#4 falling-②


 暇なら仕事してこいという上司の叱咤しったを受け、才木と陣内はその日の午後、都内にある有名私立大学を訪れた。

 大学生でにぎわう食堂に足を踏み入れると、陣内が得意げに言った。


「ほら、俺の奢りだ。好きなもん頼め」


 恩着せがましい言葉に、才木は「学食ですか」と顔をしかめた。陣内にはイカサマのびに昼食を奢ってもらうことになっていたのだが、まさかこんな安いところで済ませられるとは思わなかった。


「俺だって、お前にいい飯食わせてやりたかったよ? でもさ、仕方ないじゃん。仕事が入っちまったんだから」

「……しらじらしい」


 この大学を訪れたのは聞き込みのためだ。昨日、この大学に通う学生が相次いで薬物中毒死する事件が発生した。三人の死者のうち一人がドープを所持していたため、特捜課にも白羽の矢が立ち、陣内と才木が担当することになった。

 死亡した学生は三名――法学部に通う三年生の宮崎みやざき陽太ようたと、藤田ふじたしゅう。それから、経済学部の二年生、八島やしま大翔ひろと。彼らは全員、同じテニスサークルに所属していた。学生たちの証言では、テニスをしているところを一度も見たことがない名ばかりのサークルで、活動内容のほぼすべてが飲み会だという。

 誰に訊いても、「あのサークルはヤバいらしい」と口をそろえていた。未成年の飲酒や喫煙は序の口。強姦ごうかんまがいの性行為の被害者もいるという。その悪評は学内でも有名のようで、今回の連続中毒死に驚いている者はいなかった。あいつらはいつか薬で死ぬと思った、と話す学生もいた。

 今回の事件現場はカラオケ店の一室で、所轄による現場検証の結果、三人は合成大麻を使用していたことがわかっている。現場の写真を見たが、壮絶なものだった。遺体の中には鼻や口から血を噴き出している者もいた。一人はソファに、一人は床に、もう一人は入り口のそばに倒れていて、あちこちで嘔吐おうとや失禁した跡も見られた。

 大学生の薬物中毒死はなにも珍しいことではない。酒と一緒に薬を覚えるやからは、ここ十年の治安の悪化に伴い急増しているが、今回は日本屈指の有名大学の不祥事とあって、マスコミの数も多く見受けられた。

 陣内と才木はランチ定食とやらを注文した。


「――ニコの話じゃ」学食の隅にあるテーブル席に腰を下ろし、陣内が口を開く。「死んだ学生が吸ってたヤクは、かなりヤバい代物だったらしい。あれに比べたら、スパイスなんて可愛かわいいもんだって」


 この国で脱法ハーブや危険ドラッグの名を知らしめたのは、今から十五年以上前に起こった池袋での暴走事件だろう。罪のない通行人を死傷させた犯人が使用していたのも、同じくカンナビノイド系の合成ハーブだった。

 現存する合成大麻は八百種類以上あると言われている。中でも代表的なのがK2やスパイスと呼ばれるものだ。天然大麻の千倍ほどの刺激があり、使用者自身が命を落とすことも、無関係の人間を巻き込み命を奪うことも少なくない。

 サバの味噌煮みそにを口に放り込み、才木は尋ねた。


「ニコラスさん、味見したんですか」

「一口で頭がイカれる、って言ってた。通常なら、あんなものは市場に出さない。客が死んだらいろいろ面倒だもん。稼ぎも減るし、捜査の手が入るし」

「売人の仕事の肝は、客を薬漬けにして商売を途切れさせないことですしね」

「ああ。最初の入り口は大麻であったとしても、人間ってのはさらに強い刺激を求めて、他のドラッグにも手を出すようになる。その結果、売人のもうけはさらに広がる。だけど、生死にかかわるような危険極まりない商品は、仁龍会じんりゅうかいやロス・ティグレスのような大きな麻薬組織は扱わない。客に死なれちゃ困るからな」

「合成大麻の市場は、個人参入しやすいって聞きました」

「製造が簡単だからなぁ。原料は安く仕入れられて、販路もネットで広げられる。だから個人経営も多いし、死人も出やすい」


 小規模な製造者が多いが故に製造ミスが絶えず、品質管理が粗悪な販売元も多く存在している。そのため、今回のような事件が度々起こってしまうのだ。

 定食を平らげてから、才木はタブレット端末を取り出し、所轄から送られてきた資料に目を通した。三名の自宅の捜索はすでに警察が済ませているが、特に手掛かりになるような痕跡は見当たらなかったようだ。

 ドープを所持していたのは、その中の宮崎陽太という学生だった。資料には彼の所持品の写真も添えられている。才木はその画像を指先で拡大した。――青色のシャープペンシルに黒のボールペン、消しゴムや修正テープなどの文房具に混じって、白い錠剤が一錠、アルミ製のペンケースの中で存在感を放っている。


「ドープは希少なドラッグです。学生がそう簡単に手に入れられるとは思えませんが」

「普通の学生なら、な。宮崎の実家は会社を経営していて、相当な金持ちらしいぞ。学生とはいえ、金とコネは持ってそうだ」


 この三名はどこから合成麻薬を購入したのか――宮崎にいたってはどうやってドープを入手したのか――販売経路のヒントになりそうなものといえばメッセージのやり取りだが、彼らの所持品である携帯端末やパソコン、タブレットの中にそれらしい会話は見つからなかった。発覚を恐れて消去していたのかもしれない。学生らの端末は今、なつめが預かり、データの復元を試みているところだ。

 才木と陣内は午後も聞き込みだ。二人が席を立とうとしたところ、


「――あの」と、呼び止める者がいた。


 この大学の男子学生だろう。彼は声を潜め、「警察の方ですよね」と尋ねた。背広姿で校内を徘徊はいかいし学生から話を聞いていたので、そう見えていたようだ。

 彼は木下きのしたじゅんといい、この大学の薬学部に通う三年生であると名乗った。刑事ではなく麻薬取締官であると身分を明かしたが、それでも話したいことがあると神妙な面持ちで持ち掛けるので、才木たちは場所を変えることにした。人のいない小教室に移動し、木下を最前列の席に座らせる。才木は彼の隣に座った。陣内は長い机の端に腰かけている。

 話というのは、同じ学部に通う友人のことだった。名前は奥村おくむらあきらという。


「奥村は俺と同じ研究室に所属してるんですが……いつも実験室に残ってひとりで作業してるから、変だなってずっと思ってたんです」


 彼を居酒屋に誘い出して訳を聞いたところ、「宮崎からバイトを頼まれた」と話すだけで、詳しいことは教えてもらえなかったという。


「でも、前に見たんです。奥村が、近所の薬局で大量の風邪薬を買ってるのを」


 健康な人間が風邪薬を大量に買う理由は――外国人観光客でなければ――ひとつしか考えられない。


「まさか、感冒薬からエフェドリンを抽出して、覚醒剤を作り出してた?」


 才木の問いに、木下は小さく頷いた。


「奥村は母子家庭で生活が苦しくて、学費のために金が必要みたいで」


 だからこそ、違法な仕事に手を出したのかもしれない。彼はそう案じているようだ。貧困にあえぐ母子家庭――才木は同情を覚えてしまった。自分も同じ境遇だった。


「宮崎たちが薬で死んだって聞いて……もしかしたらって思って、奥村に電話してみたんです。でも、何度かけてもつながらなくて。学校にも来てないし……」


 その話が本当であれば、奥村が何らかの形で事件に関わっている可能性がある。


「その子の写真、持ってる?」

「あります」


 木下が端末を取り出し、画面を見せた。


「この、右端が奥村です」


 四人の若者が写っている。入学式に撮影したもののようだ。一人はスーツ姿の女子。その隣に木下がいる。顔立ちが似ているので、おそらく二人は兄妹なのだろう。その隣には私服姿の女子が写っていた。誰かと問えば、奥村と交際している同級生だと答えた。名前は野沢のざわ沙織さおり。木下と奥村、それから野沢の三人は同じ高校の同級生だそうだ。

 奥村は写真の右端でにこやかな表情を浮かべている。


「風邪をひきやすそうには見えないな」


 画面をのぞき込み、陣内が軽口をたたいた。

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