第8話

翌週の月曜日。放課後。図書室にて第一回小説教室が行われた。

「小説教室を始めるまえに、一つ質問したいのですが、先輩はどのような小説を書きたいのですか?」

「え?」

 いきなり難問が飛び込んできた。強いていうなら――

「面白くて売れる小説」

「…………そうではなく、いや、目指すところはそうなのでしょうが、どのような物語を述べてほしいです」

それを思いつけないから困っているのに、問われても困る。

「書きたい物語なんてない。そもそも、その書き方や考え方を教えてくれるんじゃないのか?」

 詩織の眉がピクリと跳ねる。

「書きたい物語がないのに、先輩は、小説を書きたいのですか?」

「あ、ああ……」

 詩織の声に、困惑と怒りの色が混じる。どうやら、書きたい物語とやらを持たずに小説を書こうとするのは、おこがましい行いらしい。

「先輩はどうして小説を書こうと考えたのですか?」

「そりゃ小説家になるためだ」

 無表情がデフォの詩織の顔が微かに歪む。

「なぜ、小説家を?」

 これを言ってしまえば、俺と詩織の仲に亀裂が入るかもしれない。だが、この場を誤魔化すためだけの嘘を咄嗟に思いつけなかった。正直に本心を話すことにした。

「小説家になって、特別な存在に至るためだ」

「特別な存在?」

 声が低くなったから、彼女の怒りがさらに色濃くなったような気がした。

 そりゃそうだろうな。詩織にとって、小説家という存在は、ある種のゴールであり、はるか高みにいる高貴な存在だろう。彼女がめちゃめちゃ書いて、読んで、鍛錬を繰り返しているのは、その小説家になるためだ。それなのに、ずぶの素人である俺が、特別に至るという不純な動機で、小説家を目指す、なんて言えば、怒りを覚えて当然だ。

 中学時代を思い出す。先輩ボーカルの発言。

――――俺らが本気でぶつかっていることを、手段に使うなよ。

 詩織も同じようなことを言うのだろう。俺はそう予想した。

「なるほど、特別な存在、ですか」

 しかし、意外にも詩織は俺の言葉を受け止めるようにコクリと頷いた。

「それは例えば、己を中心として世界が廻るような、主人公みたいな存在ですか?」

 主人公。当たらずも遠からず、ってところだ。大多数から注目を浴びるような特別を目指しているわけで、唯一無二になりたいわけではない。

「まあ、だいたいそんな感じかな」

 否定するほど遠くないので、とりあえず同意した。

「私が小説家を志す理由も、先輩と似ています」

「え、そうなの?」

「先輩が『特別を目指すために、小説家になる』であるなら、私は『特別だから、小説家を目指す』でしょうか」

 乾いた笑いが口から洩れる。

「ッは、自分には小説の才能があるから、特別てか」

「いえ、そうではありません」

「じゃあ、なんで自分は特別だと言い張れる」

「私は、主人公なのです」

「……は?」

「この世界は物語で、その中心が私なのです」

 あまりにも荒唐無稽な発言に思考が停止する。

「ハ、ハハ」混乱しながらも無理やり笑う。「詩織ちゃんも冗談を言うんだな」

「冗談ではないです」

「うん……」

 俺はなんだか怖くなってきた。詩織の言う通り、彼女の目は本気だった。

 ゲームをプレイしすぎると、現実とバーチャルとの区別がなくなるなんて話を聞いたことがあるが、詩織の場合、小説の世界に浸りすぎて、現実と物語の区別が分からなくなっているのかもしれない。これ以上この話を深掘りする勇気は俺にはない。

「話を本題に戻そうぜ」強引に話の流れを小説教室へと戻す。

「恥ずかしながら、俺には書きたい物語はないよ。物語を考えようにも、なにもでてこない」

「なるほど」詩織は自分の顎を撫でながら、視線を落として、しばらく熟考。

 数秒後、「わかりました」と視線上げる。

「まず初めに、小説を完成させるまでの工程を説明しましょうか」

どうやら何から説明しようか悩んでいたらしい。

「まず、『あらすじ』を考えます。始まりから結末まで、細かい描写を抜いたストーリーの全貌を決めます。それから『プロット』、物語で起こる出来事をすべて具体化して、デティールをさらに細かくしていきます。そして、『初稿』。登場人物の心情や言動を小説の文体に落とし込んでいきます。この段階で、いわゆる小説の形にはなりますね。そこから添削を繰り返し、完成度を極限までに高めて、完成です」

 一気に語られた小説の作り方。二割程度も理解できなかった。

「まず、先輩には『あらすじ』を考えてもらいます」

「え、いきなりか⁉」

「なにか不服ですか?」

「もっと、こう、段階を踏むべきなんじゃないのか? なんというか、基本、みたいな?」

「先輩の言うことはわかります。基本は大事です。ですが、基本を覚えてから、書く、では膨大な時間を浪費するくせに、得られる効果は薄いのです。なぜなら、基本となるものが多すぎるからです。『文章の基本』『文体の基本』『キャラ造形の基本』『ストーリーの基本』などなど、基本を覚えている間に高校生活が終わってしまいます。小説の上達法は二つ。書くと読む。それ以外にはありません。読書と執筆を通して、成長するのが、最短ルートなのです」

 見かけによらず、詩織は意外とスパルタなのかもしれない。

「そうは言っても、『あらすじ』なんてどう考えていいのかわからねぇよ」

「安心してください。考えるコツくらいは教えます」

「そう! そのコツが聞きたかったんだ」

「困ったときは、好きな作品を参考にすればいいのです。先輩は好きな物語と聞いて、何を最初に思い浮かびますか? 小説でなくとも、アニメ、漫画、映画、なんでもいいですよ」

「…………」

 頭が空っぽになる。該当するものが、俺の中にない。

「もし、一つに絞るのが難しいのなら、ジャンルでも構いませんよ」

「…………」

 答えは一緒。沈黙だ。

 なんというか、自分に落胆してしまう。これまで、生きてきて、人並みに物語には触れてきた。にもかかわらず、俺の中に残っているものが何一つないのだ。自分がいかに空っぽな人間なのか、痛感する。

「もしかして、それすらもないのですか?」

 詩織は驚愕する。俺は恥ずかしい気持ちを抱えながら、なんとコクリと頷く。

「……まあ、いいでしょう。好きな作品、ジャンルは今から見つけていきましょう。なんというか、先輩は、小説教室を開く以前の段階かもしれません」

 抑揚のない詩織の言葉は、鋭利な刃物と同義だ。心にグサグサと刺さり、精神的ダメージが蓄積していく。

「……はい」

 死にたい、と思った。


 それから俺は物語の摂取に努めた。

 学校から帰る途中、毎日必ずレンタルショップに立ち寄り、映画のDVDを借りる。帰ったあと、彩音の作った晩御飯を食べてから風呂に入り、彩音と二人、ソファに横並びで座って、借りてきた映画を見る。そして、見終わったあとに、感想を言い合う。それが帰宅後のルーティンとなった。彩音はどの映画を見ても、本当に心の底から感動して、泣く。

 ラブロマンスでも、コメディでも、サスペンスでも、ホラーでも、何を見ても泣く。

 毎日欠かさず映画を見ていると、たまにハズレを引く。いわゆるクソ映画ってやつだ。この世には信じられないほど面白くない映画が存在する。そういう映画は「時間を無駄にした」以上の感想が出てこない。そんな感想を共有しようと、横を見ると、彩音は感動して泣いている。おそらく、物語なら、なんでもいいのかもしれない。仮に桃太郎を読み聞かせたとしても、感動して泣くだろう。

 映画だけでなく、小説を読む習慣も作った。こっちは一日20ページのペース。カメの歩行スピード並みの遅さだ。普段から活字を読まないので、小説にはどうしても抵抗感がある。読書をしていると、強烈な眠気に襲われる。思った以上に読書が苦手らしい。気持ちは読みたいのに、体が拒否する。それでも、苦い薬を飲むような気持ちで、読書する。読まなければ、文章表現が身につかない。己の語彙数を増やせない。

 好きこそ物の上手なれ。

 俺は、読書が嫌いだ。

 物語に対し、特別な感情もない。

 それらの要因から察するに、俺に小説の才能はない。

 いつもなら、見限る段階だ。続けても、報われる見込みはない。

 だけども、今回はいつもと違う。

 彩音がいる。

 俺が小説を書かなければ、彼女の存在は確立しない。

 俺が小説を完成させなければ、彼女に未来も過去も生まれない。

 俺が何もしなければ、「死ぬ」どころか「生きる」にも到達せず、空虚なまま終わってしまう。

 流石にそれはかわいそうだ。

 彼女と出会って、約一ヵ月経った。それなりの情は芽生えている。


「一ヵ月。飽き性の響くんにしては、そこそこ続いているね」

 休み時間に自分の席で小説を読んでいたら、声が降ってきた。顔を上げると、晴樹が白い歯を見せていた。

「執筆活動は順調かい?」

 俺は首を横に振る。

「ぜんぜん駄目。とりあえず今は、物語の仕組みを理解するのに精いっぱいで、小説を完成させるなんて、エベレストを登頂するくらい無謀に思える」

「お、比喩表現!」

「…………とりあえず、現時点でハッキリわかるのは、俺に小説の才能がないってことだ。続けたところで大成はありえないね」

 晴樹は「ほう」と軽く驚く。

「でも、続けるのかい?」

 彼の表情は、子供の成長を目の当たりにした親のようだった。同級生にされて、嬉しい表情ではない。見下されているようで、癇に障る。

「ついに、見つけたんだね。やりたいこと」

 言い終わると同時に、ちょうどいいタイミングでチャイムが鳴る。晴樹は自分の席へと戻っていく。俺は心の中で晴樹の言葉に反論する。

 決して、小説なんかやりたいことではない。

 やらなきゃいけないから、やってるだけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る