#3 winged-④
「……頭痛い」
翌日、才木は定刻から三十分ほど遅刻してオフィスに顔を出したが、さすがに咎める者はいなかった。課長の葛城も思わず「今日は帰るか?」と温情の言葉をかけてしまうほど、才木の顔は青白く、見るからに具合が悪そうだった。
現場に出すわけにもいかず、事務作業も
二日酔いの後輩を連れて四階のフロアへ向かう。証拠保管庫には棗の姿があった。棚一面に収納されたファイルと
「棗さん、何してるんですか」
才木に問われ、
「過去の事件の資料を整理してました。使った後、ちゃんと元の場所に戻さない人がいるんですよ。だから、いつも順番がめちゃくちゃで。僕、こうしてたまに並び替えてるんです」
と、棗は説明した。十中八九、俺のことだろうな、と陣内は思った。
他のスチール棚には乱雑に段ボール箱が並べられている。その中身のほとんどが麻薬組織から押収した薬物だ。陣内と才木は、それらを事件番号順に並べる作業を仰せつかっている。
「……頭痛い」
才木は頭を抱えた。先程から頻繁に頭痛を訴えている。
「痛い痛いうるせえ。口動かしてないで手ぇ動かしなさいよ」
「……誰のせいだと思ってるんですか」
恨みがましい視線が返ってきた。最近は可愛げのない態度を取るようになってきたな、と思う。
「こんだけいろんな薬置いてんだから、探せば頭痛薬くらい見つかるんじゃないの?」
「品揃えのいい薬局みたいな言い方しないでください」
「これとかどうよ」
陣内は箱の中を覗き込み、袋詰めにされた白い粉を取り出した。
「痛みが引くぞ」
「……ヘロインって書いてあるんですけど、それ」
袋にはメモが貼り付けられ、『ヘロイン 500グラム』との走り書きがあった。
「問題です。ヘロインの原料は何でしょう?」
陣内の問いに、才木は頭痛に顔をしかめながら答えた。
「ケシ」
「正解」
麻薬取締官にとっては常識だ。
ケシの果汁を乾燥させるとアヘンとなり、それに薬品を加えると、医療用の鎮痛薬として有名なモルヒネが抽出できる。それをさらに精製したものがヘロインとして市場に流通しているが、その依存性はモルヒネの二倍から四倍とも言われている。使用すれば二日酔いの頭痛なんてあっという間に吹き飛んでしまうだろうが、今度は別の問題に頭を悩ませることになるだろう。
「仮に頭痛薬があったとしても、こんなところから拝借したら大変なことになりますよ」と棗が会話に加わった。
「証拠品の横領は立派な犯罪ですから」
「……そういえば」ふと、才木が思い出した。
「昔、ありましたよね。証拠保管庫から大金が盗まれた事件」
陣内は「あったっけ、そんなの」と
「ありましたね。八年前の、三億円盗難事件です」
棗が答えた。
「所轄がロス・ティグレスから押収した麻薬売買の資金三億円が、証拠保管庫の金庫から強奪された事件ですよ。犯人は
「棗さん、よく覚えてますね」
感心する才木に、陣内が告げる。
「それが棗の能力だからな」
特捜課に所属する取締官はドーパーのみで構成されており、棗もその例外ではなかった。彼は、見聞きしたものすべてを覚えてしまう並外れた記憶力を有している。ウェブ上をパトロールする本部のサイバー対策チームで活躍していた棗を、二年前に葛城が引き抜いてきたのだ。
「うちの金庫にも、大金入ってんのかな」
陣内の呟きに、棗が反応する。
「たしか半年前に逮捕した売人から、一千万の売上金を押収しましたよね」
ということは、今もまだその大金が金庫の中に保管されている可能性がある。
「確認してみるか?」と陣内は悪乗りした。
「鍵、課長しか持ってないですよ」
「光ちゃんの能力なら、金庫もこじ開けられんじゃない?」
良からぬ話題で盛り上がっていた、そのときだった。ドアが開き、葛城が現れた。
「真面目にやってるか?」とからかうような口調で問う。
「課長、陣内さんが強盗の計画を立てています」
才木に指を差され、陣内は眉をひそめた。
「こら、チクんじゃないよ」
葛城はわざわざ様子を見にきたわけではないようだ。自分に用があるらしい。陣内を保管庫の外に連れ出し、葛城は本題に入った。
「ニコラスから情報が入った。これから、例の売人と接触するとのことだ」
例の売人――中毒者用の更生施設での事件に関係があると思わしき人物のことだ。
「お前も同行してくれ」との命令に、陣内は頷いた。
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