第9話

「やはり、先輩の書いてきた『あらすじ』はめちゃめちゃ駄目ですね」

 放課後の図書室で、俺が書いた懇親のあらすじを詩織に一蹴される。淡々としたハッキリとした口調には慣れてきたが、それでもイラっとする。

「え、どこが?」

「この『あらすじ』からは先輩の心が見えてこないのです」

「心? ッは、精神論かよ」

 俺が半笑いで茶化しても、詩織の表情は岩のように変わらない。

「心という表現が嫌なら、別の言い方もできます。テーマやメッセージ性。物語の芯となる部分がまるで伝わらない」

 彼女の感想に納得がいかない。

 俺が書いてきたあらすじは、こうだ。

 

 主人公、三守彩音は高校二年生。元気でクラスの中心的人物。そんな彼女を難病が襲う。残念なことに余命二か月を宣告される。絶望する彩音。もう、生きていたくないと考えた彼女は屋上から飛び降りようとする。しかし、直前で同じクラスの男子に助けられる。

 彩音は、自殺を止めた男子を非難した。だが、交流を深めるほどに、互いの距離は縮まり、果てに恋人同士になる。

 しかし、彩音の寿命は残り少ない。

 彩音の体は日が経つに連れ、衰弱していき、ついにはベッドから動くことができなくなる。

 そして、ついに、彩音は死んでしまう。

 悲しみに絶望する男子、だが、彩音から生きる勇気をもらい、前を向く。

 

「生きることの尊さを描いた恋愛ストーリー。まさに王道。拙い出来かもしれないが、テーマやメッセージ性はハッキリしているだろ」

「いえ、まるで中身がスカスカです。このあらすじからは、生きることの尊さがまるで感じられません。人気作の上辺だけを丸パクリした印象しか受けません」

「でも、詩織ちゃん言ったじゃないか。世の中の作品は必ず何かしらに影響されているって」

「確かに言いましたが、パクリとは違います。作品の本質的な部分を見抜き、自分の作品へと活かすことを影響された、と言うのです」

 納得いかない。何が違うというのだろうか。

「先輩の書いたこのヒロイン、余命僅かだと知って、どうして自殺に走るのですか? 残り少ない命を、さらに短くするのはおかしくないですか?」

 ギクリとする。言われて初めて気づく矛盾点。

「それに、クラスの男子とは、どのようにして心の距離を縮めていくのですか?」

「そりゃ、デートとか……会話とか?」

 言いよどむ。正直そこまで考えていなかった。

「では、問いますが、それって面白いですか?」

「…………」

 言葉を失う。

 赤の他人のデートを覗き見たり、会話を聞いて、面白いはずがない。

「難病もの、という着眼点は間違っていないと思います。昔からある典型的な物語、王道です。しかし、それ故難しいのです。最終的に死別する男女二人の関係が尊くかけがえのないものであればあるほど、儚く美しい物語へと昇華します。それなのに、二人の関係性を築く過程が薄すぎます。それに、命を扱うにしては、あまりにも内容が軽薄すぎます。きっと、病名も決めていないのでしょう。文章から『命の尊さを伝えたい』という意思がまるで感じないのです。以上の理由から、先輩の『あらすじ』はめちゃめちゃ駄目です」

 むかーッと頭に血が上る。ボロクソに言われて、目の前がクラクラする。感情に任せて反論したい衝動に襲われるが、我慢する。なぜなら、心の正直な部分が詩織の指摘を正しいと認めているからだ。詩織の発言はムカつく。だが、間違ってはいない。彼女に従っていれば、いい作品ができる。そんな気がした。

「じゃあ、どうすれば駄目じゃなくなる」

 詩織は「そうですね」と数秒考えてから答える。

「『芯』を決めてから、『あらすじ』を考えてみてはどうでしょう?」

「芯……」

 さっきの詩織の指摘から察するに、「芯」とは「物語に込める伝えたい事柄」のことなのだろう。だが、そんなけったいな思想を俺は持ち合わせていない。

「先輩、アイデンテティを『芯』にすればいいのです。アイデンテティという言葉を知っていますか?」

「馬鹿にするな。自分らしさ、って意味だろ」

「その通りです。世界広しと言えど、自分という存在は、自分だけ。ゆえに、アイデンテティを物語に込めれば、唯一無二の作品が必然的に出来上がるのです」

「俺らしさ、ねぇ……」

 己が何で形成されているのか、日ごろから意識していないだけに、考えてもすぐに答えは出てこない。

「そんなに難しく考えなくても大丈夫ですよ。好きなもの、興味のある物事とか、そんなありきたりなものでも構いませんよ」

 考えてみる。自分の好きなこと、興味がある物事。

 だが、暗闇だった。まっくらな洞窟を覗き見たように、なにも見えなかった。

 あらゆる分野に挑戦してきた。それなのに、俺の中にはなにも残ってなかった。

 俺は辟易とする。

 自分を見つめなおすたびに、空っぽであることを痛感する。

「ない。俺の中には、なにもない」

 口に出すと、惨めで泣きたくなるような気分になる。

「いえ、それはありえません」

「でも、好きなものなんて、思いつかねえぞ?」

「先輩はこれまで17年の人生を歩み、過去を積み重ねてきました。そんな長い旅路を経たのに、空っぽであることは、ありえないのです」

「しかし――」

「プラスな気持ちではなく、逆に、マイナスな感情は持っていないのですか? 妬み、悩み、抱えている問題。そういった気持ちはありませんか?」

「妬み、悩み、自分の問題」

 詩織の言葉を復唱して、思考を巡らせてみる。先ほどよりも幾ばくか手ごたえを感じた。

 些細ではあるが前進した感じがする。

「『芯』となるものが、見えましたか?」

 その言葉は、俺の耳には届かなかった。

 アイデンテティを掴むため、己の内へと手を伸ばすことに集中していたからだ。

机の上にはノートが広げてある。小説用のノート。映画を観ての感想。小説を読んで、わからなかった単語。使えそうな比喩表現のメモ。そして、自分が小説を書くにあたって、設定やアイデアが書かれている。ざっくばらんな使用方法だが、とにかく、小説用のノートだ。

白紙のページを開く。

 そこに、自分の気持ちを書いていく。黒い感情を整理するため、過ぎ去っていく感覚を文字として、ノートに書いていく。

 よくよく心を観察してみると、心とは、多種多様な要素が禍々しく渦巻いている。それらの境目は曖昧で、闇鍋状態だ。それらは泥のような手触りをしている。ノートにまとめていくことで、つかみどころのない感情を整理して、物語へと落とし込む要素を探していく。

 自分とは何か。

 自分を形成するものは何か。

 手当たり次第にノートに書いてく。白紙だったノートは徐々に黒く埋まっていく。

 それらから導き出す、己が書きたい物語。

「――ぱい、先輩」

 耳を温かいそよ風が撫でた。こそばゆい右側を見てみると、視界いっぱいに詩織の顔があった。顔を少し傾けるだけで唇が触れ合うような距離。俺は驚いて、のけぞる。

「びっくりした! なんだよ急に!」

「下校時間です。帰りましょう」

「え……?」

 辺りを見てみる。ついさっきまで夕焼けによって赤く染められていた図書室は、知らぬ間に、青白い蛍光灯に照らされていた。窓の外は暗い。日はすっかり落ちていた。

 俺はどうやら時間があっという間にすぎるほどに、没頭していたらしい。現状を把握した俺は、ノートに視線を落とす。ギョッとした。白紙だったノートが蟻の巣みたいにうじゃうじゃとアイデアの箇条書きに染められていたからだ。そこには物語の芯を掴むために足掻く俺の試行錯誤が刻まれていた。

 集中していたことを自覚すると、ドッと疲れが押し寄せてくる。頭と肩が重くなる。

「俺、疲れたから五分くらい休んでくわ」

 俺は手をひらひらと振る。口には出さなかったが「だから、先に帰ってくれ」という意味合いを込めて言った。そもそも詩織は俺のことが嫌いだろうし、肩を並べて一緒に帰るのは、いささか不愉快だろう、という俺なりに気遣いであった。しかし、俺が休むために机に突っ伏しても、詩織が帰る気配がまるでない。

 俺は「帰らないの?」と顔を上げる。詩織は銅像のように直立不動で立ち続けている。

「一緒に帰らないのですか?」

 無表情で放たれる奇襲攻撃。年上好きの俺でも、不本意ながらドキリとしてしまった。

 時間を忘れるほどの没頭。俺の脳は衰弱しきっており、身体は重い。今すぐに帰路を辿るのは、しんどい。

 しかしながら、暗くなった夜道を女子高生一人で歩かせるのは、危険だ。俺は立ち上がる。やはり、身体は鉛のように重い。重力の存在を強く感じる。

「うし、帰ろう」

 疲れを詩織に見せぬよう、無理をしていた。それほど朴念仁の詩織が「一緒に帰ろう」と言ってくれるのは、正直嬉しかったのだ。これがいわゆるギャップの効果なのだろう。

「はい」

 そう返事をした詩織の表情は、無。やはり心中が読めなかった。


 5月末の夜は、肌寒かった。狼狽して火照った脳には、その涼しさが心地よかった。現時点で夏の気配はまだ感じられない。

 俺と詩織は並んで歩く。学校を出発してから数分ほど経つが、いまのところ、会話はない。気まずさはとくにないが、なんとなく、のつもりで話題を振ってみた。

「詩織ちゃんは、小説、好き?」

 口から出た質問は、あまりにも安直だった。

 タイヤがアスファルトをこする音が背後から迫ってくる。ヘッドライトが詩織を照らして、過ぎ去っていく。一瞬だけ浮き彫りになった詩織の横顔は、見慣れた無の表情だった。

 「もちろん好きです。それ以上です。己の存在を証明するために小説は不可欠です」

 思った以上に重い答えが返ってきた。返事に困った俺は「そ、そう」と曖昧な相づちを打つ。

 彼女の考えは、シンプルだ。小説至上主義。

 思考回路はわかりやすいが、精神構造はまるで謎だ。

 ――この世界は物語で、その中心が私なのです

 思い返せば、思い返すほど、荒唐無稽で珍妙な言葉だ。

 彼女は本気で言っていた。どうやら、詩織は主人公だから小説を書いているらしいが、過去になにがあったのか、発言から想像するのは難しい。

「いたっ!」

 少し頭を働かせただけで、狼狽した脳が悲鳴を上げる。

「普段から頭を働かせていない証拠ですね。日ごろから脳を鍛えておかないと、老後ボケてしまいますよ」

「心配してくれても、いいんじゃない?」

「ここ、大丈夫ですか?」

 詩織は人差し指で自分のこめかみをトントンと叩く。それでは心配ではなく、煽りだ。

「っつ……」

 イラっとしたら、再び頭がズキリと痛む。

「結構ひどそうですね」

「……大丈夫」

 反射的に発したその言葉は自分が思う以上に弱々しかった。

「私の家で休みますか?」

「え?」

「ここです」

 詩織は立ち止まる。彼女が指さす先にはマンションのロビーがあった。

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