第17話

 書く目的がハッキリすると、プロット制作が、油を塗ったようにスムーズに完成へと進み始めた。期末テスト間際だというのに、一切の勉強をせず、プロット制作に没頭した。

 そうやって、頑張って書き上げたプロットは、期末テストが終わり、そのテスト結果が出て、夏休み直前に完成した。

一学期最後の登校日。

 終業式を終え、日が高いにもかかわらず、放課後を迎える。

 プロットが書かれたノートを鞄に入れ、俺の足は図書室へと向かう。出来立てほやほやのプロットを詩織に見てもらうためだ。俺の一歩後ろを彩音が付いてくる。

 平たく言えば、彩音は、暇だった。

 晴樹と高橋の仲は、期末テストを経て急接近した。テスト期間中は毎日、帰宅途中にあるファミレスで一緒に勉強していたのだとか。今日だって、早く向かえた放課後をいいことに、制服デートに出かけるらしい。付き合うまで、秒読み状態。そんな感じだ。

 二人の仲を紡いだのは、彩音だ。恋のキューピットたる彼女は、仕事を終えたことにより、暇になってしまった。先に家に独りで帰るのも寂しいらしく、せめてもの暇つぶしということで、一緒に図書室へ向かっているのだ。

 かくして、俺らは図書室に辿り着く。

 中に入り、勉強スペースにて、いつも通り文庫本を読んでいる詩織の正面に座る。

「詩織」

 声をかけると、物語に浸っていた視線が、現実の俺へと向けられる。やはり、俺の隣に座る彩音は見えていないらしく、視線は逸れることなく、真っすぐ俺に向けられる。そのことに対して、多少なりの落胆はあったものの、表には出さず、プロットが書かれたノートを鞄から取り出して、詩織に差し出した。

「プロットが完成した。だから、読んでほしい」

 詩織はコクンと頷くと、静かにそれを読み始めた。


 物語は、高校生の三守彩音が交通事故に合い、記憶を失うところから始まる。

 それにより、凛とした性格は消えてしまい、彩音は周りの目ばかり気にするキョロ充になってしまう。彼女はそんな己を嫌っており、いつしか変わりたいと願うが、行動に移せずにいた。

 彩音のクラスには不登校の女子が居た。不登校の理由は、人間不信だ。それを改善しようとしていたのが、記憶喪失以前の彩音だった。人間不信を治すため「何があっても毎日、家まで遊びに行く」と約束したのだ。

 だが、記憶喪失になってしまい、その約束すら忘れてしまう。

 不登校の女子にとっての彩音は、約束を交わした本当の彩音は死んでしまった。なのに、葬式すら行われない。憤りを覚えた不登校の女子は、以前の彩音が生きていた証を残すため、学校へ通うようになる。以前の彩音は、自分を変えようと約束までしてくれた。ならば、自分が変化すれば、彩音の存在は証明される。不登校だった女子はそう考えたのだ。

 その姿を見て、感化されるのが、現在のキョロ充の彩音だ。

 周りの目ばかりを気にして、言動を合わせてしまう己を変えたかった。

いや、正確に言えば、本当の己を出したかった。記憶喪失以前の三守彩音ではない、今の己自身を。だが、決意したからとて、簡単に変われないのが人だ。

どうしたって、自分の意見を言えない。本当はNOと思っていても、周りがYESと言うのなら、口は半自動的にYESと呟いている。同町圧力に押しつぶされまいと踏ん張ろうとするが、いとも容易くポキッと折れて、周りの意見に賛同してしまう。

変わりたいけど、変われない。人知れず足掻く日々の中、教室で小さな事件が起きる。

「なんで、アンタ学校へ来ているわけ?」

 女子グループでリーダー格的な存在が、不登校だった女子に突っかかったのだ。

「アンタが視界に入ると、教室の空気が悪くなるの? わかる?」

 それは、どう考えても理不尽な言い分だった。リーダー格の女子は、彼氏に振られたばかりで、機嫌が悪く、八つ当たりとして、不登校だった女子に文句をぶつけているのだ。

 教室内の視線が二人に集まる。彩音もその中の一人で、一歩離れたところから見守る。

 二人のいざこざを見て、彩音の中に二つの選択肢が生まれる。

 傍観者として見守るか、

 間に割って入るか。

 どう考えても、リーダー格の主張は間違っている。心の最も正直な部分は彼女の行動を非難している。それは、クラスの大半が思っていることだろう。だが、誰も動かない。

 怖いからだ。

 リーダー格は、リーダー格だけあって、クラスの実権を強く握っている。彼女の発言は力強く「右を向け」と言えば、大半が右を向いてしまう。もし、万が一、命令に反して左を向いたのなら、それはクラスでの孤立を意味する。それは、最悪の場合、イジメという容赦なき刃が己に向く可能性が生まれる。

 誰だって、自分が一番かわいい。

 危険を犯してまで、他人を助けようとはしない。

 それでも、彩音は、行動へ移そうともがいていた。

 恐怖心という濁流によって流されそうな心を、勇気という手綱でぐるぐると巻き付けて、間違った選択へと流されないように、必死に引っ張っていた。

 彩音は、一歩前へと歩む。

「アンタの主張は、おかしい」

 二人の元へ近づき、言い放ったその言葉は、か細く弱かった。緊張で喉はカラカラで、頭はなんだかふわふわする。眩暈も起こっていて、気を抜いてしまうと倒れてしまいそうだ。

「あ? なんて?」

 リーダー格のその聞き返しに、彩音は怯みそうになる。怖い、怖い、怖い……。警告音が頭の中で鳴り響く。それでも、彩音は自分が思う最善を裏切りたくて、叫んだ。

「アンタは、間違っている!」

 絶叫に近いそれに、今度はリーダー格の女子がひるんだ。

 リーダー格が一瞬弱みを見せたことにより「私もそう思う」「いくらなんでも言いがかりだ」と賛同者が湧いて出てきた。小さな灯だったそれは、同調が同調を呼び、いつしかクラス全体の意見となって、リーダー格の前に立ちふさがる。

 大きな波はリーダー格を飲み込むような勢いだ。多勢に無勢。流石に太刀打ちできない。面白くない展開に舌打ちして、教室から逃げるように去っていった。

「どうして、助けてくれたの?」

 不登校だった女子は、淡い期待を抱く。もしかしたら、記憶が蘇り、以前の彩音が生き返ったのかもしれない。

「私は、別にあなたを助けたくて、前に出たわけじゃない」

 だが、返ってきたのは期待外れの答えだった。

 「理不尽な言いがかりを受けているあなたを見過ごすのは、間違っている行為だと思った。私は自分に嘘をつきたくなかった。私にとって、最も気持ちのよい行動が、たまたまあなたを助けた形になった。だから、この行動に善意はない。……なんか、ごめんね」

 彩音は本心を話した。自分の抱く感情を口に出してみると、あまりにもドライな内容で言った彩音自身もギョッとするほどだった。だから、最後になんだか申訳ない気持ちが込み上げてきて、つい、謝ってしまった。

 その答えの中に、以前の彩音の姿は見受けれなかった。

 その答えを聞いて、不登校だった女子は、改めて以前の彩音は死んでしまったのだな、と再認識した。でも、答え自身は嫌いではなかった。取り繕った感じがなく、本心を話している感じが、好きだった。

「でも、結果的に、私は救われた。ありがとう。彩音ちゃん」

 不登校だった女子は、心の底から感謝を込めて、頭を下げた。

 この一件により、不登校だった女子は、彩音を一人の人間として認めた。

 その後、リーダー格の女子は、姑息な手と集団的圧力で、彩音を陥れようとする。追い込まれる彩音を救うのが、不登校だった女子だ。二人は協力して、巨悪を打ちのめす。みたいな展開が残っているが、割愛する。この物語の根幹は、彩音の存在が認められることだ。

 現実では、彩音の姿は誰にも映らないかもしれないけど、物語の中では、存在を認められて、肯定されてほしい。俺は、そんな願いを物語に込めた。


 自分の書いた文章を人に読まれている時間というのは、ひどく長く感じる。

 詩織の涼しげな瞳が、己が書いた文章を追う。心臓のバクバク鳴る音は、外でシャクシャクと鳴く蝉の鳴き声に負けず劣らず大きい。図書室内は冷房が効いており、涼しいのに、緊張によって額から汗が噴き出す。

――大丈夫だ。不安になるな。

 心の内側で、己を鼓舞する。

 まもなくして、詩織の視線がおもむろに上がる。どうやら読み終えたようだ。

「どうだ? 駄目か?」

 まだ、緊張はほぐれない。不安のあまり、俺は前のめりに構えた格好で質問してしまう。

「先輩、主人公はあなただったのですね?」

「……は?」

 素っ頓狂な声を上げてしまう。

 詩織の視線は、あんぐりとした顔をする俺を無視して、横へと動く。

「初めまして」詩織は挨拶をした。退屈そうに頬杖をついていた彩音が、その言葉の矛先が自分だと認識するのに、3秒の時間を要した。

「え、私?」

 彩音は自分を指さして、戸惑っている。

 詩織はコクリと頷いた。

「初めまして、三守彩音さん」

 詩織は深々と頭を下げた。

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