#4 falling-①

  


綿貫わたぬきさん、いつもと違うシャンプー使ったでしょ」


 唐突に、柴原しばはらがそんなことを言い出した。


「……あ、もしかして昨日、彼氏の家に泊まったとか?」


 次の瞬間、うめき声が聞こえた。柴原が腹を抱え込むような体勢でうずくまっている。どうやら綿貫から一発食らったらしい。殴られて当然だな、と才木さいきあきれた。むしろその程度で済んでよかったかもしれない。

 綿貫は無言のままオフィスを出ていった。おそらく三階に向かうのだろう。彼女はストイックな性格で、任務外の時間のほとんどをトレーニングに費やしていた。才木が特殊捜査課に配属され、今日で三十五日目――同僚のパーソナリティもそれなりにつかめてきたところだった。

 ちなみに柴原は、いつも余計な一言が多い。あまり深く考えずに発言してしまう性質のようだ。


「シバさん、それ立派なセクハラですよ」

「デリカシーのないやつ」才木の言葉に、陣内じんないも頷く。

「お前、間違ってもひかるちゃんに『今日生理?』とかくなよ。最低だぞ」

「さすがにそんなこと言いませんよ! 陣内さんじゃないんだから!」

「俺だって言わねえよ!」


 むきになって反論し合う二人を眺めながら、どっちもどっちだな、と才木は思う。

 ドープによって力が覚醒した超能力者――所謂いわゆるドーパーには、様々なタイプが存在する。柴原の場合は、オンとオフのスイッチを切り替えられる陣内や綿貫と違い、常に能力が発動している状態らしい。


「俺だって、嗅ぎたくて嗅いでるわけじゃないんすよ」と言い訳した。

「鼻栓しとけば?」


 冷たく吐き捨てた陣内を、柴原は恨みがましい目で見つめる。


「いいっすよねえ、自由に力を操れる人は」

「鍛え方が足りないのよ」

「鍛えてどうにかなるもんなんすか、ドーパーって」

「光ちゃんを見てみろ。日に日に強くなってるぞ。こないだトラックと相撲取ったときは、さすがにびびったわ」 


 最初の頃はバイクぐらいしか持ち上げられなかったのに、と陣内が嘆く。

 才木はぎょっとした。


「……その時点ですごくないですか」


 陣内の話が本当なら、綿貫のように鍛えれば鍛えるほど、ドープの能力は磨かれていくことになる。彼女の場合は単純明快だ。筋力を鍛えれば当然――能力を持たない普通の人間であっても――強くなれる。

 だが、才木の第六感は、そうはいかない。


「俺の場合、どうやって鍛えたらいいんでしょうか?」


 才木は首をひねった。

 最初に提案したのは、柴原だった。

「これはどう?」と百円硬貨を一枚取り出す。


「俺がコインを投げて、裏か表か尋ねる。それを才木くんが当てる」

「勘を鍛える、ってことですか?」


 柴原が百円玉を親指で弾いた。宙に浮いた百円玉がくるくると回転しながら舞い上がり、そこから落下していく。左手の甲に落ちた瞬間、柴原は右手をかぶせてコインを隠した。


「どっちだ?」

「……えー」


才木は眉をひそめた。能力は発動していない。


「わかりませんよ、そんなの」

「表」と、陣内が代わりに答えた。


「もー」柴原が口をとがらせる。


「陣内さんは黙っててください」


 正解だったらしい。超人的な動体視力を持つ陣内にとってみれば、コインがどちらを下にして落ちたかを当てることなど朝飯前のようだ。

 仕切り直し、何度か試してみたが、才木の能力はなかなか発動しなかった。表裏も、当たるときもあれば当たらないときもある。だいたい二回に一回は言い当てられるが、これはまさしくただの勘だ。確率通りの結果である。


「よし、次は俺が相手だ」と、陣内が柴原から硬貨を分捕った。

「賭けようぜ。負けた方が昼メシおごる、ってことで」

「いいですよ」


 才木はうなずいた。つい挑発に乗ってしまった。自分もこの先輩や職場にだいぶ毒されてきたな、と心の中で苦笑する。

 硬貨を弾いてから、「どっちだ」と手の甲で隠した陣内が問う。

 才木は口を開きかけた。裏、と答えようとした――そのときだった。嫌な予感がぎり、ついに才木の能力が発動した。

 映像が見える。才木は「裏」と答える。陣内は「残念」とわらう。手の甲には表向きのコイン。外れだ。陣内が「なに奢ってもらおっかなぁ」とにやついている。――つまり、このまま「裏」を選んでは負けてしまうと、才木の能力は警告しているのだ。


「表」才木は答えた。

「自信あります」


 陣内が手を開き、硬貨を見せる。

 裏だった。


「え――」

 ――おかしい。


 裏と答えようとした瞬間に、嫌な予感がした。このままでは負けると察した。だから表を選択したのだ。それなのに、予想は外れた。

 に落ちない。

 陣内はそんな才木を余所よそに、「なに奢ってもらおっかなぁ」とにやついている。

 その直後、オフィスに葛城かつらぎが現れた。

「また賭け事か」と笑っている。

どうやらドア越しに会話を聞かれていたようだ。


「陣内さんが、才木の能力を破ったんすよ」


 柴原が状況を説明したところ、葛城は苦笑した。


「陣内の手を調べてみろ。もう一枚コイン持ってるぞ」

「えっ」

「課長、ネタ晴らしはやめてくださいよぉ」


 陣内は肩をすくめながら観念し、デスクの上に硬貨を二枚並べた。

 葛城の言った通りだった。陣内はもう一枚、別の百円硬貨を手に持っていた。エコーロケーションの能力を持つ葛城だからこそ見抜けることであって、才木と柴原はいまだにどういうことなのか理解が追いついていなかった。

 きょとんとしている才木たちに、葛城は硬貨を手に取って実演してくれた。


「こんな風に、中指と薬指の間に百円玉を挟んでおくんだ。そうすれば、ほら、正面からは見えないだろう? 逆の手の親指でもう一枚の硬貨を弾き、このてのひらで上から隠した直後に、袖の中に滑り込ませる。あとは、才木が表と答えるか裏と答えるかによって、隠し持っていた硬貨を置く面を変えればいい」


 要するに、才木の第六感は間違っていなかったのだ。ただ、陣内の後出しじゃんけんに負けただけの話である。


「イカサマじゃないですか」と、才木は口を尖らせた。

「硬貨が二つあるなんて、誰も思いませんよ」

「ひとつしかないと思い込んでるのが悪い。目に見えるものがすべてじゃないんだから、もっと状況を疑わないとな」

「……目に見えるものしか信じない性質なのよ、とか言ってませんでしたっけ?」


 それにしても、意地の悪い男である。このゲームの目的はそもそも、才木の能力を鍛えることであって、欺くことではないはずだ。

 そのことを指摘すると、陣内は「お前の思い通りになってたまるか」と舌を出した。負けず嫌いな人だな、と才木は呆れた。


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