第7話
「確認しました」
彼女はノートパソコンへ落としていた視線を上げ、真っすぐ俺を見つめてきた。
「たしかに、本の内容すべて、こちらに書かれています。お疲れ様です」
期日より二日早く小説の模写を完遂した。そのテキストファイルをUSBに入れて持ってきた。彼女のノートパソコンに差し込んで、たった今、確認してもらったのだ。
場所は図書室。時間は放課後。
「正直、驚きました」
「何が?」
「模写と聞いたとき、先輩はかなり苦い顔をされていました。その印象から、先輩は間違いなく途中で投げ出すと考えていました。しかし、先輩は私の予想を覆し、見事やり遂げました。お見事です」
「無表情、なおかつ抑揚のない声で褒められても、まったくもって嬉しくない」
詩織は無表情で首を傾げ、己の頬をこねるように手のひらでほぐす。もしかして、表情に乏しい自覚がないのか?
「とりあえず、これで小説の書き方を教えてくれるんだな」
「はい。約束ですので。ですが、本当に私が先生でよろしいのでしょうか?」
いつになく弱気な発言に俺は戸惑う。
「どうした急に。詩織ちゃんはめちゃめちゃ小説を書くし、めちゃめちゃ読むんだろ。俺の周りにそんな人間は他にはいない。どう考えても適任だろ」
「先輩は私の小説を読んだことがないじゃないですか。実力も知らずに教わってもよいのですか。いえ、よくはありません。……ということで」
詩織はおもむろに、足元に置いていた鞄を膝の上に乗っける。チャックを開けて、中から紙の束を取り出すと、ドサリ、と机の上に置いた。A4用紙の束。角には洗濯ばさみみたいな大きいクリップが挟まれており、それが何十枚もあるだろう紙の束を一つにまとめてくれている。紙は蟻のような細かい文字で埋め尽くされている。縦に並ぶその文字の配列により、それが何か、一目でわかった。
「これは、私が書いた小説です。先輩に、ぜひ読んでほしいのです」
面倒くさい。詩織の言葉を聞いて、率直に俺はそう思った。普段から、活字を読む習慣がないのに、素人の書いたそれを読もうとは思えなかった。
だがしかし、ここで断れば心象を悪くする恐れがある。その影響でテキトーな指導を行われても困る。ここは快く承諾するのが無難だろう。
「わかった。読んでおくよ」
「ちなみに一つ言っておきますと、先日そちらの小説を新人賞へ応募したのですが、二次審査で落選しました。その小説は、その程度の作品です」
なるほど。だからいつになく弱々しいのか。
小説が入選しなかったから、自信を喪失し、落ち込んでいるのだ。しかも、二次審査落ち。
小説の新人賞については、ネットで調べた。
賞によっては違うが、基本的にアマチュア小説家から、未発表の作品を募る。大手の新人賞だと約4000作品が一堂に集結する。選考を重ねていくごとに優秀な作品が残っていく。いわば、バトルロワイアルだ。賞によって数は異なるが、何度か選考を重ね、最終的に受賞する作品は両手で数えれる程度。受賞作は書籍化され売られる。つまり、アマチュアからプロへと昇華するのだ。
詩織は「二次審査で落選した」と言った。つまり、一次審査を通過したが、その次の二次審査で残念ながら他の作品よりも明らかに劣っていると判断されたのだ。トーナメントで言うなら、二回戦落ち。決勝へは行かずとも、せめて準々決勝へと勝ち上がれたなら、多少なりと胸を張れるだろうが、二回戦落ちでは己を不甲斐なく思うのは当然だろう。
どうやら俺は詩織を過大評価していたのかもしれない。
彼女の自信あふれる言動から、少なく見積もって最終選考まで残るほどの実力を持っていると予想していたが、蓋を開けてみれば遥かにしょぼい実力。彼女の言う通り、詩織は小説の先生にするのは、間違っているのかもしれない。そんな実力の人間から教わっても、実りは少なそうだ。
「私の実力を知って、考えが変わったのではないですか?」
「…………」
詩織は鋭かった。心中を読み取ろうと、凝視してくる。俺は動揺を隠すべく、平静を装う。
詩織が未熟とはいえ、詩織以外に身近な小説家を俺は知らない。だからと言って、ほとんど予備知識のない小説を独学で学ぶのは非効率だ。それなら、まだ詩織に教えてもらった方がいい。つまり、詩織に先生になってもらうしか、選択肢はないのだ。
「いや、詩織ちゃんが適任だ。その気持ちがより強くなったよ」
彼女から教わるのなら、好かれた方が好都合だ。ということで、俺は彼女が言われて救われるようなことをつらつらと述べることにした。
「二次審査で落ちたってことは、一次審査は受かったってことだろ。賞には届かなかっただろうけど、ある程度の実力は保証されてるってことじゃないか」
「それは、そうですが……」
何か反論しようとする詩織を遮るように、俺は言葉を続ける。
「まず第一に小説を完成させることが凄い。模写をしてみて、それが身に染みたよ。小説を書けて、その作品がある程度評価されている人間なんて、少なくともこの学校にはいないだろうよ。大人を含めてな。だからこそ、俺には詩織ちゃんしかいないんだ」
なるだけ、声に力を入れて、熱を装う。詩織の心を揺さぶるためだ。
「この世界、大半の人間は己のセンスを他人が創ったもので表現する。他人がデザインした服を着飾り、他人が創った楽曲をカラオケで歌い、餌を貰う豚の立場のくせして、流行り廃りを理由に表現者の上にいると勘違いしている。それが一般的な感覚だ。大半の人間がそんな楽な立場でいるのに、詩織ちゃんはオリジナルで、自分を表現している。大多数ができないことをやっている。立派じゃないか」
「…………ありがとうございます」
無表情。石壁と会話している気分だ。熱弁したのにも関わらず、まるで手ごたえがない。空回りしたような気分になる。
「とにかく、詩織ちゃんの代わりは居ないってことだよ。だから、頼む。先生になってほしい」
俺は頭を下げる。つむじの先で詩織が頷く気配がした。
「わかりました。約束もしていましたし、承ります」
「ありがとう」
低頭から上げた顔が自然とほころぶ。第一関門突破だ。
「とは言っても、小説を教えることが初めてなので、準備期間をください。来週の月曜日には教える内容をまとめてきます。その日から小説教室を始めましょうか」
「ああ、頼むよ」
「では、これをどうぞ」
彼女がこちらへ差し出したのは、彼女自身が書いた二次審査落ちの小説。鞄に入れると、いかにもかさばりそうなA4用紙の束だ。
「読んだら、ぜひ感想を聞かせてください」
「ああ」
俺は快く承諾したフリをする。
素人の二次審査落ちの小説を読むくらいなら、同じ時間を費やして一流の作品を読む。
「うわ、なにこれ」
リビングにて、彩音は、ドサリと机に置かれた紙の束を見て、目を丸くさせた。
「詩織ちゃんの小説」と言った直後、彩音が詩織を知らないことに気付く。補足説明を加えようとした矢先「ああ、詩織ちゃんの」と知った風な口ぶりが聞こえた。
「お前、詩織ちゃんと面識ないだろ」
俺が半笑いで返すと彩音は「知ってるわよ」と言いながら、詩織の小説を手に取った。
「本屋で出会った後輩の女の子でしょ。結局、小説は教えてもらえることになったの?」
「今日、正式に先生になってもらえた」と質問に答えつつ「どうしてお前が詩織ちゃんを知っている?」と己の疑問をぶつけた。
「私はあなたの内から生まれた存在よ。あなたの体験してきたことは大体知ってる。女性の好みとかもね。黒髪のお姉さん系が好きでしょ?」
「いいよ、言わなくて」
「それにしても」彩音は手に持っている小説に視線を落とす。ハラリとページをめくり軽く中身を確認する。
「すごい文字数ね。何文字あるの?」
「数えていないけど、約10万文字とかじゃないか。長編小説の長さがそれぐらいらしいし」
「響、本当にこれだけの文章を書けるの?」
ギクリとした気分になる。
「書けるさ」
根拠のない強がりだった。実際のところ俺は不安を抱えていた。約10万文字の言葉を己の内から生み出せる自信がなかった。
「お前、家にずっといて時間が持てあましているだろ。俺の代わりに読んでおいてくれよ」
彩音は顔をしかめる。
「アンタは読まないの?」
「そんなアマチュア小説に費やす時間はない。俺は手っ取り早くこれを見る」
俺は鞄からあるものを取り出し、彩音に見せる。
「レンタルDVDじゃない。小説書くのに、映画を見るの?」
――物語をたくさん接種してください。
詩織が先生になることを承諾してくれたあと、ある助言をしてくれた。
「物語を書くには、物語を知らなければ話になりません。だから、これからは物語をたくさん接種してください」
「でも、それじゃあ、既存の作品に影響されて、独創的なストーリーを書けなくなるんじゃ……」
「それは大きな間違いです。この世に0から作られた完全オリジナルの物語なんて、存在しません。物語には普遍的な構造があります。斬新だとか画期的と言われている作品も例外ではありません。たくさん接種して、その構造を身体で理解してください」
「物語の構造……本当にそんなものがあるのか?」
「先輩がいまいちピンとこないのは、物語の摂取量が圧倒的に足りないからです。小説じゃなくともどんな媒体でも構いません。映画、ドラマ、アニメ、漫画、あらゆる物語が世の中に溢れています。アンテナを広げ、それらをかき集め、蓄え、たくさん物語を摂取するように努めてください」
ということで、俺は帰りにレンタルショップへ立ち寄った。映画なら二時間程度で一つ物語が完結する。他の媒体と比べ、圧倒的に早く摂取できる。
古今東西、あらゆる映画が並ぶ棚を眺め、自分がいかに映画を見てこなかったのかを痛感する。名前を知っている作品はあれど、視聴済みの映画はあまりにも少ない。
それにしても、世の中にある映画の多さに驚く。夜空に浮かぶ星空よりも多いのではないだろうか。ここまで選択肢が多いと、逆に何を借りればいいのかわからなくなる。
「とりあえずこれにしようか」と手に取ったのは、漫画原作の邦画だ。あらすじを見る限り、今の自分にとってそれはぴったりの内容だった。
「私、映画を見るの初めて!」
夕食後、俺がDVDプレイヤーにディスクをセットしていると、彩音は弾んだ声でそう言った。振り返って、彼女の顔を見ると、新しいおもちゃを手に入れた子供のように目を輝かせていた。
「そんなに楽しみか?」
「初めての体験よ。ワクワクして当然よ」
「俺は映画を見たことがある。だったら、俺の体験を共有しているお前は、映画を見たことにならないか?」
「うっさいわね。傍観と実体験じゃレベルが違うでしょ」
あまり納得できない論理だったが、深堀するほどの話題でもないので、テキトーに「なるほどな」と納得した。
ワクワクしている彩音に対して、俺の心の動きは小さかった。抑揚のない気持ちでリモコンの再生ボタンを押す。配給会社が画面にでかでかと表示される。映画が始まった。
内容は高校生二人がコンビを組んで、漫画家を目指す話。
これから小説家を目指す自分にとって、ピッタリの内容だ。
目標に向かって進む二人はとても充実してるように見えた。
「物語を摂取するときは、自分の心の動きに敏感になってください。そして、なぜそうなるのか、解析してください」
詩織はそんなこと言っていたが、無理だった。
物語にのめり込んでしまって、分析するどころではない。序盤で既に、物語の世界にドップリハマってしまう。役者が演じる登場人物たちに息吹を感じ、画面内の内容が実際に起こっている出来事だと錯覚してしまう。エンドロールが流れて、心地よい余韻に浸る。
面白かった。
それ以上の感想を抱けなかった。心は充実感に満たされて、物語の構造なんぞ、分析する余裕がなかった。
ふと、隣に座る彩音の横顔を見てみる。
「…………」
俺は軽く驚いてしまう。彼女の目から涙が溢れていた。
「物語っていいね」
彩音はエンドロールが流れる画面から目を逸らさずに、そう呟いた。
そんな哀愁漂う横顔を見せられると、こちらまでしみじみとした気分になる。
彼女には物語がない。
そんな存在しない物語を創るのは俺だ。
映画は面白かった。苦労しながらも熱中して漫画を描く登場人物を見ていると、影響を受けて自分も小説を書きたくなる。だが、よくよく考えてみると、今しがた自分が感動した物語という媒体を自分も作らなければならないのだ。率直に言って、無謀に思える。
体を蝕む不安を振り落とすように、俺はソファから立ち上がる。
「もう寝る。DVDを片付けておいて」
「え、面倒くさ」
「駄目か?」
「……ま、いいけど」
先日、新たに書き加えた設定のおかげで、彩音はぶつくさ言いながらも承諾してくれた。
俺は自室へ向かうと、白紙の新品ノートを机の上に広げた。そして、自分の物語を書くべく、シャーペンを握る。良い悪い関係なく、思いついたアイデアを箇条書きしていこう。
まず彩音が主人公なのは決定事項だ。
・彩音が主人公
よし、そこからアイデアを広げるぞ。
「…………?」
部屋の明かりがふっと消えたかのように、なにも見えなくなる。物語を考えようとすると、いつもこのような状態になる。やはり、物語を構築するためのロジックがあまりにも不足している。詩織から小説の書き方を教わらない限り、前に進めそうにない。
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