#4 falling-③



 奥村彰は大学から歩いて五分ほどの距離にある学生向けマンションに住んでいる。場所は木下が教えてくれた。最寄りの薬局で話を聞いてみたところ、たしかに奥村は店によく現れ、その度に風邪薬を買い占めていたそうだ。感冒薬から覚醒剤を精製していたという話は事実かもしれない。ただ、店員によると、ここ数か月は奥村の姿を見ていないという。

 マンションの部屋番号は412号室。インターフォンを鳴らしたが、反応はなかった。

 管理人に事情を説明して鍵を開けてもらい、才木と陣内は部屋の中に入った。間取りは1LDK。物が少なく、典型的な男子学生の部屋のように見受けられるが、ずいぶんと散らかっていた。生活感のある散らかり方ではなく、まるで空き巣にでも荒らされたかのようだった。


「夜逃げした後みたいだな」と陣内は感想を漏らした。


 この地域のゴミの収集日は直近で明日の朝だ。奥村が証拠隠滅を図ったとしたら、まだゴミが残されているかもしれない。才木たちはゴミ捨て場に移動し、積み上げられたビニール袋の山をひとつひとつ確認した。

 

 陣内は「シバだったらぶっ倒れてるな」と生ゴミの悪臭に顔をしかめた。

 

 目当てのものが見つかったのは、ゴミ捨て場をあさりはじめてから一時間ほどがった頃だった。


「――あったぞ」


 陣内が声をあげ、袋の中身をひっくり返した。

 郵便物に記載されている名前から、奥村が捨てたゴミ袋であることは間違いない。中身をすべて調べてみたが、覚醒剤密造の証拠になりそうなものはなかった。その代わり、乾燥ハーブが見つかった。化学薬品のボトルやプラスチック製の霧吹きもある。合成大麻の原料と、製造に必要な道具だ。


「奥村が薬局に姿を見せなくなったのは、覚醒剤の製造をやめて、代わりに合成大麻を作るようになったからでしょうか?」

「かもな。客の注文に従ったのか、それとも利幅を上げようとしたのか」

「いずれにしろ、大事な商売道具を乱雑に廃棄したということは、事件のことを知った奥村が大慌てで証拠の隠滅を図ったと考えられますね」


「奥村を見つけねえとな」面倒くさそうに頭をきながら、陣内はすぐに連絡を入れた。


「棗、今から写真を送る。一番右に写っている男子学生の行方を防犯カメラで捜してくれ」


 捨てられていた合成大麻の分析は本部の人間に任せ、陣内たちは参考人の捜索を続けることにした。マンション前にめた捜査車両に乗り込もうとしたところで、一人の若い女性が目の前を通り過ぎた。


「……陣内さん、あの子って」


 その顔には見覚えがあった。

 陣内も頷く。


「奥村の彼女か」


 たしか名前は野沢沙織――例の写真に写っていた。この辺りは学生向けの賃貸マンションが多い。彼女も近くに住んでいるのだろう。

 すみません、と陣内が呼び止めると、野沢は足を止めて振り返った。


「もしかして、野沢沙織さんですか?」

「そう、ですが……」


 知らない男に名前を呼ばれ、野沢は警戒心き出しの表情を浮かべた。買い物帰りのようで、コンビニのビニール袋を手に提げている。

 陣内は身分証を提示してから、尋ねた。


「奥村くん、ご存知ですよね。同じ大学の。自宅にもいないし、連絡もつかなくて、ご友人が心配してました。いま彼がどこにいるか、ご存知ないですか?」

「いえ」と、野沢は素っ気なく答えた。


 その瞬間、才木には視えた。能力が発動したのだ。モノクロの映像が頭を過ぎる。――彼女が自宅に戻ると、そこに奥村がいる。麻薬取締局の人が奥村くんを捜してた、と報告する。思い詰めた表情を浮かべる奥村。――そんな映像だった。才木の心に嫌な予感がくすぶる。

 急いでいるので失礼します、と野沢は頭を下げて話を切り上げた。

 彼女と別れてから、


うそいてんな。たぶんかくまってる」と、陣内が告げた。

「あの子、同じ弁当を二つ買ってた」


 買い物袋の中身を盗み見たらしい。


「嫌な予感がします。早く保護してあげないと」

「視たのか?」

「はい。彼女の自宅にいる姿を。彼の思い詰めた顔が、ちょっと気になって」


 追い詰められた人間がどんな行動に出るかは予想できない。もし奥村が今回の事件の元凶であるとしたら、自棄やけになった彼がさらに罪を重ねてしまう可能性もある。そうなる前に逮捕しなければ。

 野沢は横断歩道を渡った先にあるマンションへと入っていった。陣内は彼女の後を追った。才木も続く。野沢はエレベーターに乗り込み、姿を消した。ちょうど宅配業者が出てくるところで、才木たちは開いたオートロックのドアに滑り込んだ。

 エレベーターに乗った陣内は迷わず六階のボタンを押した。


「なんで彼女の部屋知ってるんですか」

「確認してるのが見えた」と、陣内は集合ポストを指差した。

「612号室だった」


 よく見ているな、と感心してしまった。


「便利な能力ですね」


 六階に到着した。612号室のドアの前に立ち、才木と陣内は顔を見合わせた。無言で頷き、才木はインターフォンを押そうと手を伸ばした――そのときだった。中から声が聞こえてきたので、才木は思わず動きを止めた。

 叫び声だった。若い女性の声――野沢が大声で叫んでいる。ただならぬ雰囲気に、才木と陣内は再び顔を見合わせた。


「陣内さん」

「ああ」


 陣内がドアノブに手を伸ばした。鍵は開いていた。躊躇ちゅうちょなく部屋に足を踏み入れた二人は、最初に奥村を見つけた。部屋の天井からぶら下がっている――奥村はロープで首をっていた。その足元に、野沢がいる。泣き叫びながら奥村の体を抱え上げようとしていた。だが、その細腕では持ち上げることができない。


「才木、手を貸せ!」

「はい!」


 奥村はまだ息があった。才木と陣内はすぐに加勢した。陣内が足を抱えて奥村を下ろし、才木が首から縄を外す。奥村は涙目でせ返りながら蹲った。すぐ傍では野沢が両手で顔を覆ってしゃくりあげている。


「馬鹿なことしやがって」と、陣内が舌打ちした。

「こんなとこで自殺したら、彼女に迷惑かかるだろうが。事故物件の賠償金、いくら掛かると思ってんのよ」


 苦しそうに呼吸を繰り返す奥村に向かって、陣内が「死ぬなら誰にも迷惑かけないところで独りで死ね」と追い打ちをかける。才木は「命が助かってよかった」と安堵あんどした。

 発見が早くて助かった。あと数秒遅れていたら奥村の命はなかっただろう。意識もはっきりしているし言葉もきちんと交わせるが、念のため最寄りの病院へ連れて行くことにした。

 奥村はすっかり観念し、反省している様子だった。才木と並んで捜査車両の後部座席におとなしく座り、せきを切ったように事件についてしゃべりだした。ひとりで抱え込むのも限界で、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。

 奥村が自殺を図った理由は、捜査の手が迫り自暴自棄になったから――というだけではないらしい。自分の作った薬が、三人の知人を殺してしまったことへの罪悪感に耐え切れなかったそうだ。


「最初は、宮崎くんに言われたんです。金を払うから、薬を作ってほしいって」


 宮崎――中毒死した三名の中のひとり、宮崎陽太だ。

 発端は、今から一年半ほど前のことだという。端末で音声を録音しながら、才木は彼の証言に耳を傾けた。


「宮崎くんは高校の頃、ドープを使ったことがあったらしいんです。受験直前に、何日も徹夜できるようにって。大学に入学してからも、その感覚が忘れられないって言っていました。でも、ドープは滅多に手に入らないし、高いから。それで、覚醒剤が欲しいって言われて……」

「風邪薬から覚醒剤を作った?」

「そうです」奥村が頷く。

「専売契約を結んで、一グラムあたり三千円で買ってくれました」


 運転席の陣内が「ずいぶん買い叩かれたな」と、小馬鹿にしたような声色で口をはさんだ。


「そのうち、宮崎くんが薬をサークル内で配りはじめて、みんなが欲しがってるから量産してほしいって言われて……だけど、人目を盗んで実験室を使える時間も限度があるし、僕も自分の課題で忙しくなってきたんで、もっと簡単に、大量に作れるものにしようと思ったんです」

「それで、合成大麻に変えたんだね」

「手間がかかりませんから。乾燥ハーブにスプレーで薬品を噴きかけて、電子レンジで三十秒チンするだけですし。ハーブは中華街で安いものを買って、味付けは合成カチノン系の薬品を海外のサイトで注文しました」


 でも、と奥村がうつむく。


「まさか、こんなことになるなんて……」彼の声は震えていた。

「これまで、何度か同じ薬を作って、宮崎くんに売ってたけど、今までは何ともなかったんです。なのに、なんで今回に限って――」


 信号が赤になる。陣内は車を停めると、


「――ちょっと待て」と、後部座席を振り返った。


「今、なんて言った? カチノン系?」

「はい」

「カンナビノイドじゃなくて?」

「はい」


奥村は迷いなく頷いた。


「宮崎くんから、アッパー系の方がいいと注文されたので」


 才木はすぐさまタブレット端末を取り出し、警察の検証結果を再度確認した。現場で見つかった薬物の成分は高濃度の合成カンナビノイドだという記載がある。三名すべての遺体から、十五年ほど前にニューヨークで集団中毒事件を引き起こしたものと同じ、AMB‐FUBINACAの代謝物が検出されている。


「よかったな」陣内は前を向き、告げた。

「あの三人を殺したのはお前じゃない」


 その言葉に奥村は身を震わせ、両手で顔を覆った。

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