#3 winged-③


 珍しく定時で仕事を切り上げ、陣内たちは場所を移した。才木の歓迎会の会場は、新宿にある『SPICE』という名のアイリッシュパブ。店名だけは頂けないが、裏路地にある隠れ家的な一軒で、職場に近いこともあって特捜課の行きつけになっていた。陣内も仕事帰りにふらりと立ち寄ることが多い。普段は専らひとりカウンターで飲んでいるのだが、今日は大人数で押しかけたため、店の奥にある広いテーブル席を宛がわれた。

 課長の葛城の音頭で乾杯した。こうしてチーム全員が集まるのは久しぶりだ。多忙を極める麻薬取締官は、こんな機会でもなければ休みを合わせて酒を酌み交わすことはない。貴重な息抜きの時間に、会話も弾んだ。


「みんなで慰安旅行とか、行きたいっすよねえ」


 という夢物語を語り出したのは、いつも忙しさに文句を垂れている柴原だった。


「わかる」と、綿貫が話に乗った。

「私、温泉がいい」

「綿貫さんくらいのとしの女性って、すぐ温泉行きたがるっすよね」

「俺、温泉苦手なんだよなぁ。他人が入った風呂、汚くて入れないのよ」


 陣内の言葉に、才木は意外そうな顔で呟く。


「……変なところで潔癖だな」

「僕は海外に行きたいです」と、棗が目を輝かせて言った。

「合同捜査か研修という名目で、何とかならないでしょうか」

「海外もいいっすね」


柴原が目を輝かせた。


「課長、DEAとかAFPに頼んでみてくださいよ」


 ひとりだけノンアルコールのビールを飲みながら、葛城が苦笑した。


「それじゃ慰安旅行というより、ただの研修じゃないか」


 料理が運ばれてきた。ソーセージの盛り合わせにジャーマンポテト、骨付きチキン、ピクルス、ミックスナッツ――酒のさかながテーブルに並び、真ん中には綿貫が注文したステーキとピザが陣取っている。綿貫はチーム随一の大食いだ。能力の関係上、消費カロリーも桁違いなのだろう。

 一杯目のビールが空になったところで、陣内はテキーラのボトルを注文した。ショットグラスの数は課長を除いた人数分。

 才木の前にひとつ置くと、


「……俺、テキーラ苦手なんですけど」と、才木は眉をひそめた。

「なによ、俺の酒が飲めないっての?」


 陣内は問答無用でグラスに酒を注いだ。


「アルハラじゃないですか」


 才木は露骨に嫌そうな顔をしている。


「なんて職場だ」


 テキーラのショットを全員で一気飲みする。特捜課でいちばん酒が強い綿貫は、飲み干すや否や手酌でおかわりを注いでいた。一方、才木は「まずい」と顔をしかめている。


「お酒のなにがいいのか、俺にはわかりません」


 テキーラに限らず、そもそも、才木はアルコールがそれほど好きではないらしい。


「癖になるんだよなぁ、これが。ふわふわした感覚が気持ちよくて、めらんないのよ。嫌なことも忘れられるし」

「……麻薬と一緒じゃないですか」


 ジンジャーエールを注文しようとする才木を制し、陣内はショットグラスに二杯目のテキーラを注いだ。



 日付をまたぐ前に解散となった。新入りとしての洗礼を受けた才木は店の前に座り込み、ぐったりと項垂うなだれている。泥酔状態で、立ち上がることすらままならない。


「陣内さんがつぶしたんだから、責任もって送り届けてくださいね」


 とげのある綿貫の言葉に、陣内は「はいはい」と頷いた。

 綿貫がタクシーに乗り込むのを見届けてから、陣内はため息を吐いた。無防備に酔い潰れてしまった新人に、こんなことで取締官が務まるのかと心配になる。

「おーい」と声をかけながら、陣内は才木の肩を揺さぶった。


「才木、大丈夫かー?」


 返事はない。大丈夫ではなさそうだ。

 陣内は才木に肩を回し、半ば引きずるようにして歩いた。タクシーを拾い、才木を押し込んでから自分も乗車した。途中で吐くなよ、と祈りながら、運転手に行き先を告げる。才木の自宅の住所は課長から聞いている。

 車内でも才木は窓に頭を預け、終始ぐったりとしていた。


「……陣内さん」


 不意に、才木が口を開いた。


「どうした」

「……俺、やっていけますかね、この仕事」


 目はうつろで、呂律ろれつは回っていない。だが、酔っ払いの戯言ざれごとだと聞き流すには、やけに染み入った言葉だった。

 自信を失うようなことがあったのか、それともはなから自信なんてなかったのか。特捜課が新人にとって酷な現場であることは間違いない。


「あんまり思い詰めんな。適当にやっていきゃいいんだよ、適当に」


 今更ながら、才木を賭けの対象にしたことが気の毒に思えてしまった。少しは優しい言葉を掛けてやった方がいいかもしれない。


「いいか、この世にはな、全員がハッピーエンドを迎えられる結末なんて存在しないのよ。誰かが幸せになれば、どこかで誰かが不幸になる。全員を救うことなんて無理だし、救えなかったからといって自分を責める必要はない」


 アルコールのせいだろうか。いつもより饒舌じょうせつに語ってしまった。


「正義感も責任感もご立派だが、行き過ぎると体に毒だ。……まあ、お前はよくやってると思うよ。新人にしてはな」


 隣の後輩に視線を向ける。才木はドアにもたれ掛かったまま、穏やかな寝息を立てていた。


「聞けよ」


 タクシーに揺られること数十分。ハイム竹本たけもとという名のアパートに到着した。古い二階建ての建物だった。才木の自宅は、ここの二階の角部屋らしい。屍のような状態の新人を、陣内は背中にぶった。酔っ払いの成人男性を抱えてびついた鉄骨階段を上るのは、なかなか骨の折れる作業だった。

 ドアの前に到着し、いったん才木を床に下ろす。


「鍵はどこよ?」


 おい、と声をかけても、彼はただうめき声をあげるだけだ。かばんや服のポケットを探って家の鍵を見つけると、陣内は勝手に解錠して中に入った。

 間取りは2LDKのようだ。一人暮らしだと聞いているが、まるで他にも住人がいるような雰囲気だった。

 ――母親か。

 陣内はすぐに察した。

 他人の家を詮索してしまうのは、やはり職業病だろうか。特に引っかかったのは棚の上に並べてある写真立てだった。才木の幼少期や、学生時代の写真ばかりが飾られている。才木だけが写っているものもあれば、母親と一緒のものもある。

 一人暮らしの部屋に、自分の子ども時代の写真を飾る人間はそうそういない。これらは母親が飾ったものだろう。どうやら才木は、長いことこの部屋で母親と二人暮らしをしていたようだ。

 しかし、彼の母親は今、麻薬の中毒者として更生施設に入所している。

 きっと、才木は待っているのだ。母親が更生し、この部屋に戻ってきてくれることを。だから、すべてを当時のままにしている。職場の近くに引っ越すこともせず、ボロアパート暮らしを続け、空いた部屋を持て余している。


 ――とらわれているのかもしれない、この男も。


 その気持ちは、理解できないわけではなかった。

 ドアを開け、才木の部屋に入る。ベッドや机、本棚があるだけのシンプルな空間だった。酔っ払いを再び抱えると、ベッドの上にその体を転がした。乱雑に扱ったにもかかわらず、才木が目を覚ます気配はない。服を着替えさせてやるほどの優しさは持ち合わせていないが、拳銃とホルスターだけは外してやることにした。

 机に銃を置いたところで、


「……さて」


 ひとつ呟き、陣内は部屋を見渡した。仕事はこれで終わりではない。まだ、ここでやらなければならないことがある。


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