#6 undecover-②


 重要参考人の死亡により、捜査は完全に行き詰まっていた。塾講師の角谷すみやにドープを流していた相手がいったい何者なのかは、いまだ不明のままだ。特捜課はしらみつぶしに目ぼしいグループを当たっているところだが、どこも空振りばかりである。今夜捕まえたグループも、ドープは取り扱っていないようだった。

逮捕した三人を本部の捜査課に引き渡し、その日は解散となった。陣内は車に後輩を乗せ、自宅まで送り届けた。

 しばらくホテル暮らしをしていた才木だが、今は自分の家に戻ったようだ。アパートの前に車をめると、「すみません、送ってもらって」

 お疲れさまでした、と才木が頭を下げた。


「先輩に家まで送らせといて、そんだけ?」


 という陣内の言葉に、「ありがとうございました」才木は眉根を寄せながら言う。


「これでいいですか?」

「そこは、よかったらお茶でも飲んでいきませんか、って言うとこじゃないの?」

「よかったら、お茶でも飲んでいきませんか」


 棒読みだった。


 車を駐車場に停め、陣内は家に上がり込んだ。侵入者の気配はなさそうだ。

 部屋をきょろきょろと見回していると、才木が「陣内さんって、意外と優しいとこありますよね」と一笑した。


「何の話よ」

「俺を安心させるためなんでしょう」


 陣内は鼻で笑った。


「買い被りすぎ」


 2DKの安アパート。狭いリビングの中央には二人掛けのテーブル。片方の席に座って頬杖ほおづえをついて待っていると、才木が目の前にマグカップを置いた。中身は茶ではなくコーヒーだった。


「その節は、ありがとうございました」


 いろいろと助けてもらって、と才木は付け加えた。

 彼がこの自宅で襲撃に遭ったのは、先月のことだ。

 才木は椅子に座らず、キッチンの流し台にもたれかかるようにして立っている。座らないのではなく、座れないのだろう。あの夜、彼はこの椅子の上で拘束され、精神的な拷問を受けた。そのときのトラウマのせいで、この椅子に座ることができないのかもしれない。


「まだ思い出すか?」


 けば、才木は苦笑を浮かべた。


「以前に比べれば、だいぶ楽になりました」

「そうか」


 顔色はよくなったし、もう薬にも手を出していないようだが、心の傷は未だに癒えてないようだ。犯罪において、自宅のようなプライベートな空間で襲われた被害者は、別の場所で襲われるよりも多大な精神的ストレスを負うと言われている。回復まではかなりの時間が必要だろう。


「それにしても陣内さん、タイミングよかったですよね。俺の家に、監視カメラでも仕掛けてるんじゃないですか」


 冗談を飛ばす才木に、陣内は返した。


「盗聴器なら仕掛けてるぞ」

「もう、悪ノリはやめてくださいよ」


 陣内の方は冗談ではなかった。酔い潰れた才木を送り届けたあの日、陣内はこの部屋に盗聴器を仕掛けていた。だから、タイミングよく助けに入ることができたのだ。

陣内は腰を上げた。


「んじゃ、そろそろ帰るわ」振り返り、口の端を上げる。

「寂しいなら、泊まってやるけど?」


 才木はむっとした。


「結構です」


 才木の自宅を後にした陣内は、しばらく車を走らせた。行きつけのパチンコ店は未だ営業中で、煌々こうこうとした明かりが夜の街で一際目立っている。駐車場に車を停め、陣内は店に入った。爆音で流されるBGMと、銀色の玉がせわしなくぶつかり合う音。煙草の煙が充満し、息苦しさすら感じる店内の一角に腰を下ろす。右端の列の、いちばん奥の台。いつもの場所だった。

 しばらく適当に遊んでいると、男が現れた。

 派手な柄のジャケットに、細めのジーンズ。目深に被ったキャップから銀色の髪の毛がのぞいている。店内は客も少なくがらんとしているが、その男は迷うことなく、わざわざ陣内の隣の台に座った。


「……ずっと思ってたんだけどさ」


 前を向いたまま、陣内は口を開いた。


「スパイの密会場所がパチ屋って、雰囲気出ねえよな」


 隣の男――ジウは首を捻った。


「そうですか?」

「こういうのって、もっと怪しげな場所でするもんなんじゃねえの? 深夜の公園とか、廃倉庫とか」


 それは映画の見過ぎですよ、とジウが笑う。


にぎやかでいいじゃないですか。会話を盗み聞きされる心配もない」

 

 流れ落ちるパチンコ玉を眺めながら、陣内は尋ねた。


「予備校の講師にドープ流してたの、お前じゃないよな?」


 ええ、とジウは即答した。


「うちの組織じゃないことは確かです。末端まで確認しましたから。だいたい、難関国立大に自力で合格できないような無能の子どもに与えるなんて、ドープの無駄遣いですよ」

「お前なら、どこの仕業だと思う?」

「そうですねえ」


ジウが唸った。


仁龍会じんりゅうかいかもしれませんね」


 それはないだろうと陣内は首を振った。


「仁龍会はドープの供給ルートを持ってない」

「それが、そうでもないようですよ」


 ジウが答えた。


「五、六年ほど前から、仁龍会のある幹部がドープを扱ってるといううわさがあるんです。供給元は極秘だそうですが」


 知らなかった。そんなに前から扱っていたなら、麻取にも少しは情報が入ってくるはずだが。

 陣内の心を察したのか、ジウが付け加えた。


「顧客は口の堅い金持ちに限っているから、情報が漏れていなかったんですよ」

「へえ」


 その金持ちリストに角谷も名を連ねていたのかもしれない。

 閉店前のアナウンスが流れた。もうすぐ日付が変わる。そういえば――陣内は思い出したように告げた。


「今日は、先代の命日だったな」

「おや、よく覚えてますね」


 まあね、とうなずく。


「俺が殺した男だから」


 忘れられるはずがない。白鴉はくあの前リーダーが死んだ日――それは、陣内が初めて人を殺した日でもある。

 今から七年前、まだ陣内が警視庁に勤務していた頃の話だ。組対の捜査員たちは白鴉による武器の密輸現場を押さえた。数人のメンバーと取引相手をまとめて逮捕したが、当時組織の総帥と呼ばれていた男が隙を突いて逃走した。陣内は上司の命令を無視して追いかけ、銃撃戦の末、総帥の男を射殺してしまった。

亡きリーダーの後釜に就いた男が、このジウである。


「めでたい日ですよ。日本の祝日にしてほしいくらいです」


 ジウは見た目とは裏腹に物腰が柔らかく、穏やかな態度を見せる男だが、時折言葉

の端々にすごみをにじませることがある。先代のことは、よく「無能な男」とののしっていた。


「――では、お先に失礼しますね」


 一度もこちらを見ないまま、ジウは席を立った。


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