#6 undecover-④


 ニコラスは全身をひどく痛めつけられていた。何度も殴られたようで顔は腫れ上がり、頭からは血を流していた。すぐに最寄りの病院に運ばれ、治療を受けた。一命を取り留めたものの、意識はまだ戻っていない。

 容体が落ち着いてから都内の病院に移され、特捜課が交代で見張りをすることになった。課長への報告を済ませると、陣内はニコラスが入院している総合病院へと向かった。時刻は夜の十時。交代の時間だ。

五階の突き当たりにある個室の中でニコラスは眠っていた。頭に巻かれた包帯が痛々しい。肋骨ろっこつも何本か折れていたと聞いた。見張り役を柴原と代わり、陣内は病室のソファに腰かけた。雨は激しさを増し、時折雷鳴がとどろいていた。

 薄暗い部屋の中、心電図のモニターだけが煌々と光っている。規則的なリズムを刻む電子音を聞きながら、陣内は物思いにふけった。


 ――ニコラスの身に、いったい何が起こったのだろうか。


 現場の状況からして、彼が拷問を受けていたことは明らかだ。葛城の話によると、ニコラスはドープ絡みで関東仁龍会の周辺を探っていたという。だとすると、仁龍会の連中に正体を知られ、捕まって尋問されたと考えるのが妥当なのだが、どうにもに落ちなかった。

 眠気に襲われ、陣内は欠伸あくびみ殺した。普段の勤務態度は褒められたものではないが、今夜だけは居眠りするわけにいかない。陣内は病室を出て、廊下の先にある自動販売機で無糖のコーヒーを買った。眠気を覚まそうと一口あおり、来た道を戻ったところで、病室のドアがわずかに開いていることに気付いた。

 才木じゃないが、嫌な予感がした。――ちょっと目を離した隙に。これでニコラスの身に何かあったら始末書どころじゃ済まないだろう。やべえ、と小さく呟き、陣内は病室に駆け込んだ。

暗がりの中に、男がいた。

 窓の外で雷が光り、男のシルエットを照らし出す。男は眠っているニコラスに銃を向けていた。今にも引き金を引こうとしていたが、部屋に飛び込んできた陣内に気付き、標的を変えた。男の銃口がこちらに向く。――直後、控えめな発砲音が響いた。サプレッサーで音を絞っているようだ。

 陣内はすぐさま神経を集中させ、力を発動した。銃口から放たれた弾は三発。まるでスローモーションのように、ゆっくりと陣内の方に向かってくる――ように、陣内の目には見えている。動きを見切って銃弾をすべて避けると、陣内は缶コーヒーを捨ててホルスターから拳銃を抜き、即座に撃ち返した。

 銃弾は相手の銃身に当たり、男は武器を手放した。拾おうと身を屈めた男に、陣内はすばやく距離を詰めた。男の脇腹を一発、思い切り蹴り上げる。勢い余って男が仰向あおむけになったところで、落ちている拳銃をドア付近に蹴り飛ばした。


「――動くな」


 銃を構えたまま、陣内は命じた。男の動きがぴたりと止まる。ゆっくりと両手を上げながら、上体を起こした。

 次の瞬間、落雷があった。辺りがまばゆい光に包まれ、陣内は思わず目をつぶった。その一瞬の隙に、男が反撃を見せた。陣内に勢いよく突進する。男は陣内を壁に押し付けると、拳を顔面に叩き込もうとした。とっさに男の手を掴み、攻撃を防ぐ。

 男はどこからともなく刃物を取り出した。――小型のサバイバルナイフだ。相手がナイフを振り下ろすよりも先に、陣内は発砲した。弾が右足に当たり、男が床に膝をついた。それでもなんとか立ち上がり、陣内に向かってくる。刃物を振り上げる男の手首を掴み、拳銃を持った手でナイフを叩き落とした。

 引き金に指をかけて男の左膝を撃ち抜くと、今度こそ相手は床に倒れた。


「……ここが病院でよかったな」


 息を整えながら、陣内は告げた。すぐに手当てしてもらえる。死にはしないだろう。

 男は陣内を見上げた。黒いマスクで顔の大部分を隠してはいるが、ぴんときた。


「お前、見たことあるぞ」


 すぐに気付いた。才木が襲われたあの夜、窓から逃げていく人影を陣内は目撃していた。背格好がこの男によく似ている。陣内はマスクを剥ぎ取った。若い男だった。二十代半ばくらいだろうか。


「うちの新人を襲ったのも、お前だよな?」


 男は答えなかった。


「目的は何だ」


 陣内は相手の胸倉を掴んだ。男は薄ら笑いを浮かべたまま、無言を貫いた。簡単にしゃべる気はなさそうだ。


「まあいいや。取り調べで洗いざらい話してもらうから」


 手錠を掛けようとした、そのとき――男が動いた。一瞬の隙を突き、床に落ちていたナイフをすばやく拾った。反撃に出るのかと思い、陣内は身構えた。攻撃に備え、拳を構える。

だが、違った。男はその刃を、陣内とは逆の方向――自分に向けた。自身の喉元に突き立てようとしている。

 陣内はとっさに男のてのひらごとナイフを蹴り飛ばした。すんでのところで事なきを得た。男の首はうっすらと血が滲んでいたが、かすり傷程度だ。


「あっぶねぇ……」


 陣内は息を吐いた。冷や汗が滲んだ。

 うっかり目の前で死なれるところだった。まさか自害し、自ら口を封じようとするなんて。見上げた根性だな、と思う。

 陣内が手錠を掛ける間、男はおとなしくしていた。さすがに諦めたようだ。

 両手を後ろ手に拘束したところで、男が初めて口を開いた。


「――陣内鉄平てっぺい


 いきなり名前を呼ばれた。

 陣内は内心驚いたが、顔には出さなかった。


「……なによ、俺のこと知ってんの」


 才木の自宅に侵入した男なのだ。特捜課全員の情報を掴んでいても不思議ではない。その情報源も追々吐かせなければ。


「俺も有名になったもんだなぁ」


 軽くあしらうつもりだったが、次の発言は聞き流せなかった。


「よく知ってるよ。お前のことも――お前の妻のことも」


 妻の話を持ち出されては、さすがに陣内も顔色を変えてしまった。その一瞬の表情の変化を相手は見逃さなかった。まるで優位に立っているかのようににやつき、さらに予想もしない発言を口にした。


「陣内香織かおりを殺したのは、俺だ」


 香織――名前を耳にした瞬間、拳銃を握る手に力がこもった。

 まさか、と思った。


 ――この男が、香織を殺した?


 疑う陣内に追い打ちをかけるように、男が目を細める。


「あの日は、白い服を着てた。妊婦用の」


 それは、捜査関係者しか知らない情報だった。


「良い女だったなぁ。腹が膨れてなかったら、犯してたぜ」


 かっと頭に血がのぼった。まるで全身の血液が沸騰したかのように、体が一瞬で熱を帯びた。

 そんな顔すんなよ、と男がわらう。


「あんなたるみたいな体相手じゃ、さすがにヤる気も起きねえから。でも、メッタ刺しにするのは興奮したな。そういや、大昔に流行はやってたんだっけ、そういうゲーム。ほら、樽にナイフを刺して――」


 乾いた破裂音が響き渡った。陣内は引き金を引いていた。何度も何度も発砲した。三発、四発、五発――被弾の衝撃を受けた男の体が、人形のように数回弾み、壁を背にしてぐったりと倒れた。


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