#3 winged-⑥


「――それで、その男は何か吐いたんですか?」


 才木に訊かれ、陣内は首を振った。


「いや、何も」


 拘束した売人の身柄は麻薬取締部の本部に移送され、長時間の取り調べが行われた。薬の仕入れ先を尋問するも、男は一切口を割らなかった。


「『知らない』『日本語わからない』の一点張りだってよ。ニコラスと日本語でペラペラ会話してたくせに」

「それでやり過ごせると思っているんでしょうか」

「時間稼ぎよ。外国人の売人がよく使う手だ。通訳を用意させて取り調べを引き延ばして、その間に商売仲間を雲隠れさせようとする奴もいる」


 日付が変わっても、男は薬の入手経路を吐かなかった。判明したことは彼の身元だけだ。


「棗の調べによると、この男は去年、技能実習生として日本に入国してたらしい。登録上の名前はグエン・フー・ミン。国籍はベトナム」

「生活に困って、麻薬の売買に手を出してしまったのかもしれませんね」


 技能実習生が金欲しさに売人に転職するというのは、近年よく耳にする話だった。


「グエンの受け入れ先は、タカノフィードっていう農業法人だ」


 陣内たちはその会社に出向き、グエンについて聞き込みをするよう指示されていた。

 グエンの勤務先である農業法人タカノフィードの所在地は栃木だという。長いドライブになりそうだ。運転は才木に任せることにして、陣内は助手席にふんぞり返り、タブレット端末を眺めた。これから向かう会社のホームページを開き、会社案内や事業紹介に目を通す。

 運転しながら、才木が尋ねた。


「タカノフィードって、どんな会社なんですか?」

「主な業務は、家畜飼料の製造・販売らしい」


 陣内はホームページに書かれている文面を読み上げた。


「原料はすべて国産にこだわっています――だってさ」


 原料となるトウモロコシは自社が所有する畑で栽培しているとのことで、サイトにその作業過程が詳しく記載されていた。特に興味はないが、暇つぶしにはなる。


「へえ。トウモロコシは、植えてから収穫まで約九十日かかるらしいよ」


 才木が前を向いたまま返した。


「コカの葉と同じくらいですね」

もうけは桁違いだろうけどな」


 コカインの原料となるコカの葉は、約二か月半から三か月で収穫できる。砕いたコカの葉をガソリンや硫酸などの液体に浸し、アルカロイドを抽出する。それを裏ごしすると、コカインのもとが出来上がる。そのコカペーストを灯油、硫酸、炭酸ナトリウムで加工すれば、コカインの完成である。

 コカインといえば、と陣内は思い出し、話題を振った。


「お前の母ちゃん、どうよ? その後は」


 薬物依存者の厚生施設でコカインが蔓延し、才木の母親もそれに手を出していたらしい。

 才木は数秒黙り込んでから答えた。


「……さあ、どうなんでしょうね。あの日以来会っていないので、何とも」


 運転席の才木を一瞥する。苦笑いを浮かべているこの新人は、前に言っていた。母親のような思いをする人をこれ以上増やしたくない。そのために麻薬取締官になった、と。

 ご立派な考えだと思う。青臭い新人をわらう資格は、自分にはない。俺にもこんな時代があったんだろうかと過去に思いをせながら、陣内は目を閉じた。



「――陣内さん、着きましたよ」


 才木に声をかけられ、はっと目を開く。どうやらあのまま居眠りしていたようで、いつの間にか目的地に到着していた。窓の外は都会の景色から一変し、見渡す限り広大な畑が広がっている。その片隅に、白い外観の建物がいくつか並んでいた。タカノフィードの自社工場と倉庫、それから従業員用の宿舎のようだ。

 工場のそばには駐車場がある。車を停め、まずは事務所へ向かう。建物の中に入り、受付に設置されている電話で用件を告げると、陣内たちはすぐに社長室へと案内された。

 応接用の椅子に腰を下ろし、待つこと数分。作業着を羽織った小柄な男が現れた。年齢は五十代くらい。

 禿げ上がった頭をでながら、「お待たせしました」と頭を下げる。


「社長の高野たかのです」


 名刺を差し出し、向かい側に腰を下ろした。こちらも名乗り、すぐに本題に入る。「この男をご存知ですか」と才木が端末の画面を相手に向け、例の売人の写真を見せた。

 高野は頷いた。


「ええ、グエンですね。うちの会社で雇っておりました」

「いつから?」

「去年の八月です。仲介業者に紹介されまして」


 仲介業者の名前を訊き出し、才木がメモを取っている。その間に、陣内がグエンの人となりを尋ねると、高野はすらすらと答えた。


「ベトナム人で、故郷に兄妹がいると話していました。覚えも早いし、仕事ぶりも真面目だったのですが、数か月前にいなくなってしまいまして。寮にも長いこと帰っていないようです」

「何とも思っていないような言い方だ」


 棘のある言葉をぶつけると、高野は一瞬、眉をひそめた。


「……どういう意味でしょうか」

「あ、いえね。責めてるわけじゃないんです」


 陣内はへらへらしながら答えた。


「ただ、外国人って、雇う方も結構なコストがかかるわけでしょう。仕事だけじゃなくて、日本語も教えないといけないし。手間をかけて育てた人材に勝手に逃げられちゃ、普通は腹が立ちません?」


 まるで他人事のように語る彼の態度が、陣内には引っかかっていた。

 すると、高野は苦笑した。


「別に珍しいことではありませんから、もう慣れてしまったんですよ。前に失踪したペルー人なんてひどいもので、事務所の備品まで盗んでいきました。パソコンとかテレビとか。転売目的でしょうね。今回はそういった被害もないですし、まだマシな方です」

「なるほど。それくらい大きく構えてないと、経営者は務まらないのかな」


 陣内は愛想笑いを浮かべた。

 ふと、隣に視線を向けた。さっきから才木は黙り込んでいる。まばたきもせずに硬直している。目に見えないものを見ているのかもしれない。

 直後、


「――どうして我々が彼を調べているのか、訊かないんですね」と、不意に才木が口を開いた。

 才木の疑問はもっともだ。

 用件は「この会社で働いていた外国人労働者について話を聞かせてほしい」とだけ伝えていた。普通なら、気になるはずだ。自分の会社で働いていた元従業員のことを、どうして麻薬取締官が調べているのか。だが、高野は一度も尋ねなかった。気になっている素振そぶりすら見せていない。


「彼がなにをしたのか、気にならないんですか?」


 やや挑発的な声色だった。人が良く、優等生気質だと思っていた新人の珍しく人を食ったような態度に、陣内は内心驚いた。


 ――こいつ、ちょっと俺に似てきたな。


 なにを教えてるんだ、と課長に怒られなければいいが。


「それは、まあ」高野は平然と頷いた。

「だいたい予想はつきますから。失踪した労働者は犯罪に手を染めることがほとんどですし、これまでも同じようなことが何度かありました。……それに彼はもう、うちとは一切関係のない人間です。知ったところで、なにができるわけでもない」


 ドライ過ぎるような気もするが、理解できないわけではなかった。高野の言う通り、行方をくらました外国人が後に犯罪者として手配されるケースなんて、腐るほどある。真面目に働きに来た実習生にははた迷惑な話だが。


「差し支えなければ、グエンの部屋を見せてもらえますか」

「ええ、構いませんよ。秘書に案内させます」


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