#5 trauma-①
翌日、目が覚めたのは朝の十時を過ぎた頃だった。久々によく眠れたが、
ホテルの部屋に置かれている小型テレビの電源を入れる。ニュース番組というのは人を憂鬱にさせるためにあるのではないかと疑いたくなってしまうほど、今朝のラインナップは酷いものだった。無差別殺人、政治家の汚職、有名俳優の薬物所持――相変わらず不幸話だけを集めてきたかのような構成に、朝っぱらから嫌な気分にさせられてしまう。
その番組では、例の通り魔事件も取り上げられていた。才木の配属当日に発生した
あれは、才木にとっても忘れられない事件だ。新人にはハードな現場だった。幸い
たった一か月半ほど前の出来事が、やけに懐かしく感じた。それだけ特捜課で
今日は非番だ。ホテルにいても特にすることはないし、できれば気晴らしに出掛けたい。窓の外を見上げ、天気を確認する。空は曇ってはいるが、梅雨の訪れを感じさせるような蒸し暑さだ。外食がてら散歩でもしようと思い立ち、才木は着替え、部屋を出た。
目的地もなくふらふらと
あのドキュメンタリー番組の影響を受けたのだろうか。
吉岡隆太が銃を片手に立てこもったコンビニは、今では何事もなかったかのように営業していた。殺人が起こったことをすっかり忘れてしまったような住宅街をしばらく歩いていたところ、才木はふと足を止めた。陰険な雰囲気を醸し出している一軒家を見つけたからだ。
表札には『吉岡』の文字。家を囲む塀は、無数の張り紙で埋め尽くされている。
人殺し、死ね、殺人鬼の身内も同罪、家族全員死んで償え――どれも
何とも言えない気分になり、才木は息を吐いた。
門扉の真ん中に陣取っている『出ていけ』と書かれた張り紙を剥がし、くしゃくしゃに丸める。
「……うちになにか御用ですか」
警戒心を
「お久しぶりです」
才木の顔を見て、「ああ、あのときの」と母親が思い出した。あれからまだ一か月半しか
「たまたま近くを通りかかって」と才木が言い訳のように告げると、母親は中へと招き入れてくれた。
リビングに案内され、「……酷いですね、嫌がらせ」ソファに腰を下ろし、才木は気の毒そうに告げた。
「当然のことです」
母親は才木にコーヒーを差し出しながら答えた。すべてを諦めたような、淡々とした口調だった。
「それだけのことを、息子はしたんですから」
だからといって、加害者家族がここまで苦しめられなければならないのだろうか。 加害者とその身内を同一化する風潮は、いつになっても変わらないな、と才木は思った。
「……こんなことを言ったら、母親失格かもしれませんが」
そう前置きしてから、母親は本音を吐露した。
「息子の死を悲しんではいるんですが、どこかほっとしている自分もいるんです。いなくなってくれてよかった、って」
浪人生だった吉岡は、受験のストレスと麻薬依存から度々問題行動を起こしていた。近所の子供に向かって怒鳴りつけたり、隣の家が飼っている犬に石を投げつけたりと、かなり悪質な報告も上がっている。それだけにとどまらず、家庭内では母親に暴力を振るっていたという。
「これでもう殴られなくて済むって、ほっとしているんです、私」
最低ですよね、と母親は目を伏せた。
「いつも荷物が届いて、息子がネットでなにか買っていることはわかっていたのに……おかしいと思っていたのに、問い詰めなかった。殴られるのが怖くて、口を出せなかったんです」
あの子とちゃんと向き合えていたら――自分を責めるように語る彼女の姿に、才木は胸を締め付けられる思いだった。
同じ中毒者の身内を抱える者として、他人事とは思えなかった。薬が切れると、母は才木を殴った。こんな母親なんかいなくなってくれたらいいと、願ってしまったこともあった。彼女の存在を煩わしく思ったことなんて、一度や二度じゃない。
自分の身内に思いを
ガシャン――とガラスが割れるような音がした。
二階からだ。吉岡の母の顔が
「俺が見てきましょうか」と才木が言うと、彼女は小さく
母親を引き連れ、階段を上がる。二階の突き当りに吉岡隆太の自室があった。ドアを開けると、まず割れた窓ガラスが目に入った。何者かが石を投げ込んだようだ。子どもの拳ほどの大きさをしたその石は、白い紙に包まれていた。開いてみると、読み上げるのも嫌になるような言葉が書き連ねられていた。
警察に通報を、という才木の言葉に、母親は「いいんです」と首を振った。
窓の外を確認する。嫌がらせの犯人はすでに姿を消していた。才木はカーテンを閉め、部屋を見渡した。吉岡の自室はそのままにしてあるようだ。学習机の上にはペン立てや参考書が置かれていて、いかにも浪人生の部屋らしい雰囲気だった。
ふと、才木の視線がペン立てに留まった。見覚えのある物を見つけた。水色のシャープペンシル――間違いない、前にも同じ物を見た。
このペンは、と才木が指差すと、
「これですか?」
母親は不思議そうに答えた。
「息子が通っていた学習塾で、受講生全員に配っていたものです。受験のお守り代わりに」
「学習塾?」
「はい」
母親は才木にそのペンを手渡した。白い文字で『
これをどこで見たのか、才木ははっきりと思い出した。合成大麻で中毒死した大学生――
「金銭的な問題もあって途中で辞めてしまったんですが、息子は有名な講師の特別授業を受けていました」
通り魔事件を起こした薬物中毒者の浪人生と、薬物中毒死した有名大学の学生。どちらも高校時代にドープを服用していた疑いがあった。
この二人が同じ予備校に通っていたことが単なる偶然だとは、才木には思えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます