#3 winged-①


 耳が痛くなるほど騒がしい店内で、上から下へと流れていく大量の銀色の玉を、陣内じんないはまるで空に浮かぶ白い雲でも眺めるかのように、ただ呆然ぼうせんと見つめていた。

 陣内の職務怠慢は今に始まったことではなかった。出動要請がなければ特にやることもない。面倒な書類作業は人任せにして、陣内はオフィスを抜け出すことが増えた。不真面目という言葉を体現したかのような身なりも相まって、陣内鉄平という男はそういう人間なんだと周囲も認識するようになり、そのうち同僚も「どうせまたサボりだろう」と諦め、捜しにくることすらなくなってしまった。

 だからこそ、


「――なにやってるんですか」


 ととがめられること自体、ずいぶん久しぶりのように感じた。

 右手を固定したまま首だけで振り返ると、膨れっ面の若い男が立っているのが見えた。彼は先月、関東信越厚生局麻薬取締部特殊捜査課に配属されたばかりの新人、才木さいきだ。面倒を押し付けられた陣内の後輩である。


「見たらわかるだろ、パチンコよ」陣内は平然と答えた。

「お前も打ちにきたの?」

「そんなわけないでしょう」と、才木はあきれ顔だ。店内の騒音に負けじと声を張りあげる。

「電話したのに出ないから、迎えに来たんですよ」

「気付かなかったわ。よくここがわかったな」

「どうせパチ屋だろうって、葛城かつらぎ課長が」

 ――課長の入れ知恵か。


 陣内は舌打ちした。余計なことを。


「渋谷で殺人事件があったようです。被害者は麻薬の売人だそうで。今、うちで追ってる例の事件と関わりがないか、確認してこいって」

「あー」


 先月、麻薬中毒者用の更生施設を狙った密売事件が都内各地で発生した。最大の問題は、被害に遭った施設のひとつに厚労省の息がかかっていたことだ。お膝元で商売され、厚労省と麻取は顔に泥を塗られたも同然だった。最優先で入手経路を突き止め、売人を捕まえろという上層部からの圧により、関東圏の麻薬取締官たちは一斉に捜査に乗り出したが、一か月がった今もまだ犯人の逮捕には至っていない。とうとうしびれを切らした上の連中は、事件捜査に特捜課を投入したという次第だ。


「俺らが調べたところで、結果は変わんねえと思うけどな」


 結局は、体面の問題だ。部長は特捜課を利用して、全力を挙げて捜査しているというポーズを厚労省のお偉いさんに示したいだけなのだろう、と陣内は穿うがった目で見ていた。いまいち気乗りがしなかったが、対する新人は違う。才木は前のめりになっている。身内が事件に関わっているのだから、内心穏やかではないのだろう。


「ほら、行きますよ」


 才木が陣内の腕をつかみ、強く引っ張る。

「今、いいとこなのに」と陣内は渋々右手を離し、席を立った。


 現場にはすでに警視庁捜査一課が到着し、現場検証の最中だった。都心のど真ん中にそびえるタワーマンションの前にいくつかの捜査車両がまっている。陣内たちは四基並んだエレベーターのひとつに乗り込み、三十五階のボタンを押した。被害者の自宅はそのフロアの角部屋だった。現場に出入りする刑事の中に、昔馴染なじみを見つけた。警視庁時代の同僚、戸倉とくらだ。


「大変だろ、こいつと一緒に働くのは」 と、戸倉が苦笑いを浮かべて言う。

「はい」

「ちょっとは否定しなさいよ」

「目を離すと、すぐどっかに行っちゃうんで、困ってるんです」

 

 戸倉は声をあげて笑った。


「昔からそうなんだよ、こいつ。警察学校にいた頃も、しょっちゅう寮を抜け出して――」

「こら」言葉を遮り、陣内は会話を切り上げた。

「余計なこと言わなくていいの」


  戸倉に招き入れられ、陣内たちは規制線をくぐった。部屋の間取りは3LDKのようだ。玄関から入ってすぐ左がトイレ、正面が寝室。戸倉に導かれ、右方向に進む。戸倉は廊下の途中にあるドアを開けた。

 風呂場のようだ。最初に洗面台が目に入った。その先に浴室。死体はそこにあった。浴槽に背を向けるような、横向きの体勢で床に倒れている。被害者の年齢はおそらく三十前後。かなりの大柄で筋肉質な体型だ。額に銃弾の痕がひとつ。シャワーを浴びている最中に襲われたようで、服は身に着けていなかった。


「名前は川添かわぞえ拓司たくじ白鴉はくあの幹部クラスだ」


 死体に視線を送り、戸倉が言った。


「白鴉?」


 首をかしげる才木に、戸倉が説明する。


「東京を縄張りにしてる多国籍マフィアのことだよ」


 白鴉――新興の国際犯罪組織で、いまだ謎に包まれている部分が多いが、幹部は全員がドーパーであるとうわさされている。犯罪組織や捜査機関など、ありとあらゆる場所にスパイを紛れ込ませ、裏社会の公安的な暗躍を広げていた。


「こいつの背中を見てみろ」


 戸倉に言われ、才木は死体の背後に回り込んだ。


刺青いれずみがありますね。……翼、でしょうか」

からすの羽だ。白鴉の幹部は全員、背中にこの刺青を彫ってる」


 遺体の背中がどうなっているのか、見なくてもわかる。大きく描かれた二つの翼が白鴉の幹部の証であることは、その筋の捜査関係者にとって常識だ。特に陣内は、それを嫌というほど知っている。

 妻を殺した男の背中にも、同じ刺青が刻まれていた。

 死体から目をらすと、戸倉が顔をのぞき込んできた。

「大丈夫か?」と小声で陣内の顔色をうかがう。旧知の仲である戸倉は事情を知っている。妻の葬儀にも顔を出してくれた。陣内は答える代わりに笑みを見せ、尋ねた。


「たしか白鴉は今、仁龍会じんりゅうかいと抗争中だったよな」


 関東仁龍会は暴対法による厳しい取り締まりの末、唯一生き残った日本最大の暴力団組織である。眉唾物ではあるが、必要悪として国に生かされているため、上層部は政界や財界にコネを持っているとささやかれていた。主な資金源は麻薬と武器。売春や臓器移植を目的とした人身売買にも手を染めているらしい。

「そうだ」陣内の言葉に、戸倉がうなずく。


「先週も、白鴉の下っ端が仁龍会系の若頭を狙撃する事件があったばかりだ」

「今回は、その報復か?」

「可能性は高いな。だとしたら、これは組対のヤマになるだろうが」


 陣内と才木はリビングへ移動した。生活感のない部屋だった。目立った家具はなく、段ボール箱が積み重なっているだけだ。まるで引っ越し直後の荷解にほどきが済んでいない状態のようである。

 箱の中身は、すべて麻薬だった。LSD、ヘロイン、MDMA、マリファナ――アメリカ麻薬取締局DEAの分類においてスケジュールⅠに指定されている危険薬物ばかりだ。


「この部屋は、商品の保管庫として利用していたようだな」


 陣内は隣の新人に目を向けた。才木は先程からずっと黙り込んでいる。


「どうした、何かえた?」


 この才木という新人は珍しいタイプのドーパーだった。なんでも人並外れた第六感を持っているらしく、これから起こり得ることが――まるで幻覚のように――映像として頭に流れ込んでくるのだという。陣内も最初は半信半疑だったが、ことごとく先回りされては信じるほかなかった。

 才木の能力は未来予知とは違い、その通りの事態が起こるわけではない。あくまで可能性のひとつが見えるだけである。おまけに、陣内や綿貫のような特捜課の面々と違い、自由に能力を操れるわけでもないようだ。まだまだ発展途上なのかもしれない。


「確信はないですが」と、才木は前置きした。

「ちょっと、気になることが」

「なに」

「ヤクザの鉄砲玉が、こんな場所で殺しをするでしょうか?」


 辺りを見回しながら、才木は首をひねる。


「川添は、ここを商売の拠点にしていた。だとすると、他にも彼の仲間や手下がこの部屋を出入りしていたはずです。ひとりで敵地に乗り込んで、たった銃弾一発であれだけ大柄な男を仕留めるなんて、下っ端の仕事とは思えません」


 たしかに、才木の言うことにも一理ある。組織間同士の抗争は、普通なら移動中を狙うものだ。家に帰ってきたときや出掛けるときの隙を狙い、バイクのような足を使って標的を狙撃する――それが最も成功率が高い。今回のように敵の陣地に乗り込むケースは、ほとんどないと言えるだろう。


「犯人は相当腕に自信があるやつか、もしくは、複数犯っていう可能性もあるな」

「いくら目的が報復とはいえ、麻薬が盗まれていないのも変ですよね」


段ボールの中身を撮影しながら、才木は言った。


「こんなに高価な商品がそろっているのに、まったく手を付けないなんて、おかしいと思いませんか」

「そうかぁ? さっさと逃げる方が賢明だと思うけどな。欲を出して商品をだらだらと運び出してたら、それこそ目立ってしょうがない」

「それは、そうなんですが」

 

 才木はに落ちない様子だった。


「そういうところを含めて、ヤクザらしさがないというか、スマートな感じがするんですよね。殺人犯にこんな表現を使っていいのかはわかりませんが、犯行に品があるというか」


 報復が動機とは思えないほど、犯人は冷静さに満ちていて、現場は整然とし過ぎている――才木はそう言いたいようだ。


「その道のプロに外注したのかもな」と、陣内は返した。


 一通り現場を調べたが、特に事件につながるような手掛かりはなさそうだ。陣内は才木を連れてオフィスに戻ることにした。


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