#5 trauma-③


 拘置所での聞き込みを終えて、その日は解散となった。才木はコインロッカーに預けていた荷物を取り出し、街を歩いた。しばらくホテル暮らしをしていたが、宿泊費も馬鹿にならない。かといって、家に戻っても心が休まらないことはわかっている。

 行く当てもなく大通りを彷徨さまよっていると、ネットカフェの看板が目に入った。

 一度店に入ってみたが、薄い壁を隔てただけのブースの中では余計に落ち着くことができなかった。他人が発する音に神経質になっているようで、とてもじゃないが気が休まらない。薬を飲めば少しは眠れるだろうか、と思い立ち、ポケットに手を入れる。薬を見て才木は驚いた。二十錠はあった錠剤が、すでに残り少なくなっている。

 いつの間に、と思う。そういえば、昼間も使った。陣内の目を盗んで、拘置所のトイレで。――頻度も量も上がっている。耐性がつき、薬が効きにくくなってきたせいかもしれない。さすがに焦りのような気持ちが芽生え、薬をポケットにしまった。

 才木は荷物をまとめて店を出ると、夜の街を歩いた。足は自然と職場に向いていた。オフィスのドアを開けたところ、意外な人物がいた。

 陣内だ。

 まさか、こんな時間に人がいるとは思わなかった。それもこの男が。


「珍しいですね、残業なんて」と才木は言った。


 陣内が尋ねる。


「お前こそ、どうしたの」

「終電を逃したので、今日はここに泊まろうかと」


 そうか、とだけ言って陣内はオフィスを出ていった。てっきり帰ってしまったのかと思ったが、十数分後に戻ってきた。コンビニのビニール袋を提げている。


「一杯、付き合えよ」


 袋の中には缶ビールが二本。

 陣内は車で通勤しているはずだ。ビールを受け取りながら、才木は尋ねた。


「いいんですか、飲んだら帰れなくなりません?」

「ここに泊まる」


 休憩室のベッドは一台しかない。


「どこで寝るんですか」

「ベッドは譲ってやる」


陣内が答えた。


「俺はあのソファで寝るから」


 そう言って彼が指差したのは、ガラス製のパーテーションに囲まれた小部屋――課長のデスクのそばにあるソファだ。上司専用のスペースに勝手に入っていいのだろうかと心配になったが、ベッドを譲るのも嫌なので黙っておいた。

 缶ビールを一口あおり、お前さ、と陣内が口を開く。


「最近、ずっとホテルに泊まってただろ」


 言い当てられ、心臓が跳ねた。


「……知ってたんですか」

「まあね」


背もたれに体を預けながら、陣内が言う。


「見えちゃったから。家と逆方向に帰ってるの」


 隠していたつもりだった。相変わらず目敏めざとい男だな、と思う。

 陣内には、その理由もお見通しのようだ。


「心配なら、引っ越せば?」と才木に尋ねた。

「そうするべきだとは思うんですが、どうしても離れられなくて」

「まあ、その気持ちはわかるわ」


 俺もそうだから、と陣内は苦笑を浮かべる。


「嫁が死んでから、何度も引っ越そうと思った」


 嫁――ずっと気になっていたことだ。気になっていたが、訊けないでいた。今なら訊けそうな気がして、才木は口を開いた。


「陣内さんの奥さんって、いつ亡くなったんですか」

「七年前に」


陣内は呟くように言う。


「殺された」


 ――殺された。


 思いもしない言葉が返ってきて、才木は絶句した。


「犯人はすぐに自首したよ。麻薬の中毒者で、薬を買う金欲しさに強盗を働こうとして、うちを選んだんだと。家に侵入して金目の物をあさってるときに、嫁が帰ってきて、パニックになって殺したって。まあ結局、そいつも獄中で自殺しちまったけど」


 まるで捜査報告書でも読み上げているかのような声色で、陣内は淡々と語った。


「そんな――」

「第一発見者は俺だった。今でも夢にも見るし、家にいると思い出しちまう。……でもさ、引っ越したら、俺の中からあいつが消えてしまいそうな気がして、できないのよ」


 陣内が麻薬中毒者を毛嫌いしている理由が、ようやくわかった。彼の身内は被害者なのだ。麻薬によって奪われた、罪のない命のひとつ。――抱える悲しみや憎しみ、やるせなさは想像がつかない。どんな言葉を掛けるべきなのか、才木にはわからなかった。

 戸惑う後輩を気遣ったのか、陣内はビールを指差し、「進んでないぞ」とあおった。言われるまま、才木は缶を呷った。ビールの苦みが舌の上に広がる。


「もう昔の話だから。今さら感傷に浸る気はない」


 才木は無言で頷いた。


「どんな人でした、奥さん」


 尋ねると、陣内は懐かしげに目を細めた。


「そうだなぁ……仕事が大好きな奴だったな。夜はほとんど家にいなかった。まあ、俺も同じようなもんだったけど。とにかく仕事に命懸けてて、かっこいい女だったよ。逆に家事は苦手でさ、掃除も洗濯も料理も、何やらせても駄目だった。俺がほとんどやってたし」

「陣内さんが? 本当に?」

「俺、家事は結構得意なの」


 意外だ。いつも小汚い格好をしている彼が洗濯をしている姿も、いつもコンビニ飯やインスタント食品を食べている彼が料理をしている姿も、才木にはまったく想像できなかった。どうせ家事は嫁に任せっきりの駄目亭主だと思っていた。

 陣内が横目で才木をにらむ。


「失礼な奴だな」

「俺まだなにも言ってませんけど」

「顔に書いてあんだよ」


 陣内は一笑した。


「なんつーか、独りになったら、どうでもよくなっちまってさぁ。料理したところで食べさせる相手がいないんだから、もうカップラーメンでいいやってなるし、自分しか住んでないんだから、掃除もしなくていいやってなる。……でも、お前は偉いよ。家、綺麗きれいにしてるし」

「今はそうでもないですけどね」


 最近は自宅に帰っていないが、以前はたしかに陣内の言う通り、こまめに掃除していた。母親の部屋も含め。

 缶の中身を飲み干したところで、才木は「俺、そろそろ寝ます」と腰を上げた。休憩室へと向かう。


「才木」


 呼び止められ、足を止める。


「はい」

「しばらく俺の家に泊まるか?」


 陣内は真面目な顔でそう言った。


「……掃除してないって話でしたよね?」

「うん」

「もしかして、俺に片付けさせようっていう魂胆ですか?」


 陣内は眉間にしわを寄せている。


「お前、せっかくの俺のご厚意を……」

「冗談ですよ」


 小さく笑い、「考えておきます」才木は頭を下げた。


「ありがとうございます」


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