#3 winged-⑤


 葛城の説明によると、本部のチームはローラー作戦でコカインの使用者を徹底的に取り締まっていた。その中の数名が、更生施設で蔓延まんえんしていたコカインと同じ代物を使用していた。ある売人から購入したものだという。報告を受けた葛城は、ニコラスをその売人の周辺に潜り込ませ、客として接触させた。そして、ニコラスはその男からコカイン三キロ分の取引を取り付けた。これからその商品の受け渡しをする予定だという。

 その男が、施設で商売していた売人と同一人物かどうかは不明だが、供給元にたどり着く重要な手掛かりになることは間違いないだろう。陣内たちの仕事は、その重要参考人を確実に拘束し、本部のチームに送り届けることだ。失敗は許されない。二日酔いの新人は保管庫に残し、代わりに綿貫を連れて現場へと向かう。助手席に才木以外の人物を乗せるのは久々だった。特に、彼女と二人での仕事は記憶に久しい。


「――陣内さん」不意に、綿貫が話題を振ってきた。

「才木くんとは、うまくやれてますか」


 葛城にもそんなことをかれた気がする。皆に心配されているのだろう。陣内は口をとがらせた。


「……俺って、そんなに信用ないのかね」

「今回は、長続きしてくれるといいんですが」


 運転しながら、陣内は横目で綿貫を見た。


「もしかして、責任感じてる? 前の新人が辞めたこと」


 前回の新人は綿貫が教育係を任されていた。エリート気質でプライドの高い若者で、女の綿貫を軽んじている態度も見られた。その新人はある任務で綿貫の命令に背き、持ち場を離れた。それまで根気強く指導していた綿貫だったが、その瞬間、怒りが爆発した。彼女に頬をビンタされた新人は頬の骨を折って入院し、二度と特捜課に帰ってこなかった。


「もっと手加減するべきでした」

「気にしなくていいって。あの新人はうちの仕事をめてた。退職してなきゃ、そのうち殉職してたさ」


 取引の場所は、江東区にある廃倉庫。今から十分後にそこで売人と落ち合う約束になっている。陣内と綿貫は現場から距離を取って駐車した。仕込んだインカムでニコラスと売人との会話を盗み聞きしながら、合図を待つ。


『――今から接触する』 と、内偵からの報告が入った。

「気を付けろよ、ニコ」と陣内も言葉を返す。


 しばらく無音が続いていたが、約束の時間を数分過ぎたところで車のエンジン音が聞こえてきた。売人が到着したようだ。その後、会話が繰り広げられた。ニコラスの声と、知らない男の声――金は持ってきたか、と尋ねる片言の日本語。どうやら売人は外国人のようだ。


『――味見させてくれ』


 ニコラスが言った。

 白い粉末が麻薬であることを確認してからでなければ、陣内たちも迂闊うかつに踏み込めない。用心深い売人は初対面の客と取引する際、あえて麻薬ではなく小麦粉や砂糖を持って取引に現れることもある。おとり捜査で捕まえたはいいが肝心のブツは見当たらず、釈放するほかない――などという事態を避けるため、ニコラスは必ず商品の味見をする。

 ニコラスの要望に、売人はややいぶかしんだようだ。

 だが、『混ざりもんを掴まされたら困るからな。一口でいい』という言葉に、それ以上反論はできなかった。

 陣内らと同じく、ニコラスもドーパーである。彼は異常なまでに繊細な味覚を有しており、潜入捜査においてもその力は発揮されている。彼の舌ならば、成分を分析するまでもなく、薬の味を正確に判別できるのだ。

 この売人の商品が、厚生施設で配られたコカインと同一のものかどうか。商品を一口舐めたニコラスは、『間違いないな、本物だ』と呟くように言った。

 ――これが合図だ。


「よし、行くか」と陣内は車を降り、銃を抜いた。綿貫もそれに倣い、取引現場へと距離を詰めていく。

 倉庫の壁に背中を付けた体勢で、陣内は中の様子を窺った。外国人らしき人物に、ちょうどニコラスが金を渡しているところだった。陣内は綿貫と目配せした。

 ニコラスから対象が離れたところで、二人は同時に突入した。

 動くな、と銃を構えた綿貫が命じた。売人は一瞬で状況を判断したようだ。逃走を図ろうと車に駆け寄った。黒のクーペ――運転席に乗り込もうとする男に向かって綿貫が発砲するも、銃弾は車のドアに阻まれた。

 男がアクセルを踏む。進行方向には綿貫がいる。

「光ちゃん、離れて」と陣内は命じ、照準を定めた。自分の能力と射撃技術があれば、車のタイヤを撃ち抜き、売人を足止めすることは容易たやすい。しかしながら、それでは車の操作が利かなくなり、綿貫が巻き添えを食らう可能性もある。だから、車から距離を取るように命じたのだ。

 だが、遅かった。綿貫はすでに走り出していた。真正面から車に向かっていき――次の瞬間、綿貫はボンネットに飛び乗った。左手でサイドミラーを掴み、体勢を安定させてから、右の拳でフロントガラスを叩き割った。

 運転席に右手を突っ込んだ綿貫は、男の髪の毛を掴んだ。勢いよく左側に押し、頭を窓ガラスに打ち付ける。その反動で男の頭が跳ね返り、今度はハンドルにぶつかった。一度、クラクションが鳴った。

 さすがに車は停まった。綿貫が運転席のドアに手をかける。手加減が効かなかったのかわざとなのかはわからないが、扉を引きちぎってしまった。右手で車のドアを持ったまま、左手で男の首根っこを掴み、運転席から引きずり下ろす。売人は往生際が悪く、いつくばるような体勢で逃亡を図った。綿貫は持っているドアで男の背中を殴打した。

 男はうずくまり、動かなくなった。気絶したようだ。大きすぎる鈍器を投げ捨てると、綿貫は男に手錠を掛けた。


 現場が落ち着いたところで、「俺が言うのもなんだけどさ」陣内は声をかけた。


「そいつ、生きてる?」


 綿貫は平然と答えた。


「手加減はしました」

「……俺、捕まったのが葛城さんでよかったわ」


 一部始終を見ていたニコラスが青ざめた顔で呟いた言葉に、陣内も大きく頷いた。

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