は不意を突かれたような声を出した。
「いや、すげぇけど、怖えよ。人智を超えた能力なんて、怖すぎる」
正直な気持ちだった。
「でも、これを利用すれば、詩織ちゃんをどうにかできるよ」
まるで、悪魔の囁きだった。
「『洗脳能力』と書き加えれば、詩織ちゃんに再び小説の炎を灯すことができる。『記憶改ざん』でもいいかもね。自分が主人公だと認識していれば、今まで通り、努力を続けるでしょ、あの子」
それは彩音の言葉ではないように聞こえた。彩音の口を借りて、別の何かが語っているように感じた。そう聞こえたのは、多分、俺が彩音にビビっていたからだ。人智を超えた能力を持つことができる彩音がこの世の異物に感じた。
俺は首を横に振る。
「洗脳に近しい行為は、詩織がもっとも嫌がる行為だ。それはしたくない」
「じゃあ、どうするの?」
俺は設定ノートに視線を落とす。
「ノートは使う。でも、決断するのは詩織の遺志だ」
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