第13話

「詩織の嘘つき……」

 自室にて、俺は頭を抱えていた。苛立ちをぶつけるように、頭をガシガシと搔きむしる。

 プロットを考えるのは難しかった。詩織は俺に「大丈夫ですよ」と励ましの言葉をくれたが、まるでプロットができる気がしない。

 あのあと詩織は、図書室で、プロットの作り方を説明してくれた。

「物語で起こる出来事をすべて箇条書きしてください。ある本に書いてあったのですが、映画は60の出来事があれば、成立するらしいです。私はそれ参考にして、60を目安にしています。なので、先輩もまずはそれだけの出来事を考えてみてください」

 ということで、60個を目指す。

 結末は決まっていないが、中盤までの物語は考えてある。なので、そこまでの出来事を箇条書きしてみる。

 18個。

 俺は戸惑う。中盤までの展開で、18個。思った以上に数を稼げなかった。少なくとも30は稼げると思ったが、飛距離は伸びない。なんだか嫌な予感がしてくる。とりあえず、不安を心の奥へとしまい、中盤以降の展開を考えてみる。

「……………やべぇ」

 たしかに、出来事は思いつく。だけども、それらに物語性はない。

 物語性のある出来事とは、例えば「出会い」。

 出会いは、物語の起こりでよく使用される出来事だ。新たな出会いは物語のきっかけになりやすいし、序盤で出会いがあれば、視聴者は次の展開が気になる。

 そういった意味のある、次へと発展するような出来事がまるで思いつかない。

 俺が思い悩んでいると、不意にドアが開いた。

「ちょっといい?」

 彩音だった。

「部屋に入るときは、ノックしろよ」

 彩音は、俺の言葉を無視して、体を落とすようにベッドに座る。

 ノートに書かれた設定を消して以来、彩音は激変した。横暴で我が強く、思い通りにならない。自室という聖域にもズカズカと侵入してくる。

 従順な召使が消え、わがままなお嬢様が来訪してきたようだ。

「ちょっと、頼み事があるんだけど」

 スラリと長い脚を組んで、彼女は言う。

「学校へ行きたい」

 俺は、いよいよ来たか、と思った。

 今までは「家を出ない」と設定を加えたことで、彩音の行動に制限がかかっていたわけだけど、ノートから消したことにより、効力も消えた。

 設定が消えて以来、数日経っても彼女は以前のように無断で外へは出なかった。それは「家事が好き」の設定が残っていたからかもしれない。家でやることがあるから、外へ出なかったのだろう。

 だが、引きこもって家事をするのにも、飽きてくる。いつか、再び無断で家を飛び出すかもしれない。そんな可能性を危惧していたが、わざわざ俺に許可を取りにくるのは、意外だった。

「学校に行って、どうするんだ?」

「どうするって……」

 俺の質問は意味のないものだった。本当に答えを知りたいわけではなく、彩音にある物を渡すために、1クッション挟みたかった。

「私を見える人を探したいの」

 なので、彩音の口から明確な答えが返ってききたことには驚いた。

「それっておかしくないか。お前を認知できるのは、お前を知っている俺だけ。だから、存在を確立させるために、小説を書く。そうじゃなかったか?」

「その通りよ。その通りだけど……」

「だけど?」

「一人くらい、私を見える人が居る可能性を信じたっていいじゃない」

 彩音の瞳が揺れる。

 彼女は透明人間だ。俺以外の人間には認知されない。他者から認知されない感覚は、経験がないからわからない。経験がないのなら想像するしかない。きっと猛烈な孤立感を味わうのだろう。もしかしたら、に縋り付きたくなるほどに。

 俺はおもむろに、机の引き出しを開ける。

 以前から用意していたそれを指でつまむと、彩音に向かって投げた。金属製のそれは、山なりの弧を描き、彩音はそれを両手でキャッチする。

「これって……」

「家の鍵だ。施錠をしっかりしてくれるのなら、外出しようがどうしようが構わないよ」

 彩音が再び外へ出たがることを予期していた俺は、合鍵を作っておいた。

「は? キモ。鍵をよこせば、私が喜ぶことを確信してるその顔が気持ち悪い」

 素直ではない。

「文句を言うなら、返せ」

「嫌だ。鍵がないと不便」

 用が済んだとばかりに、彩音は立ち上がる。

「じゃ、明日は私も一緒に学校へ行くから、そういうことで。おやすみ」

 そう言い残し、部屋から出て行った。


 翌朝。

 彩音は、貰ったばかりの鍵でドアのカギを閉める。鍵を回すその素振りは、ゆっくりな動作のためか、慈しむような雰囲気があった。昨日はそっけない態度をとっていたが、やはり、鍵を貰って嬉しいのかもしれない。その証拠として、駅へ向かう道すがら、彩音は上機嫌に鼻歌を歌っている。

 駅に到着する。習慣のおかげか、脚は思考せずとも、改札へと向かう。

「ちょ……待っ……」

 背後から、苦しそうな彩音の声がしたので、振り返る。だが、彼女の姿はない。

 慌てて辺りを探すと、通路の端で座り込んでいた。表情は険しい。

「大丈夫か。具合でも悪いのか?」

 彩音は首を横に振る。ポニーテールが揺れる。

「人が壁になって、改札までたどり着けない」

「人が壁に?」

「みんな、私の姿見えていないから、道を空けてくれないのよ」

 朝のラッシュ時、駅は人であふれかえる。人々は無意識的に人を避けて目的の方向へと進む。当然ながら、人を避けるには相手が見えていなければならない。透明人間である彩音を避ける者はいない。必然的に壁となる。

「先に学校へ行っていて、人が減ったタイミングで、電車に乗るから」

 なるほど。たしかにそれなら安全に改札を抜けれそうだ。

「じゃあ、先に行っているぞ。気を付けてこいよ」

 彩音は俯きながら、バイバイ、と手を振る。

 俺は改札へと向かおうとするが、どうにも脚が動かない。襟首を強く引っ張られる。

 誰にも認知されない彩音が駅のホームに一人ぼっち。人の波が行きかうのに、誰も自分に気付いてくれない。人の視線が自分を捉えないたびに、孤独を強く感じることだろう。

 いたたまれない気持ちになる。とてもじゃないが、置いていけない。

「どうしたの? 遅刻するわよ」

 俺がその場で佇んでいると、俺の気持ちも知らずそんなことを言う。

「やっぱり、置いていけない。一緒に学校に行くぞ」

「はぁ? 言ったでしょ。人が壁になって改札まで行けない、って。それとも通勤ラッシュが収まるまで、あんたも一緒に待っているつもり?」

「いや、このラッシュ時でも彩音が安全に改札へ辿り着ける方法を思いついた」

「ほんと?」

 彩音の顔が明るくなる。

「俺の背中に密着しろ。俺の真後ろを歩けば、行き交う人は俺を避け、彩音の壁にはならない」

「密着……」

 彩音は微妙な顔をした。

「私とくっつきたいだけじゃないの? 変態」

 心外だ。純度百パーセントの善意からなる行動なのに、変態とはひどい言いようである。

「そんなこと言うなら、置いてくぞ」

 普通にイラっとした俺は、彩音を置いて、改札へ向かおうとした。すると、両肩に重みが加わる。背中には柔らかな圧力と温み。振り返ると、甘い匂いが鼻孔をくすぐる。彩音の顔がすぐそこにあった。

「お、お願いします」

 蚊が鳴くような声で、進行を促す。

 なんだか呆れたような気持ちになる。もう少し素直になればいいのに。

 思惑は正しく、俺が壁になることで、問題なく改札を通過することができた。

 

学校に到着するなり、俺らは昼食を一緒に食べることを約束して、二手に別れた。彩音は学校を探検したいそうだ。

 教室へ着き、自分の席に座ると、無意識に「ふぅ」とため息が漏れた。まだ授業も始まっていないのに、なんだか疲れた。

「朝なのに、もう疲労困憊、って感じだね。寝不足?」

 机に突っ伏していると、晴樹に話しかけられた。

「駅で困っている人を助けたら、疲れた」

「へぇ。それは良き行いをしたね!」

 なぜか、晴樹のテンションは高くなった。

 それから、朝のHRまで晴樹と毒にも薬にもならぬ会話をした。晴樹には悪いが、俺の意識は別のところにあった。

 彩音は自分を認知してくれる人間を見つけ出しているだろうか。


 つまらないほどに、何事もなく、昼休みを迎えた。

 いつも昼食を一緒にしている奴らに一言断りをいれてから、玄関へと向かう。彩音とはそこで落ち合う約束だった。玄関に辿り着くまで、彩音が迷子になっていないか不安だったが、彩音は何事もなく、玄関で待っていた。

 彩音と合流してから、人が滅多に寄り付かない階段の踊り場へと向かう。日が当たらない薄暗い場所。少し埃っぽくて、昼食を食べるには微妙な場所である。

「人が寄り付かない場所なら、屋上とかがよかったんじゃないの?」

 彩音は不服そうな顔をして、弁当箱を開ける。

「気軽に屋上の出入りができる学校なんて、滅多にないんだよ。屋上での昼食は、フィクションなんだ」

 漫画やアニメ、ドラマや映画、屋上で弁当を広げているシーンは、よく目にする。だが、現実の高校では、大抵が屋上の出入りが禁止されている。うちの学校も例外ではない。

「高校に入学する前は、屋上で弁当を食べるのに憧れてたけど、実際は無理。常時鍵が閉まっている」

「鍵を盗めばいいじゃない」

 彩音は平然とした顔で、犯罪行為を勧めてくる。

「屋上でご飯を食べる程度に、そこまでのリスクを負いたくない」

「でも、憧れていたんでしょ?」

「盗むほどのことでもない。というか、鍵の場所も知らないしな。多分、職員室のどこかにあるんだろうけど」

「ふぅん」

 彩音は卵焼きを頬張る。

 会話に間があいたので、俺は別の話題を振った。

「彩音を認知できる人間はいたか?」

「…………」

 返答はなかった。暗い表情から、駄目だったことを察する。

 彩音を認知するには、彩音を知っていないといけないらしい。ならば、可能性があるとすれば、この学校に一人しかいない。

「詩織なら、お前を認知できるかもしれない」

「ほんと?」

「詩織は、お前が主人公のあらすじを読んでいる。きっと、詩織の目には彩音の姿が映る」

 彩音の瞳に期待の炎が宿る。

「ふふふ」

 彩音はただ単純に嬉しそうに笑った。


 放課後。

 図書室の開き戸の前で、俺と彩音は並んで佇んでいた。

「早く開けなさいよ」

 強気を装っているつもりだろうが、緊張で顔はこわばっていた。

「行くぞ」

 引き戸を開けて、図書室へと入り、奥へと進む。彩音は俺の一歩後ろを歩く。

 詩織は奥のスペースで、いつもと同じように文庫本を読んでいた。視線は活字へと落ちている。こちらには気づいていない。

「今日も来たぞ」

 俺が声をかけると、詩織の視線がゆっくりと上がる。

「どうも、こんにちは」

 大きな黒い瞳が俺を中心に捉える。

「さて、今日は物語の作り方について話しましょうか」

 詩織は文庫本をパタンと閉じると、鞄からノートを取り出した。どうやらそれは、説明するのに必要なノートらしい。だが、現在、重要なのはそんなことではない。

「なあ、なんか変わったことはないか?」

「はい?」

「ほら、な?」

 キョトンとした詩織の顔。切迫感に似た焦りが込み上げてくる。

 詩織は何かを探るように、俺を凝視する。

 その視線が隣に立つ彩音に移動する気配は微塵もない。

「髪を切ったとか、眉毛を整えたとか、ですか?」

 それが決定的な言葉となった。それを合図に、彩音は教室から走って出て行った。駆ける足音が静かな図書室内に響いていたのに、部屋にいる誰もが、なんの反応もしない。

「悪い。急用ができた!」

「はい? どういう――」

 詩織の疑問を無視して、彩音を走って追いかけた。


 玄関で、彩音に追いついた。

 彩音は体力がないらしく、スタミナ切れを起こして玄関で立ち止まった。

 追いつくのは容易かった。彼女は足が遅かった。抜こうと思えば、すぐにでも抜けた。そうしなかったのは、彼女にかけるべき言葉を持ち合わせていなかったからだ。

 唯一の期待を絶たれた彩音のショックはでかい。生半可な言葉を与えるべきではない。それこそ急所を打ちぬくような、画期的な励ましの言葉が必要だが、適切な言葉が浮かんでこない。

 ――元気出せよ。まだ可能性はあるさ。

 ――俺が小説を完成させて、みんなから見えるようにするから、安心してくれ。

 ――誰にも見えないからって、お前が存在していないわけじゃない。

 どれも薄っぺらく軽い。絶望の底に手を伸ばす言葉にしては、あまりにも頼りない。だから、俺は、肩で息をする彩音の背中に対し、ただ黙って佇んでいることしかできなかった。

「ボーっと立ち止まって、どうしたんだい?」

 暗い雰囲気にそぐわない明瞭な声がした。

「……晴樹」

 俺の顔を見るなり、晴樹はギョッとした顔で駆け寄ってきた。

「どうしたんだい? 具合でも悪いのかい?」

 邦画の俳優がするような、大きなリアクション。心配してくれるのはありがたいが、場違いな晴樹の雰囲気がどこか鬱陶しい。場を見て、言動してほしい、と心で願うが、彩音の姿が見えていない彼にそれは無理だろう。

「いや、別に、なんでもねえよ」

 俺がぶっきらぼうに答えたのにもかかわらず、晴樹はホッと胸をなでおろした。

「なら、よかった。で、一つ聞きたいんだけど……」

 晴樹は整った顔を近づけて、声を潜めた。

「あの女の人、誰?」

「女の人? どこに?」

「何を言っているんだい。そこにいるじゃないか」

 晴樹が視線で指した。その先には、彩音が居た。

「もしかして、その女の人って、縦セーターとデニムの女性?」

「う、うん」

「お前! こいつが見えているのか?」

 俺が声を弾ませたから、彩音が反応して、振り返る。

 晴樹は混乱していた。見える見えないで、謎に喜ぶ俺。女性の正体は不明。そりゃ頭の中は「ハテナ」でいっぱいになるだろう。

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